静止
――光がはじけた。
その光に、影からテンプスを狙っていた童女の動きが一瞬止まる。
『――っち、アイツの言ってた形が変わるやつか……まあ、いいさ、どれだけ体を固くしたって私の凝視ですぐに――』
そこで異常に気がつく。
形が違う。
彼女が聞いていたのは赤か紫の変化、しかしこれは――
『青?』
困惑する女をしり目に変化が続く、周囲にかすかなオゾン臭をばらまきながら、投影機構により空中に映し出された複雑な図形――『パターン』とその古い形である『グリフ』が鎧の形を変える。
残ったのは
それは、まるで異形の顔を持つ彫像のような姿だった。
これまでと変わらず残った兜は、三本の角のようなものが生え、そこから、かすかな力の流れをそれぞれの角に向かって放流している。
これまでと明確に違うのは脛当と鉄靴だ。
靴には羽のような意匠がつき、脛当には特殊な装甲のようなものが増設されている。
それまで鎧で覆われていた部分はまるで波打つ水面のような不思議な質感を持つ水晶の輝きを持つ外皮が形成されていた。
全身を蒼穹のような青で染め上げたその姿は見るからに貧相で――けれど、何か底知れない『深さ』を感じさせる。
『――何だ、何が起きてる?』
それは彼女の――テッラの知らない変化だ。
テッラが見たのは二つの変化だ。
そのいずれも、このような変化はしていない。
紫はおそらく防御、赤は攻撃、テッラからはこのように聞いている。
それぞれの色合いに意味があるのならこの姿は――
『速度?速さで私に対応しようって?』
ばかげた話だ、稲妻の力で加速する自分はもはや音を軽々と置き去りにする、そんな生き物に、一体どうやって追いつくつもりだというのだ?
『馬鹿が!どうせ、私の動きには着いてこれないんだから黙って死ねばいいのに!』
稲妻が体を包む――速攻だ。
見るからに防衛能力に乏しいあの姿ならば、自分の攻撃が通る可能性がある。
話が簡単になっただけだ。口角が吊り上がり、口が裂けるように笑う。
瞳もなければ目すらどこにあるのかわからない顔が喜色にゆがんで――彼女の体が稲妻と共に空を駆けた。
落雷――マッハにして294117といういかれているとしか思えない速度はいかに魔術と言えど作り出せない。
しかし、音の壁をたやすく破る速度は出せる。
高速で流れる景色と粘度を増していく空気。
断熱加熱によって熱を増す空気とへばりつく空気によって彼女は熱した金属の中を進むように熱を持つ。
空気の幕を突き破り、体が加速する。
爪が赤熱し、鋼鉄すら突き破るほどの熱を発しながら、そのか細い鎧に激突する――
その瞬間、世界が制止した。
より厳密に言えば、『テンプスの見ている世界』が制止した。
彼の鎧がオーラの淡い燐光を発しながら、超高速度の世界に侵入したのだ。
「――あいつより早いっていうから警戒してこの姿になったが……必要なかったか?」
そうつぶやいた振動が空気の幕を突き破り、彼の周囲に衝撃波をもたらす――音の壁を越えたのだ。
彼の鎧の中で最も強力であり最も扱いの難しいこの姿はその力をいかんなく発揮していた。
彼の周りには、彼と彼の鼓動と彼自身の発する音だけがあった――それだけしか彼と同じ速度で存在できないのだ。
その世界ではすべてが制止し何の音もしない。
それらすべてよりも早いからだ。
テンプスの後ろから現れた妙に煌びやかに光る黒い生き物をゆったりと眺めながら彼はそっと歩いた。
これ以上の速度は出せない――音を超える速度で動くのは非常に問題が多いのだ。
文様に流れるオーラが加速した領域を生み、加速の影響を打ち消して、彼の歩行を補助する――人間であるテンプスが加速するためには必要な措置だ。
わずか四歩、そのゆるやかな動きを察知できたものはこの場には一人もいない。
あらゆる生物にはいまだに『先ほど立っていた場所』に自分が立っているように見えている事だろう。
目が視認できる速度をはるかに超える速度で動くがゆえに不可視だった。
そんな何も動かない世界で彼は独り、敵を眺めていた。
その姿は疑いようもない異形だ。
口は鳥のくちばし、顔は犬とも狼ともつかない姿、体は猫とも豹ともつかないネコ科の獣だ。
最低で三つ――いや、体表の黒い粘液を考えると四つか。
この姿になるのに一体どれだけの生き物を殺して――どれだけ自分の存在を削ったのだろうか?
つくづく救えない女だ。
眉を顰める――ここにいるのは救えなかったものの末路だ。ここで自分がこの女や魔女を止められなければほかの者もこうなるはずだった。
『気に食わん話だ。』
加速する思考でそう考えた彼は一秒にも満たない黙祷を捧げて、ゆっくりと腕を持ち上げる。
彼がやったのは簡単だ、指を一本立てて獣の体をそっと押しただけだ。
まるで知り合いに声をかけるような気軽な動作。
それがもたらした被害は甚大だった。
ぬらぬらと揺れる粘性のある体表の皮膚が引き延ばされ、衝撃が体全体を伝わり、四肢から溢れた。
まるで風船のように体がはじけ、粉々に砕けた体が周囲に四散した。
テンプスはその光景に目を細め、苦悩に満ちた息を漏らした。
これがこの姿の欠点の一つだった、音速を超える速度での行動はいつだって加減が効かないのだ。
こと攻撃となると――使い物にならない。
『鎧』とはそういう物だ。どの姿であれほんのかすかでも力加減を間違えればあらゆるものがこんな風に壊れる。
その中でもこの姿は最も扱いの難しい鎧だった。
あの女の口車に乗って使うべきではなかったかと眉を顰める。
殺すわけにはいかない、マギアの仇のこと、あの施設のこと。これが魔女の一派だというのなら聞きたいことは山のようにあった。
相手がこの女でなければ決して使わなかっただろう鎧の真価の一部をテンプスは苦々しく思いながら、再生を始めた女を眺めていた。
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