掘りぬけた先の景色

『――驚異の快進撃です!『魔力なし』のテンプス、とうとう記念すべき百戦目!!明日の第一試合に選ばれた記念すべきこの試合の相手は『土石の覇者』!この闘技場一の戦士との決戦!彼が行くのは天国と地獄、どちらなので――』


 がなり立てる伝声管を眺め、水晶の蜘蛛はある痕跡を追いかけていた。


 地面に点々と落ちるかすかな物体の破片――血痕だった。


 それは二時間ほど前に、ソリシッドが気づいた痕跡だった。


 最初、彼はこれを何かの試合の後始末の結果だと考えていた。


 あれだけ派手な試合だ、テンプスが一人でひたすらが殺さぬように動いたところで、死人は出ているだろうと。


 だが、ふと気がついた――大きい方は一日八時間ほとんど休みなく戦っている。試合と試合の間を考えないのなら、この闘技場の始めから終わりまでだ。


 そして、蜘蛛の調べによれば、この空間に闘技場は一つだ。


 であれば――あれはいったい、なんの血だ?


 大きい方がほとんど血すら流さずに敵を倒しているのは知っている、だとすればあの血はいったい何なのか……


 そう考えた時、水晶の蜘蛛の脳裏に天啓のようにひらめきが走った。


 これこそが、この施設の目的なのではないか?


 それは飛躍した思考だったが、同時に、どこか納得のいくものだった。


 根本的にいかれた生き物の思考で行われていることを理論立てて証明するのがどれほど無駄な事か、彼はあの用務員によって理解させられた。


 そのひらめきは徐々に確信に姿を変え、水晶の蜘蛛はそれに従ってみることにした。


 傍らに立っていた鼠に時計の捜索を依頼し――鼠に詳細な絵を描いて見せたところ、彼はそれを快諾した――彼はこの形跡を追跡していた。


 かれこれ二時間この形跡を追いかけて分かったことは、これはどうやら確信に近い秘密だろうということだった。


 それは明らかにほかの人間が道を開けたような形跡があることからも明らかだ――これは、おそらく誰にとっても触れることの許されない秘密なのだ。


 そう考えた水晶の蜘蛛が足を素早くうごか――


「――捕まえた!」


 ――られない。


 その時だ、水晶の蜘蛛の蜘蛛の心を満たしたのは危機感ではなく、驚きだった。


 ――この暗い廊下で、影になってる隅を走る自分に気がついて捕まえた!?――


 それが、彼の心を占める驚愕の正体だった。


 確かに、彼は大きい方のように姿を完全に隠すことはできない。


 だが、その小ささと静穏性から並の人間には絶対に発見できない自負があった。


 それはこれまでの三日の探索でも証明されているはず――だが、現実彼は何者かの手によってつかまっている。


「――何だろ、これ……くも?」


 逃げなければならない――ここで死ぬわけにはいかない、まだ、大きい方がマギアを助け出していないのだ。


 体に残ったオーラを高速で体内の回路に流す――一度しか使えない攻撃機能だが、ここが切り時だ。


 体の中に流れるオーラが回路を高速で駆けて、攻撃をはな――


「――そっか、君も》にいた子だね……ごめんなさい。」


 ――つ寸前で、水晶の蜘蛛は動きを止めた。


 それは《あの部屋》、という単語に興味をひかれたからであり、同時に、彼女の口から飛び出した言葉が謝罪の色を含んでいたからだ。


「逃げたい気持ちはわかるけど、あの部屋から出たらだめだよ、殺されちゃうから。」


 そう言って彼を撫でる手つきは柔らかい物で、声はひどく――悲嘆に暮れているように響いた。


 そこで蜘蛛は初めて自身をつまみ上げた相手を『視認』した。


 それは全身黒ずくめの装束に身を包んだ、それほど背の高くない女性だった。


 体つきが分かりにくい服を着て、どうも腕に何やら道具を仕込んでいるらしいその女性だったが、その姿の中で最も目を引くのは顔についた仮面だ。


 一つ目だけが描かれた白地の仮面を見て、水晶の蜘蛛の中にいるテンプスの意識は何となしに古い童謡を思い出した。


 全てを見抜き、千里を見通した古の魔の使い――曰く、『眼の魔人』。


 そう言えばそんな名前を此処で聞いた覚えが水晶の蜘蛛の記憶にあった――ということは彼女がそれなのだろうか?


 などと考えていると彼女は彼を手で包んで、どこかに向かって歩き出す――彼が向かっていた方向に向かっているのはすぐにわかった。


 水晶の蜘蛛は体に与えられた感知機能を全開にして、周囲の把握に努めた――やはり、大きい体の生き物は歩くのが早くて狡いなと考えながら。


 彼の感覚器に異常な臭気が襲い掛かって来たのはその時だ。


 その匂いはまるで腐った――


「――ごめんね、連れ戻しちゃって。でも、私には助けてあげられない。」


 そう言いながら、彼を覆っていた手の片方がドアノブにかかった。


 ――扉が開いた先は、まさしく『人間性の底値』と言って遜色のない光景だった。


 水晶の蜘蛛の感覚器が悲鳴を上げている――これ以上見たくないと。


 しかし、見る必要があった。


 それは、ソリシッドアグロメリットである蜘蛛と、その作成者たる『スカラーの継承者』テンプスにしか理解出来ないだろう悍ましい装置の存在があったからであり――そして何より、ここで起きている事こそが、この施設の主……魔女たちの計略の要であり、同時に腐った老人共のいかれた夢の犠牲の塊なのだ。


 水晶の蜘蛛の中で我知らず怒りがわき、その影響で体が震えた。


 彼が生まれてから初めて感じる激情を、仮面の女性は恐怖だと感じたらしい。


「――ほんとに、ほんとにごめんなさい。あなたが『』できた子か私にはわからないけど……もし、テッラ君のだった人なら――」


 彼のこと、許してあげて。全部私のせいだから。


 そう言う仮面の女性を見ながら、ソリシッドアグロメリットは彼の自我と大きい方――テンプスとの合議が取れたことを悟った。


 彼女がテッラの理由だ。


 何かしらの理由でここにつなぎ留められている。捨て置くわけにはいかない。


 この時点で、テンプス達は計画をプランB ――『使いたくない手』を使うことを決定していた。


 多分に運が絡む上に、ばれない保証もない手だ、さらに言うなら――大きい方とマギアにかなり負担の大きい策だ。


 特にマギアの負担が心配だった。


 水晶の蜘蛛の力は彼女を必死に保護していたが……それでも消耗は大きい、この上でさらに重大な衝撃を与えて彼女がもつのは分からない。


 事前に彼女に知らせることもできない、あの部屋は監視されているだろうし、下手をすれば彼女に伝わる情報を魔女にも聞かれる危険性があった、彼女の大きい方への信用だけが頼りになる。


 テンプスは自分の至らなさを自室で呪い、水晶の蜘蛛はこのような状況にした童女たちを呪った。


 分の悪い賭けだ――だが、これを放置することはできない。


 それは生命への冒涜だし、おそらく、魔女たちの目的の心臓部にあたる、これだけは何があっても破壊する。そのために必要な事だ。


 テンプス・グベルマーレにはその理由が――『スカラーの最後の継承者としての義務』と『先輩としての責任』がある。


 仮面の下の涙をぬぐったらしい女性の――いや、少女の姿を見つめながら、一人と一つの心は今完全に一つだった。

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