数十秒の抱擁

「――ぇ……ぁ……何で……」


 茫然と、座り込んだマギアがつぶやく。


 目の前の光景が彼女には理解できなかった。


 それはあり得ないと思っていた


 先ほどまで操られていたはずの家族が、自分の前に立ちふさがって魔女たちに痛烈な一撃を食らわせていた。


 意味が分からない――彼女の卓越した頭脳でも、この状況は処理しきれなかった。


「――そこの蜘蛛くんがね、昨日、私たちの部屋に来たの。」


 マギアに向き直って膝を付き、視線を合わせて語りだしたのは背の高い方――母親である、タリスだった。


 その指は、足元でひっくり返って動かない水晶の蜘蛛に向けられていた。


「ぇ、あっ!」


 視線を落としたマギアが驚いたようにつぶやいて、力をなくした蜘蛛の体を掬い上げる。


 その手つきは優しく、感謝に満ちて見えた。


 その様子を見ながら、優しく目を細めた母は言葉を続けた。


「その時は、操られてた?みたいだけど、その子が部屋の中でこちょこちょ動いたら頭がはっきりした、の。」


 それが、昨日のいたずらの目的だった。


 彼女たちの監視が、マギアに比べて薄いのは分かり切っていた。


 あの魔女たちにとって、この二人は【手に入れた駒】だ、奪い返されることは想定されていない。するはずがない。


 彼女たちにとっての脅威は、あの段階ではマギアだけだ、そのマギアを拘束している以上、あれが状況を心配することはない。


 だから、最後の手品の種としてテンプスは彼女たちを選んだ。


 テッラには自分と戦う役がある、時計を使えば何かしらの策を練られる危険性がある。


 だから、絶対に危険視していないジョーカーが必要だった。


 そのために食品を盗み、この施設の機能を一時的にマヒさせたのだ。


「それで、その蜘蛛さん?といろいろとお話いたしまして。」


「ん、貴方のことも聞いた、よ。」


 そう言って、自分を抱きかかえるように手を開いた母に、マギアは――


「ぇっと……あの……」


 ――何を言えばいいのかわからなかった。


 感動的な再開にするつもりはなかった、もっと……もっとあっさりとした物になると思っていたし、今でも、そうするべきだと思う。


 だって……そんなことするような人間ではない。


 自分はもっと強くて……冷酷な人間であるべきだ。


 復讐など企む人間がそうでないはずがない。


 だから――もっと、当然のような顔で迎えるべきだと思っていた。


 ただ――そうなるかどうかは別だった。


「わたし……あの……私……」


「ん、大丈夫、だよ。」


「ちゃんとここに居ますよ姉。」


 そう言って、こちらに笑顔を向ける二人に彼女の中の何かが我慢できなかった。


 両腕を広げて、二人に縋りつく――


「――あの餓鬼……」


 ――それを看過できない女が歯ぎしりと共に体勢を立て直した。


 驚愕から立ち直り、投げ出された舞台の上に軟着陸を成功させた老婆は、それを待ち受けていたテッラの追撃から逃れるように、地面から勢いよく浮き上がった。


 狙いはあの家族だ。


「『しn――』」


 最大規模の呪声、この闘技場にいるすべての人間を呪い殺そうとするような悍ましい声。


「――よぉ、糞婆――」


 ――しかし、その声が世界にとどろくより早く、その動きを読んでいた深紅の姿が空中で煌めいた。


 この女が、あの三人の再会を邪魔することなど、それこそ人間が呼吸するのと同じぐらい当然のことだと深紅の影は思っていた。


 だから――彼は空中に跳んだ。


 空中にとどまろうとした童女の脇を抜けながら、ついでとばかりに踏みつけてさらに加速したその姿は、魔女が接近に気づく前にすべてを終えていた。


「――ねぇぇ?」


「――人の後輩にずいぶん勝手なことしてくれたじゃないか。」


 真横から響く声に老婆が固まる――魔術による迎撃はとても間に合わない。


 空中でくるりと回転しながら、深紅の影――テンプス・グベルマーレはその足に込められた力を開放した。


「――そっくり返すぜ。」


 防御が間に合ったのは、魔女の妙技があればこそだ。


 大気を魔力で操り、鎧の男と自身の間に差し込む。


 かき集められるだけの力を籠めて作り上げた『大気のクッション』は並の砲撃ならば容易く止めるだけの力があったが――この鎧を前に何の力も持たなかった。


 ゴン!


 真上からたたきつけられるような足の振り、まるで山をぶつけたような轟音と共に魔女の体が真下にたたきつけられる。


 足に込められた力をすべてたたきつけて、一瞬だけ、テンプスの体が空中に滞空した。


 その視線の先にいるのは――母親と妹に顔をうずめる少女だ。


 その光景に、彼は自分の行いの正しさを確認できた。


 あれが見れるのなら、それは正しいことだ。そうだろう?


 重力の楔が再びテンプスをとらえ、彼を地面に引きづり下ろす。


 ごん!


 と再び、重い物が何かとぶつかった時の重い音を響かせて、テンプスは舞台の上に着地した――テッラの隣に。


「――存外頑丈だな。」


「ああ……まあ、そうだとは思ってたよ。」


 そう言ってテッラはおもむろに槍を構えなおす。


 その視線の先には轟音と共に地面にたたきつけられ、噴煙に隠れていた老婆が見える。


 その傍らでは着地すら満足にとれずに、体をザクロのように砕いていたはずの童女が、ひどくグロテスクな方法で再生している。


「高速再生……見てはいたがきもいな。」


「仕方ないさ、性根はあれより腐ってる。」


「確かにな。」


 苦笑しながら、答えを返す。存外いう物だ――いや、単にこいつらが嫌いなだけか?


「俺はあの老婆に借りがあるんだ。」


「そうか……僕はあのクソガキだ。」


「じゃあ、お互いの相手は決定ってことで?」


「――ちょっと待ってもらおうか。」


 鈴が転がるような声が響いた。


「――何だ、もういいのか?」


 後ろを見ることもなく、テンプスが言った。誰が来たのか、声を聞かなくてもわかる。


「ええ――ここであの糞女を冥府に送れば、いくらでもできますしね。」


 そう言って鎧の横に並んだのは先ほどまで家族と抱き合っていた少女――マギア・カレンダだ。


 役者がそろった。カーテンコールまであとわずかだ。


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