希望が口を開く
「―――あん?」
六日目の朝、夜通し書き続けていた壁面に最後の絵柄と色を入れた時、テンプスは感覚の端に不明な揺らぎを感じた。
ごく小さいが明確なそれは、ひどく遠い場所で何かの爆発でも起きた様に彼の感覚を揺らす。
『――討ち入り?ここにか?』
それはあり得ないことだった。
彼が初めてこの施設のうわさを聞いたのはこの町に来た頃――もうすでに四~五年以上前だ。
その時にはすでにこの施設のうわさは後ろ暗い世界では著名な物だった。それでも、この施設はこうしてここにある。
それはつまり、この施設がそれだけの期間この地の底で鎮座していたことになる。
それが意味することはこの施設がそれまで法の目をかいくぐっていたという事実だ。それはこの施設を利用する人間からも分かる。
社会的な地位があり、同時にこの手の施設に世間的に入ることを許されない――いや、許される人間などいないが――人間。
そう言う人間たちがここには大勢いる。テンプスが戦闘しながら見ただけでもそれなりに地位のある人間の顔が見えたぐらいだ。
そんな施設に討ち入りとなると――
『……まさか、あのバカ入ってきたか?』
それをさせたくないからあの二人をつけたのだが――止まらなかったのか、あるいは便乗されたのか。
「義理堅いやつらめ……」
おそらく、後者だと考えたテンプスはそっと嘆息する――それなら、弟を棄権から遠ざけてほしかったものだが。
『ま、無視されるよりはいいのかもしれんが……』
指に付けた塗料――もしくは自分の血――をぬぐいながら、テンプスは苦笑する。
計画に変更が必要だった。
ここに討ち入りなど入ってしまえば、魔女たちはマギアを連れて逃げるだろう――その前にケリをつける必要がある。
そう考えたテンプスは足元の装備を眺める。
拘束のコインが二枚。
フェーズシフター用のレンズが一枚。
オーラ浸潤済みの刀剣は折れた。ここからは素手だ。
『――これで時計の置いてあるらしいらしい研究室に向かう――まあ、どうにかなるか。』
すでに時刻は体感で六時を回っている――今日の第一試合まで後一時間かそこら。
本来なら配給が来る時間だが、今のところその気配はない――昨日飯を盗んでいてよかった、これでもし昨日たらふく食わせていなければ飢えた魔族と大乱闘だ。
異常事態が起きているのは間違いない、配給が来ないのはそのせいだ。
元々の計画では配給に来た昨日の運搬人をつぶしてここから出る算段だったのだが……そうもいかないらしい。
「ま、何でも計画通りにはいかないか……」
どこか他人事のように、テンプスは一言呟いた。
テッラのこと、この魔族たちのこと――マギアのこと。
『後は流れに任せるしかないか。』
どこの入り口から入ったのかは知らないが、少なくともここにつくまでに三時間かそこら――短く見積もって二時間でかたずけたい。
『……ちょっと早いが……やるか。』
眉を顰める――計画よりも一時間ほど速いが、準備は完了している。
「――バルド、やるぞ。」
「む……早いのでは?」
「配給が来ない――たぶん、それでそれどころじゃなくなってる。外でなんかあったんだろう。」
「ふむ……お前を探しに来たか?」
「どうかな、ここに乗り込んでくれるほど僕に関心がある人間はいないと思うが……」
苦笑する――実際、自分にそこまで注意を向けてくれる人間に心当たりはない。マギアならともかく。
『もう一日は余裕があるかと思ったが……やっぱり優秀だな。』
苦笑しながら、彼は弟の友人たちを思い返す――本人が調べたとは思えない、アネモス当たりの調べだろう。
体をバキバキと鳴らす――やはり一晩中の体を縮めての作業は体に悪い。
おもむろに魔族たちの間をすり抜け、魔術によって封印された扉の前に立つ。
魔族たちの顔には明確な恐怖と――同時に、どこか希望がある。期待には答えるべきだ。
おもむろに、腰に備え付けた小さな袋に手をやる。
自分の足に縋りつくように袋を見つめる小さな魔族に苦笑しながらテンプスは告げる。
「あいにく、今日はここから飯は出ないよ――自分で取ってきな。人は食うなよ。」
そう言いながら、彼はキビノに渡され、昨日、水晶の蜘蛛が食物を盗み出す際に使われた小さな袋の中からぞろりと、何かを取り出す。
「――さて、派手に行こうか。」
それは、細長い筒だった。
牢獄に彫り込まれた初日から寝るふりをしてこそこそと作り上げたそれは、スカラーの道具――のごくごくできの悪い複製品だ。
その辺の下水の鋼管を切り裂いて作られたそのごみの塊は、『時計』に以前使われていたアグロメリットとテンプスの知識で今や一度限りの『破城槌』として機能していた。
アマノの薬で再び力を取り戻した彼の体からオーラが流れ、アグロメリットがオーラにパターンを与えその力を解き放つ。
筒の後ろを押し込むと同時に、パターンによって強化された圧力が筒の中で反響し、さらにパターンの影響を受けて力を増し、さらに筒の中で反響し――
それを繰り返して、最大の威力に達した風圧が扉を強かに叩いて蝶番を壁からもぎ取った。
扉が勢いよく内側からはじけ飛んだ。
自由が口を開いていた。
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