かけられた言葉
「――急げ!資料をまとめろ!」
「はい――しかしどこの誰がこの治外法権に攻撃なんて!」
「わからん!わからんことだらけだ!!」
狂ったように叫ぶ上司を怯えた目で見ながら研究員は必死に自分たちの血と汗と涙の結晶をかき集めていた。
この施設が襲われていると警備の人間が叫びながら入ってきたのは十分ほど前の話だ。
何を言われているのか、一瞬わからなかった。
ここは絶対安全だ、ここに勤めてからの一年でそれをいやというほど知っていた研究員たちはその言葉を理解できなかったのだ。
茫然とする研究員の驚きをしり目に再び駆け出した警備員が扉を乱雑にしめた時、彼らは現実を理解した――つまり、やばい状況なのだと。
そこからは大慌てだ、彼らの従事していた様々な研究資料をどうにか逃がすために、大騒ぎで手を動かしている。
ここで行われてきた様々な太古の魔法の研究は、明らかに普通の研究所の成果を一回りも二回りも上回っている。
それをなくすわけには――
研究員が涙にぬれる瞳でそう考えるのと扉が甲高い金属音を残してこの世を去ったのはほとんど同時だった。
「――!――」
上司が何かを叫ぼうとした瞬間、彼に向かって何かが鋭く飛んだ。
それがこの国で一般的な硬貨であると気づくのと彼と上司の体が完全に動かなくなるのも同時だった。
「――お見事。なぜ私たちの時は使われなかったのです?」
部屋の外の暗闇から、凛とした声が響いた。
声に続くように部屋の中に姿を現したのは背の高い人型だ。
片や三メートルを超えた長身痩躯の人間、手に長大な大剣を持つ――猛禽類の頭部を持つ男。
『鳳落とし』のモーズ。
英雄伝承にすら名高いその男は、武器を使わず彼自身の力で鉄扉を叩き潰してこの部屋に侵入した。
「あんたら相手だとほとんど効かんのだ――持って行ってなかったしな。」
その後ろからもう一つの声がした。
まだ若いその声を、研究員は知っていた。
それはこの部屋に自分たちが押し込められている理由、自分たちの英知で見通せぬ深淵の道具――金細工の時計。その持ち主。
「なるほど、では幸運でしたね。」
そう言って朗らかな声を出す『鳳落とし』のモースの後ろから現れたのは、すでに死んでいるはずの男。
この施設で最高の記録をたたき出した――『魔力不適合者』。
「――悪いね、そいつは僕のだ、返してもらおうか?」
すたすたと歩いて自分たちの目の前に現れた男はやはり死んだあの男――テンプス・グベルマーレの顔をしている。
研究者とその上司は混乱の極みに居た、居たが――だからと言って、状況が彼らのことを舞ってくれるわけではない。
淀みなく動く死人は机の上に無造作に放り出された彼の所有物――鉤爪のような形の妙な剣と金細工の時計を手に取った。
「お帰り――妙な細工はなさそうか。」
そう言って、彼は自分の最高傑作を手に収めた。
「この後は?」
「予定通りだ、ここも燃やす――こいつらは廊下にでも放りだしておけばいいだろう。」
それは研究者たちからすればひどく恐ろしい言葉だった。彼らの血と汗と涙の結晶をこいつらは台無しにすると語っているのだ。
抵抗しようとしたが――それはかなわない。
「かまわないのですか?あなたの推論が正しいのでしたらここに来るのは国の騎士なのでしょう?」
「少なくとも逮捕権がある人間が来るとは思うがね……かまわんさ、どうせ全部吹っ飛ぶ物の痕跡なんて残す意味がない。」
言いながら、彼はあの地獄の底に残してきた罠がまだ起動していないことを感じていた。
この分だと、手動で起動させる必要があるかもしれんなぁ……と考えながら、彼は自分の手になじむ武器の柄を撫でる。
「ふしぎな形ですね――石弓ですか?」
「みたいなもんさ――行こう、時間ないんだ。」
「ええ――」
そう言いながら、テンプスは小汚い袋から取り出した金属板を取り戻した武器に装填した。
モースが小脇に二人の研究者を抱えて、頭を下げながら扉を越えていくのを確認したテンプスは引き金を引いた。
その日は朝から変だった。
顧客への対応も悪かったし、どこか施設全体が騒がしいように感じていた。
だが、問題はないだろう――そう考えていたのだ、それが起きるまでは。
「――キャーーーーーーー!魔族よ!!魔族が……観客席に!」
誰かがそう叫んだ時も、彼はなにかの余興だろうと思っていた。
だから泰然としていた――自分の目の前に爬虫類の体を持った人型が現れるその時まで。
「ひぃぃぃぃ!ひぃいいいいいいい!」
喉から妙な音が出た。
自分が生徒達に出させている物とも別の声――恐怖でのどが勝手に震えて出るその悲鳴は、ひどく情けなく、ただ止まらなかった。
自分の目の前で荒い息を吐く爬虫類は、けれど、自分を餌としてではなく、何かの意味がある存在として見ているらしいことを彼は股間を濡らしてから気がついた。
では、逃げてもいいのか――というとそうではない。実際、逃げようとした何人かの客は魔族の剛腕で地面に伏されている。
攻撃はされないが同時に逃げられもしない。
この不思議な状態に終止符を打ったのは突然響いた音質の悪い放送だった。
『――あー……聞こえてるかな?』
それは普段の司会ではなく、明らかに若い人間の者だった。
『ふむ、聞こえてそうだな。では――
そう言って声を張り上げてるその響きに彼はどこか聞き覚えがあった。
それはいつか――そう、あの大会――ジャックの――
『で、大変申し訳ないんだが――これから皆さまは僕の人質だ。』
そんな思考は、ひどく恐ろしい一言で途切れた。
人質?自分が?
『ここの……あー……家主?に用があってな。正直、あんたらはおまけだが――ないよりはいいからな。』
そう言って、若い声は笑った。
冗談ではない!そう思ってはいたが、それを口にするには目の前の魔族が恐ろしかった。
『この部屋の放送はこの施設全体に響いてる……んだろ?』
『はっ、え、あ、はあ……』
『どうなのだ。』
『そうです!』
『結構――じゃあ、聞こえてるよな、黒頭巾!』
そう言って、彼が呼んだのはこの施設の最高責任者である――あるいはそう言うことになっている女。
『逃げられなくて困ってるんだろう?あの掃きだめのガラクタはお前らの計画の要だ、あれを捨てては逃げられないだろう?それとも、僕の後輩の婆さんにやったみたいにとんずら扱いて機会を待つのか?』
どこか馬鹿にしたように声が続ける。
『どっちでもいいがな、ここはひとつ――』
それが計画の最終段階だった――ここで乗ってきてもらわなければならない、公算は高かったが、それでも不安は残る……どこまでも運任せな計画だった。
それでも、彼は言葉を続ける――ここまで来たら、続けるしかないのだ。
一つ息を吸って――決定的な一言を告げる。
『――あんたに耳寄りな取引があるんだけどな。』
それは、いつかの夜に彼がかけられた言葉だった。
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