最後の試合
深く息を吸う、肺の中身をすべて吐き出すように吐く。
言葉にすると簡単な事だが明確に実態を伴った状態で行うのは言葉で見るよりもずっと難しく、ずっと奥深い物だ。
かれこれ二時間、この動きを体になじませるように続けていた牢獄の虜囚――テンプス・グベルマーレはゆっくりと目を見開いた。
彼の中から感覚が告げる、試合が近いと。
煩わしそうに眉間を揉みながら、弱化の魔術がかかる前に彼は自己の脳に流し込まれた情報を思い返す。
先日、自分の分身たる水晶の蜘蛛が暴きだした情報は彼にとって相応に価値がある物だった。
仮面の女の存在、自分に与えられる今日の試練、魔女の正体――
『……あの調子だとたぶん、まともな生き物じゃねぇな……』
あの女が真実、魔女の孫だというのなら、どれだけ年が離れていても齢にして1000は越えているだろう――尋常な方法で生きられる年数ではない。
『若作りもほどほどにしてほしいもんだな……』
どこか呆れたようにテンプスは顔をゆがめる――ただし、その顔に宿っているのは飽きれというよりは危機感だった。
『マギアクラス1人に控えめに見積もって宮廷魔術師長クラス1人か……勝てねぇな……』
彼の危機感の元凶はここだ。
オモルフォスの一件の際にも思ったことだが、古の魔術師の相手はとてもではないが生身ではできない。
あの女たちからすればただのいびきで人が殺せるのだ、鎧があれば話は別だが――そうでないなら自分では戦えない。
『……マギアの反応からして、たぶん魔女ほど警戒する相手じゃなさそうだが……僕だと十分脅威だろうな……』
そもそも、今の彼は十全に動ける状態ではない。
三日間の連戦の傷、疲労、武器の損耗に道具の消耗……すべてを加味すると、とてもではないが戦えない。
戦うためには相当の準備がいる――最低限、自分の装備を回収せねば。
それに――
『あの施設……』
水晶の蜘蛛がみつけだした『人間性の底』、奈落の底に横たわる死体の群れのようなあの場所を放置するわけにはいかない。
あれだけなんとしても壊す必要がある――計画を変更してでもだ。
幸いにも侵入するための方法は思いついている――が、問題が一つあった。
『……マギアが心配だな。』
そのためには少々強引な手を使うしかない――そうなるとマギアに与える精神的な損害は回避できない。
『……ソリシッドに任せるしかないか。』
あれとて自分だ、彼女を見捨てはするまい――後で二三発突かれるかもしれないが、それは自分の責任だ、甘んじで受けよう。
方向性は決まった――そう考えたテンプスに鉄格子の向こう側から声が響いた。
「――おい、学生。出番だ。」
組んでいた足を解きながら、そちらをむけば、初日からこの部屋を担当している牢の番人がテンプスに声をかけていた。
その声にどこか面白がるような響きを感じて、テンプスは苦笑した。
この男も、上の人間から聞き及んでいるのだろう――今日の対戦相手について。
この分だと、あの推論は正しいのだろう。
いよいよ大一番らしいと、彼は眉をひそめた――《あいつ》相手に、弱化の魔術越しに勝てる自信は正直に言ってない。
弟とためを張る上に明らかに勝負勘はあっちの方が上だ。
『できれば、この状況になる前にどうにかしたかったが……』
こればかりは仕方がない、避けようのない戦いというのは世の中にはある物だ――それが、こんな形のものである必要性はないと思うが。
入口まで到着した彼を、牢番はにやにやと笑いながら送り出した――と同時に、彼の体をまるで金属板にでも押し付けられるような重みが襲う。
弱化の魔術だ――今日は一段ときつい。
『前情報通りか。』
先日、あの童女が語っていた通り、今日は一段階強める腹積もりらしい。
どうにも動きにくい。
体の動きがいまだかつてないほど悪い。昔に戻った気分だった、まともな体ならともかく、今の自分では勝ち筋は薄い。
薄いが――
『ま、薄いなら薄いなりにやりようがあるか……』
後は、魔女がこちらの計画に気づくかどうかだ。
気づかれたら――いよいよ終わりだ。
それなりに練り上げた計画ではあったが、相手がマギアクラスの魔女ともなれば、その成功率に不安が残るのは否定できない。
『――ま、出たとこ勝負だな。』
ひどく重い体を引きずりながら会場に続く大門を超える――いつもよりも強い歓声が響いた。
何時にもまして明るい円形闘技場の中で、歓声と好奇の視線がテンプスに刺さる。
『――さぁ、やってまいりました、世紀の大決戦!片や誰にもなしえなかった3日で99連勝を成し遂げた奇跡の新人!この3日で追った怪我は肩の一つのみ!ただの一人も殺さず、敵をことごとく倒した驚くべき男!魔力なしのテンプス!』
実況役がいつにもまして熱のこもった声で叫んだ。
当然だろう、自分たちを取り囲むように配置された観客席は今まで見たこともないほどの人間であふれかえっている。
その全員が、テンプスの死を望んでいる様子だった。
しかし、テンプスの視線はそんな喧騒を一切関知しない様子でただまっすぐに前を見つめていた。
『片や、この闘技場にて最強の名を欲しいがままにしている魔人!敵対者をことごとく一撃で沈め、その圧倒的な魔術からついた名は『土石の覇者』!今回の戦いもまた一撃で決めることができるのか!?』
テンプスがゆっくりと相手に向かって歩き出す――相手もまた、彼を十止めていた視線を止めて彼に向かって歩みを進めた。
「――やあ、どうも、三日ぶりだな、テッラ。」
「……そうだな、三日ぶりだ――テンプス。」
そう言って、二人は視線を交わらせた――強い敵意と殺意を乗せた視線を。
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