魔術の極み

「『Παράπτωση της χάρης耄碌の衰. Απώλεια συναισθήματος,感覚の失調 στασιμότητα停滞 - παράλυση――痺れ』』」


 彼女がこの時代に再び生れ落ちてから例外を除き一度も行わなかった魔術の詠唱は、1200年の時を感じさせない滑らかさで空間を滑り、枯れ枝のごとき老女を絡め取ろうとしていた。


「『Ρολόι αριστερόστροφα逆回りの時計, αντιστροφή反転, δαιμονική魔性-καθρέφτη μαγεία鏡魔』」


 応じる老婆はしわがれた声を必死に回して魔術の反転障壁を張り巡らせる――大したものだ、この時代の魔術師にはとてもできない。


 彼女を絡め取ろうと蠢いた魔力がか細い光をもたらす壁と接触して魔術の痕跡を世界にまき散らす。


 反転させようとする力の流れが推し進もうとする麻痺の魔術とせめぎあって消えた。


 舌打ちが漏れる。


 別段、高々、麻痺の魔術一つでどうこうということもないのだが――『Ρολόι αριστερόστροφα逆回りの時計』という単語を使ったことが気に入らない。


 時計はを示す要素だ、この女の腐った口から聞くのは我慢がならない。


 その舌打ちを魔術が決まらなかったことが原因だと判断したらしい老婆が、鬼の首でも取ったかのように哄笑を上げた。


「――なんだい、美貌の奴、この程度にやられたってかい?あの女も大したことないねぇ!」


 脳の中でうずめく魔術の円に思考が命令を放ち、魔力がその力を与える。


 魔術円、魔法円、魔術陣、魔法陣――様々な名で呼ばれる、円形の文様は魔力に呼応し、シンボリズムによって作られた個々人によって異なる図形は、それぞれの導くべき魔力を体から漏出させる魔術師に必須の図形。


 優れた魔術師はそれを精神の――テンプス曰く脳の――一部に宿らせ、その力を行使する。


 その中でも卓越した魔術師である二人であれば、その思考はほとんど攻撃と変わらない。


 水流の槍がマギアに向けて駆け抜け。それを地面から屹立した土の壁が防いだ。


 そう言って笑う老女を侮蔑の視線を投げるマギアが一刀のもとに切り捨てる。


「何を調子の良いことを……さっきまで人様の魔力を赤ん坊のように吸っていた分際で良くそこまで口が回りますね。恥とかお持ちでないんですか?」


 そう言って嘲るように笑われた老女は、その言葉に気分を害した様子もなく言葉を続ける。


「その私につかまったのはお前さんだろう!」


「そして、その私を恐れて一度も私の前に姿を現さなかったのが貴方でしょう。」


「―――!」


 始めて老婆が表情をゆがめる。


 それは彼女の行動の意味を如実に語る一言だ。


 実際、この女はただの一度もマギアの前に現れていない。すべては自分の孫であるあの童女に丸投げしていた。


 その理由がこれだ。


 怖かったのだ。


 自分よりも優れた魔術師であるマギアの祖母が、そして、その陶訓を受けた魔術師であるマギアの存在が。


 だから、この女はマギアに接触しない。できない。


 何かの間違いであの部屋の魔術が効かなかったら?あるいは何かしらの方法であの部屋の中で魔術を使われたら?


 それが怖い――所詮、その程度の女だ。危険に飛び込む度胸はない。


「はっ、ずいぶんほざくね、私がいつ!お前ごときを!恐れたってんだい!!」


「今だってこわがってるでしょう?魔力が揺れてますよ。」


「―――――!」


 顔がこわばる、否定ができない。


 彼女はこの今に到って恐ろしいのだ、オモルフォス――あの『美貌』の魔女ですら真っ向から戦ったというのにだ。


「おや、図星ですか?」


「貧相な体のガキが……!」


「おう、なんだ貴様、私の体つきに文句でもあるのか?枯れ枝の分際で人に物言える体か!」


 繰り出される言葉のくだらなさに反して、練り上げられた魔術の強さは並外れた物だ。


「『Μεγάλος ήλιος大輪の太陽, αφανισμός滅殺, σωρός στάχτης灰の山, καθαριστική φλόγα浄化の炎 - καθαρίζοντας φλόγες掃炎』」


「『Αλλαγή τοπίου移り変わる景観, μεταμόρφωση変生, αλλοίωση変質, μεταβλητός可変 μετασχηματισμός変容--αλλαγή変転』」


 詠唱の終わりと、鉄すら溶かす超熱の炎がマギアの足元から生まれたのはほとんど同時だった。


 舞台の石畳を瞬く間に溶かし、赤熱する溶岩に変えた炎がマギアの体を包んで――その姿を大輪の花に変えた。


「――っち!」


 舌打ちを一つ――今度は老婆の口から洩れた。


 マギアの物とは異なり明確に魔術を破られた事に起因する舌打ちは彼女の心中をありありと写す。


 苛立っていた。


 この闘技場――餌場でこれまで力を蓄えてきた彼女からすれば、こんな小娘と戦闘を演じていること自体がひどく腹立たしい事なのだ。


「ふむ……やはり序列6位ともなるとこんなもんですか。」


 序列――それは1200年前に語られていた魔女たちの中での力関係を示した順位だ。


 その中でも彼女は下から数えたほうが早い程度の女だった。


 事実を着かれたことが腹立たしいのか、震える老婆の声が響く。


「ほざきな!衆愚共が勝手に私たちの強さを測っただけさ!本気でやりゃ私が一番――」


「ずいぶんとまぁ……うちの祖母に一度も勝てなかった分際で大きく出ましたね、ああ、いや、知性の方にも勝てなかったんでしたか。」


 ――その一言はどうやら老婆の逆鱗に触れたらしい。


「――――――うるせぇぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇえっぇぇ!」


 叫び、体から魔力を呼び出す。


「私が!最高の魔女だ!!」


 その力にマギアが眉を顰める――明らかにこの女の物ではない魔力がある。


 これは――


『――なるほど、テッラの魔力を食いましたか……この分だとほかの魔力も誰か食って身に着けましたね。』


 古い呪術に人を食って力をつけるものがあるが――こいつがやったのはそう言うことだ。


 テッラをはじめとした強い選手の魔力を奪っていたわけだ。


 まったく――


『くだらない……』


 どうして、人から受け継いだ力だというのに彼とこうも違うのか……呆れの満ちた思考でそう考えるマギアに老婆の声が襲い掛かる。


「――お前に見せてやるよぉ!私のたどり着いた魔術の秘奥をねぇ!」


 叫んで、老女の体から溢れたのは八種の魔術だ。


 基本の火、水、土、風、そしてその変質、炎、氷、鋼、雷。


 それぞれの魔術を空中に待機させた老女が賢しらに、誇らしげに叫ぶ。


「どうだ!これが私の――魔術の極みだ!」


 なるほど、大したものだ。


 確かにあそこにある術一つとっても並の魔術師なら一生をとしても作り上げられない。


 それが八つだ、すさまじいのは認める。


「――これで、これで、お前は死ぬんだ!」


 認めるが――


「はぁ――」


 ――別に、それに意味があるというわけではない。


「――それが何なんです?」


 首をかしげながら、マギアが指を鳴らす。


 ――瞬間、世界が銀灰色に染まった。

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