あと一日

「――あの屋敷で魅了が解けた後ずっとここに?」


「ああ……その節は世話をかけた。」


 数か月ぶりの再会は、テンプスが予想していたよりもずっと穏やかな物だった。


 というのも――バルドもまた、オモルフォスの他の犠牲者と同じように記憶を保持していたのだ。


 あの屋敷でテンプスと戦った際の記憶を有する彼は、テンプスが自身を殺さなかったことも覚えていた。


 それを恩に着た彼は彼に襲い掛かる魔族を沈めたのだ。


 「別にいいのに。」と言ったテンプスに、魔族騎士は憮然と言い切った。


「そうはいかん、騎士として、救われた命の借りは返されなければならん。」


 そう言って厳めしい顔をする彼には、明確な騎士の誇りが見える――この男をあんな薬物中毒者のように変えてしまうのだから、オモルフォスの魔術の恐ろしさも分かろうものだ。


「あんたの相棒は?」


「あそこだ――と言ってもわからんだろうが。」


 そう言って熊の大柄な指が指し示すのは壁面に並んだ円筒形の物体だ――それが何か、テンプスにはわかった。


「『眠りの幹』か、ずいぶん手の込んだ部屋だな。」


「――!わかるのか。」


「魔族については知らんが――まあ、あれは知ってる。」


 それは、魔族の『寝床』だ。


 黒々とした酸化鉄を使って作られているその魔法の道具はいけkんすると夜の森にそそり立つ木々のような色合いをしている。


 それは魔族を収納し、強制的に休眠を引き起こさせる装置だ。


 ごく初歩的な『昏睡』の魔法――マギアの扱う魔術の源流に当たる術だ――によって意識を強制的にシャットアウトするその危機は、様々な秘蹟の効果により、魔族の体を一定の基準に保ち、常に優れたパフォーマンスを実現できるように調整する。


 テンプスの後ろで部屋の主のような顔をして居座る、悍ましい魔法機器の付属品であるそれは、スカラーではこう呼ばれていた。


        ――変質生物調整漕――と。


「あー……もしかして、僕が暴れすぎたか?だとしたら、すまんね。」


 思い返すのはオモルフォスの館での交戦だった。


 馬車に轢かれ、体の限界が近かったテンプスが加減で来ていたとはとても言えない。鎧の全力を出したともとても言えないが――人間相手に振るっていい力を越えていた可能性は十分にある。


「かまわん――あのような醜態をさらし続けるなど、われわれにはとても耐えられん。殺されても礼を言ったろう。」


 そう言って顔をしかめる、その顔に刻まれた苦渋はオモルフォスの館での日々によるものだと、テンプスでなくとも想像がついた。


「それよりも――あの少女、無事なのか?」


「とりあえず今は。ただ、まあ、早く助けたほうがい――」


言葉が止まる、部屋の外に気配。


「―――隠れろ、来るぞ。」


 鋭い一言に、テンプスの体が動く。


 筋肉と精神に正しい力を流し、体にパターンをまとわせ秘匿性を持たせる。


 次の瞬間、閉じられていた扉が開いた。


 姿を現したのは二人の男――先だって、テンプスのことをこの部屋に運び込んだ二人組と同一人物だった。


 テンプスの視線の際にいる二人の男は、先だってテンプスを連れ込んだときと同じように重そうにその手の袋を置き魔族たちをまるで汚物でも見るように眺めている。


 その光景を魔族たちは遠巻きに見ていた。


 彼らの胸にある文様からから発する光におびえているその様子は、彼らが人間ではなく動物であるかのように錯覚させるものだった。


 その光は、魔術によるものだ。


 おそらく魔女あたりが施したのだろうその強い術は、周囲に恐怖と強い忌避感を生じさせ、攻撃を阻害する。


 その頼りのない光だけが彼らを守る生命線だった。


 どこか逃げるように背を向けた彼らを、憎々し気に見送った魔族たちをしり目にテンプスは体を再び可視光の下にさらした。


「――妙な術を使うな、魔力は感じんが。」


「世の中は広いんだよ。」


 ぐちゃぐちゃ。


 軽口をたたく二人の眼前で、どこか水っぽい音を立てて魔族たちの食事が始まった。


「……すまん、お前にとって気持ちのいい物でもなかろう。」


「……まあ、正直誰が見ても胸の晴れる光景じゃないよ。」


 そう言って視線を向けるそこにあるのは、理性ある生物の尊厳を捨てるような光景だ。


 地面に落ちた『肉塊』をむさぼる、獣の姿をした生き物――まるで地獄の底のような光景。


 どこかで絵画にでもなっていそうなその光景は、しかし現実特有の生臭さと共に目の前に広がっている。


 その光景に魔族騎士とテンプス――と、魔族たち本人すら、いい顔をしていない。


 地面に落ちた『餌』に群がる魔族たちの目には涙が浮かんでいる、彼らとて、『それ』を食いたくはないのだろう――人の死体など。


 この施設では常に――常に人が死ぬ。


 闘技場の試合。


 観客席での『お楽しみ』が過ぎて。


 あるいは――ここに行き付くまでに何かしらの思惑に基づいて襲われて。


 様々な理由で人が死ぬ。


 ここはその『廃棄場』だった――


「……本来、ここまで見境のない者達ではないのだが。」


「いいよ、わかってる、これしか食うものがないんだろう?」


 それが、彼らがテンプスに襲い掛かってきた理由だった。


 彼らは強制的に飢えさせられているのだ。


 その上で、彼が以前見た物に酷似した薬を打たれ、理性を狂わされて――見世物にされる。


 てっきり、意図してこの地獄の底にいるのだと思っていた彼は少しばかり面食らった――こういう環境を好み、人を食い散らかすことに喜びを覚える魔族もいると、聞き知っていたからこその勘違いだった。


「――あまりにもむごい生だ。いっそ、死んでしまった方が楽なのかもしれない。」


 そう言った魔族騎士に、テンプスは何も言えない。


 言う必要もなかった――


 ただ――


『……もう一日……かな。』


 体感時計が告げている――零時を回った。


 今日一日を準備に使って、おそらく六日目の零時ごろ。


 現状、もう一人の自分である小さき蜘蛛の妨害工作であの女たちが行おうとしている『計画』は若干の遅れを見せていた。


 ただ――それでは、ここにいる者達を助けることはできない。


 テンプスの計画ではこの装置を破壊するだけのつもりだったが――もう少し手品がいりそうだ。


 そう感じたテンプスはもう一人の自分に声をかける――とびっきりのいたずらを始めるつもりだった。

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