恐怖と計画

「――はっ?」


 再び、童女の顔が驚愕にゆがむ――もはや理解不能だった。


 なぜ死んだ男の声がこの部屋に響く――この魔術が使えぬ部屋に。


 即座に周囲に視線を巡らせる――この部屋の中でどうやっても術は使えないはずだ。


 この部屋は魔術師を……それこそ、自分のような常軌を超えた存在を閉じ込めるための部屋だ。


 ここで魔術を扱うことは自分でもできない。目の前で謎の幕に覆われている年増や自分の祖母のような存在はごくごくまれな例外だ。


『たぶん、お相手の方が僕を探してるだろうから伝えておくが――僕を探しても無駄だぞ、少なくともそこにはいない。』


 揶揄うように声が響いた。


 まただ――あの日自分の企みに乗って死地に来た間抜けな男の声がどこからともなく響く。


「――どこ!どこにいるのよ!!」


 絶叫、働か見れば狂人のように叫ぶ童女をしり目に響く声はその矛先を変えた。


『――マギア。』


「!」


 突如として名を呼ばれた少女が顔を上げる。


『この声を君が聞いてるってことは、たぶん僕は君の傍にいないんだろう――そういう時に流れる声だからな。』


 そう言ってどこか苦笑したように声を震わせた彼は、どこかばつが悪そうに言葉を続けた。


『どういう状況かはわからん、何が起きてるのかもわからん……わからんが……君のことだ、またいつもみたいに自分のせいだって自分を責めてる気がした。だから言っておくが――』


 一端言葉を区切る、何を言うのか考えているかのような空鶴の瞬間は、マギに息を飲むような心持を与えるのに十分な緊張感をもたらす。


『――信じろ。』


 そうして告げられた一言は簡素で、ただ、彼女が恐れていたような一言ではなかった。


『確かに僕はそれほど役に立つ男じゃない、兄貴や弟に比べたら非才だし、爺さん程天才でもない。』


 自嘲するように、彼の声が苦笑を帯びる――彼は自分のことを話すとき、いつも苦笑いをするな。と、益体もなく考えてしまった。


『それでも、僕は爺さんの孫で、サンケイの兄貴で――』


 どこか、恥ずかしがるように、彼は最後の一言を続けた。


『――君の先輩だ、全部何とかする、信じて待ってろ。』


 そう言って彼の声が消える――気配も共に。


「……勝手な人……」


 そう言った彼女の口もとはまるでひどく美しいもの見た様に緩んでいた。


 彼女は彼の声が響いた原因を気づいていた。


 あの水晶の蜘蛛だ。


 そう言えば何やら、仕込んでいたと聞いたな。とはるか昔のことを思い出すように彼女はそのことを思い出していた。


 水晶の蜘蛛が動かなくなったと同時に起動することになっていたパターンによる録音は、間違いなくテンプスの思惑の通りの力を発揮していた。


 そして、彼が予想していなかった効果もまた……


『――報告しないと……』


 童女の顔には今までにないほどの驚愕が浮かんでいた。


 彼女にはテンプスの使用した力が何なのかわからなかったのだ。


 この部屋では魔力が使えない。使えないし――あの男は魔力不適合者だ。


 どんなばじょであろうが魔力など使えない、欠陥品のはずだ。


 だというのに……だというのに、姿も見せずに自分たちに声を届かせ、自分にその形跡すら見せない。


『何、ナニコレ……』


 わからない。


 この男が何をしているのかわからない。


 だから彼女は自分が知る中でも最も優れた存在に助けを求めた。


 あの男が自分にも理解できぬ力を扱うというのなら――これはすでに自分にどうこう出来る範囲を超えている。


 これまであの男が見せて来たものが全て偽装であるかもしれないのだ、どんな罠を仕掛けているのかわからない。


 そもそもこの女と――自分の祖母すら直接の対峙を避ける女とつるんでいたのだ。自分に理解できぬ術の一つや二つあって可笑しくないのでは?


 死んでこそいるが――いや待て。



 そもそも――本当に死んだのか?



 あの時、確かにあの男が胸を貫かれるのを彼女は見た――が、同時に、それがこのよくわからない技による何かしらのまやかしでなかったと言えるだろうか?


『おばあちゃんに聞かないと……早く!』


 彼女は心中に満ちる謎の感情に導かれるまま、石室を飛び出した。


 彼女は自分を突き動かす背筋に這うその感情の名前をいまだ知らない――恐怖と呼ばれているその感情の名前を。






 童女が勢いよく部屋を飛び出したのとほとんど同時に、死体運搬係達は目的地にたどり着いた。


 重い鉄扉に隔てられたそこは、以前水晶の蜘蛛が見つけ出した悍ましき研究の終着点。


 彼が人間性の底と呼んだ場所に、今まさに、テンプスの死体が運び込まれた。


「――何回見ても、この場所は気味が悪りぃな……」


「仕方ねぇよ……さ、ずらかるぞ。ここにいて餌にされたくねぇ……」


 そう言って、踵を返して死体運搬係は歩き去る――死体袋に包まれたテンプスの『死体』を置いて。


 重い扉が閉まる。


 灯もない部屋の中、何もかもが闇に包まれて――


「――やっと着いたのか……」


 死体袋から、声が響いた。


 次の瞬間、死体袋から腕が突き出た。


 突き出した腕は一度引き込み、突き抜けたその穴から伸びた腕は、順当に穴を開き――そこから体が出た。


「――死体袋の中ってこんな狭かったのか……」


 不快そうに体を伸ばした死体――テンプスは不満に満ちた声でそう言った。


『――ソリシッドと接続できん……使ったか。ってことは僕のメッセージは届いたな。』


 そこで彼は、自分の思惑が今のところ問題なく推移していることを理解した。


『最初の計画からはいくらかずれたが――まあ、悪くないところまで来たな。』


 ゆっくりと体を起こし、アマノの薬で癒えた体を確認しながらテンプスは計画を思い返す――結局、これはこの下水に侵入した時から始まったのだ。

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