極めるということ

「――はっ?」


 ぽかんと、老婆が口を開いた。


 何が起きたのかわからない。


 いや、目の前にある事柄は理解できているのだ。


 あの小生意気な小娘が指を一度弾いた。


 ただそれだけのことで、水流の刃も、風の大槌も、土の大腕も、炎の舌も、雷霆の槍も、氷結の息吹も、溶断の斧も、鉄の剛剣も自分の足も――すべてが銀灰色の彫刻と化している。


 呪文の詠唱などなかった、そのはずだ――つまり、魔術円から溢れる魔力だけでこれをなしたことになる。


 ありえるのか?そんなことが?


 脇を見れば、それは舞台の半分――自分たちが戦っていた範囲を丸々埋め尽くすように銀灰色が覆い、壁までたっている。そのあまりにも正確な範囲設定は、それが制御された力であり、全力ではないことをありありと示していた。


『――なんだこれは?』


 わからない。


 始めは氷の類かと思った――だが、違う。


 それにしてはあまりにも固すぎる。では……では一体この高硬度の物体はなんだ?


 考える、何かがおかしい。


 触れることなく観察すれば、それは明らかに――


『金属?鋼属性?ならなぜ溶解しない?』


 それは魔女の常識を著しく狂わせる光景だった。


 通常、鋼属性の魔術は炎の魔術の熱量には耐えられないはずだ。


 魔女の魔術の温度は5000℃に達する極高温の斧だ、金属に耐えられるはずがない、もし耐えられるとしたら――


「――そうですよ、貴方が夢にまで見た『鋼属性の派生属性』です。合鋼属性とでもいうんですかね?」


 魔女の思考を読んだように少女が語った。その声には多分な呆れと――誇らしさが混じっていた。


「――はっ、こけおどしを……ありえないね!そんなもの……私が1200年かけて見つけられない魔術をなんだってあんた如きが見つけられる!」


「貴方より才能があったんじゃないですかね?」


「ありえないね!あたしをだまそうたっt「じゃあ、何であなたの魔術はそこで固まってるんです?」――」


 かぶせるようなマギアの一言に魔女はこたえられない。


 それは、自分でも考えていた可能性だからだ。


 もし、もしだ、この女が、あの忌々しい『慈悲』の才能をそのまま継いでいたとしたら?


 自分たちが兵器にするために作り上げた数々の呪いが、もし彼女の力を増すような結果になっているとしたら?


『七徳の秘儀』の中には勤勉さを維持するものがある。


『卓越の知性』があればあらゆる知識をたやすく得ることができる。


 それらがあれば――この女が、自分の技量を超えることはあり得るのでは?


『違う、そんなはずない……呪いが死んだ後も……いや、ありえる……あり得るが……』


 あっていい事ではない。あってほしくない。


 だってそれを認めたら――


「貴方――随分腕がなまりましたね。」


 呆れたように少女の声が響く。


「――そんなことはない!ありえない!私は――」


「そう思いますか?では聞きましょう、何で私の術にあなたの術が負けるんです?今のあなたを見なさい?ひとつの属性しか使っていない私と、同時に基礎魔法を大胆不敵にフル活用できるあなた。では、この大きく開いてしまった差はなんでしょう?」


「――」


 老婆が口ごもった――何も言い返せない、わからないからだ。


「私は肉体を失ってもなお研鑽を重ねました。そしてこの魔法を手にしました。しかしあなたはどうですか?死にもの狂いでなにかを達成しましたか?なにかの目的のために泥と血を啜るような努力を続けましたか?していないですよね?」


「……」


 口を開いた女が、しかし、口をつぐんだ。


 努力はした――他人の成果をかすめ取って。


 最善を尽くした――自分が苦労しない形で。


 それを努力というのなら――彼女は努力したのだろう。


「魔術を複数同時発動?あいにくと生きてる時からできましたよ。魔術というのは限りない属性をいくつも極め、さらにまた極め、別を極め、の繰り返し。その果てに新しい物を探すから、私たちは魔術なんですよ。」


 心から呆れたように、煩わしそうに、出来の悪い子供に言い聞かせるように彼女が語る。


「少なくとも、私とあの人はしましたよ――極めるってこう言うことでしょう?」


 そこには明確な誇りが見えた。


「――――」


 老女は何も言い返せない。


 言い返せる理由がない。


 老婆がやったのはただの窃盗だ、根本的に極めるだけの読経などこの女にはない。


「実は私も不安だったんですよ、いかんせん、お婆ち……師匠の同僚でしょう、勝てるかわからないなぁ……なんて思ってちょっとばかりしり込みしてたところもあるんですが……」


 言いながら、魔術に魔力を籠める。


 先ほどまでの詠唱で相手の技量は理解していた――この分なら

 詠唱無しでも勝てる。


「――この程度なら、気にすることもありませんでしたかね。」


 どうでもいい事のように彼女はもう一度指を鳴らした。


 脳裏で輝く魔術の円陣が求めに従い、力を導き、望みをかなえる。


「――ま、まって――」


「――いやですよ、貴方はそこで乾きなさい。」


 そう言ったのと、老婆が金属による彫刻になったのはほとんど同時だった。


 手を後ろで組んで、つかつかと歩き、まじまじと、彫刻を見つめる。


「これ、学園に寄贈したらどんな扱いになるんですかね……」


 いつぞや、自分の家族の眠る棺桶を提出されたときのことを思い返してそんなことを思う――やはり、あの学園の生徒なら意志を投げるのだろうか?


「さて、先輩の手伝いでもしますかね――」


 そう言った瞬間、戦場を隔てていた壁が砕け散った。


 軽く眉を上げたマギアが、脳裏の魔術の円を起動させ、大気の壁を作る。


 一拍遅れて、彼女のもとに金属片と一回り大きな影が転がり込んできた。


 ぼろきれのようになった服と特徴的な黒頭巾――童女だ。


 地面ではねた直後、地面に着地して交戦のために体に力を入れる。


 まるで獣のように四足で地面を蹴ろうとするその体には稲妻が輝いている。


 稲妻の魔術、電光の速度で動く雷の魔術の技。


 しかし、それを見てもマギアは動かない――動く必要がない。


 四足の獣が地面を蹴るのと一陣の風が吹き、獣を地面に縫い付けるのはほとんど同時だった。


「――何だ、テッラに教えたって割にはあいつより遅いな。」


 そこに立っているのは不可思議な生き物だった。


 流線型のフォルムをした鎧の面のようなものをつけ、波打つ蒼穹のようにすきとおった肌を持つその姿は、マギアの見たことのない物で――


「――おや、そっちはもう終わりか。早いな。こっちも急いだんだが。」


 ――しかし、その面の下から響く声はいつも通りの穏やかな物だった。

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