テンプスの計画
彼がこの計画を思いついたのは下水道に入り込んですぐ、大して時間もたたないうちに二組の見張りに襲われた時だ。
スカラーの御業でもって体を隠し、ほとんど不可視になりながら進んでいた彼を、追跡者たちはまるで見えているかのように追跡してきた。
その時点で、彼はこの下水道が魔術による監視下であり、おそらく、不意打ちから強襲で魔女の身柄を抑えるのは不可能だろうと考えていた。
そう、彼の最初の計画はマギアの救出ではなかったのだ。
それは、マギアの部屋――まるで隠居した賢者のように女っ気のない部屋――で開いたままの石棺を見た時にはすでに考えていたことだ。
この時点で、あの連中の計画がどのようなものであれ、人質が三人に増えたことは明確だ。
その上、彼の中ではテッラの裏切りには疑問があった。
なぜ自分は生きているのか?
確かにテンプスはあの不意打ちで痛打を受けたものの、あくまでも致命的な傷でしかない。
回復する可能性は十分にあったし、実際直った。
この時点で、彼はテッラの裏切りに疑問を持ち、彼の事情を知る必要があることを認識していた。
そうなってくると、彼を含めてあの魔女が身柄を抑えているのは四人になる。
正直に言って、ひそかに助けて逃げ出せる人数ではない。確実に見つかる。
だからと言って誰か一人でも置いて行く選択肢はない、魔女のもとに置き去りにすれば、魔女が何をしでかすのかわからない。
ゆえに、彼は『極ひそかに魔女の懐に入り込んで一撃で魔女を無力化、その上でマギアを開放し、ほかの人質を解放する。』という作戦を考えていた。
そのための装備も持ち込んでいた――キビノにもらった袋はずいぶんと役に立ってくれた。彼の家に入り込んだ時点ではまるで山菜取りに来た山の住人のような様相だったのだ。
しかし、この計画は使えない。
そもそも、懐に入り込めないのだ。まともにやりあえば、自分は魔女に勝てない。時計が――『鎧』が必要だった。
そこで彼は考える。
これはある種の好機だ。と。
このまま、自分が何かしらの罠にかかった場合、相手はおそらく自分を捕まえるはずだと考えていた――自分を『マギアへの人質』にするために。
そう、実のところ、魔女達にはマギアの行動を制限する方法がないのだ。
技量だけで言うなら、マギアは魔女と同格か、あるいはそれを上回る。
九人目の聖女のことを直に目にしていた魔女達からすれば彼女は恐怖の対象でしかない。
ゆえに、保険がいる――それもなるだけ多く。
家族は十分に保険たり得る……と思うかもしれないが、実はそうもいかない。
『マギアは開かれた石棺を見ていないのだ。』
ゆえに、彼女の中には『自分をさらった二人は偽物である』可能性がついて回る。
その可能性を信じて彼女が暴れた場合、魔女たちは甚大な被害を被るだろう。
その点、自分は間違いなく本物だ――そう信じさせる簡単な方法がある。
体質だ。
自分に軽い麻痺の魔術でもかけて反応を見せればそれは間違いなく本体である証拠になる――まあ、そこまでせずとも、マギアは信じたようだが。
ゆえに、魔女たちは自分をとらえてもすぐには殺さないだろうという確信があった。
だからこそ――これは好機だ。
魔女たちの企みを暴き、同時にテッラの問題を取り除く。
最良とは言えないが――暗殺がうまくいかない以上、これしか方法は思いつかなかった。
何かしらの魔術で操られるのではという懸念はあった物の、精神に干渉する類の呪いには幸い耐性がある。スカラーの教練が彼の心を守っているのだ。
そこまで考えた彼はこの計画を本格的に詰めた――小さな蜘蛛としての自分と共に。
『歯の奥にアマノにもらった薬を仕込んだのは』童女との接触直前だった。
明らかに罠の終着点であるあの場所で何かしらの脅威待ち構えているのは疑いようがなかった。
その脅威を前に、彼はできうる限りの対策をした――そのひとつがこれだ。
それがまさか魔女の孫だとあの時点での彼は思わなかったが――この対策は最終的には役に立った。
次に計画が変更されたのはテッラの事情を知った時だ。
救助対象が増えた。
それも、これまで計画に入っていなかった人物であり、不確定要素の多い相手だ、出くわした際の様子から悪人ではないと考えてはいたが――同時に、どう動くのかも判定が難しい。
この時点で、彼は最終戦での脱出をあきらめた。
本来の計画ならば、彼は四日目の朝――つまり、つい数時間前に童女にこう頼む予定だった。
「相手がだれであれ、自分は勝つ、そのまま彼女を連れて帰るので彼女をこの舞台に呼んでおけ」と。
そうして、蜘蛛が時計を回収し、魔女と交戦、これを撃破する手はずだった。
魔女達からすれば自分は「戦闘力が高いが魔術への耐性のない男」と見られているはずだ、この要求が通る可能性は高いだろうと考えていた。
そのために、わざわざ弱化の魔術にかかって試合に出ていたのだ。
ソリシッドにマギアにかかる呪いを完全に打ち消させなかったのもそれが理由の一つだ。
自分には超自然的は扱えない――そう思わせたかった。
全てはこの要求を通すためだった。
マギアを動かす以上、マギアの家族もつれてくる可能性が高い、あの部屋の外でマギアを抑制するのに最も有用なのは人質だ。
そこで魔女を倒せば――
だから、武器と道具だけで戦い抜いた……のだが、それはあの仮面の少女との接触、そして――あの悍ましき『人間性の底』との出会いで、そうもいかなくなった。
あれだけは完全に破壊する必要がある。魔女を倒した後に破壊する暇があるかわからない――何かしらの罠ですぐに逃げる必要がある可能性は考えられた――以上、これを壊した後で魔女を始末するしかない。
そのために選んだのが今回の作戦だ。
『一度死んで、死んだ先で蘇生する。』
雑に言えばこう言うことだ。
奥歯に仕込んだ薬の効果を信じ、テッラの頭脳と弟との友情を信じたこの作戦は、失敗する確率もそれなりにある物だった。
まずはテッラとの戦闘中に体を過剰に接触させて極小声でささやく――まるであえぐように小さく。
「――お前が助けたいのは瞳の書かれた面の女か?」
そう聞かれたとき、テッラの顔に宿った驚きは間違いなく本物だった。
そこから、彼らが躱していた会話はすべて不自然にならないように調整した「作戦会議」だった。
テッラがそれを聞いて彼の思惑に乗ってくれるかは賭けだったが――うまくいったらしい。
彼は計画通りにテンプスを「殺した」――アマノの薬を歯の奥に仕込んだテンプスを。
彼が最後の瞬間に飲み込んだ唾液と血には歯の奥に仕込んでいた薬が混じっていた。
その力は絶大であり、ほとんど死人のような有様だった彼の体を癒し、疲労すらかき消した。
そうして、テンプスはここにいる――水晶の蜘蛛が見つけ出した人間性の底、おぞましさと痛ましさの庭である場所。
「――ぐるるるるるっ……」
――飢えた魔族奴隷の山とその奥に置かれた悍ましき魔法装置の前に。
其れこそが彼が――スカラーの継承者が砕くべき悪夢の名だった。
まあ、何はともあれ――
『まずは先輩とのご挨拶だな。』
苦笑交じりにテンプスは唸る魔族に向かって構えた――まったく、疲れる一日だ。
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