残された者の話

『――まずいことになってるね。』


 宿の食事をこしらえながら、老女――ヒコメ・グベルマーレは顔を顰めた。


 淀みなく動く手とは裏腹に彼女の脳裏に宿るのは不安と後悔とそれを打ち払う根拠の薄い希望だけだ。


 彼女の中にある焦燥感が抱かせた錯覚でなければ、これは明らかな異常事態だ。

 

 ――彼女の孫(彼女は甥だと言ってはばからないが)が姿を見せなくなってすでに四日が経っていた。


 あの晩、送り出したときに感じた不安を思い出す。


 帰ってくる気がないのでは……と一瞬頭によぎった言葉を、あそこでのみ込むべきではなかったか?と後悔が彼女を襲う。


『……いや、あの子の事だ、言っても止まらないね。』


 それは、彼の祖父――彼女の兄である男が証明していた。


 あの夜に見た目は、テンプスの祖父が初めて孫の体の不調を知った時と同じものだった。


 たとえ、過去の遺物に殺されるかもしれないと分かっていても止まらない、ある意味狂信に近いその意志の光は自分には止められないことを彼女はもう十年以上も前から知っていた。


 叔祖母――そう言われると年寄りになったようで腹が立つのであの子たちには叔母と呼ばせているが――として、二人の孫のおことを見て来た彼女からして、テンプスはあまりにも彼の祖父に似ていた。


『何も、そんなところまで似なくてもいいのにねぇ……』


 そっと眉を下げる――テンプスの中に流れる兄の血がどこか誇らしくもあったが、同時にどこか憎らしくも感じた。


 あの子は本当に兄に似ている。


 あてもない荒野のような現実を自身の知性と与えられたカードだけで切り抜ける兄を妹として応援していたし、尊敬もしていた。


 それが、彼女が国際法院なんてところの執行官になろうとした理由でもあった。


 そんな兄の血を一際強く受けつぎ、その最後に付き合った甥が彼に似るのは当然だろう――だからと言って妙なところまで似ないでほしかったとは思うが。


『とはいえ――』


 ここまで音信不通だと、彼女としても困りごとだ。


 死んでいるのではないかという不安もあるが――何よりも、彼に頼まれたことが守り切れているのかが怪しいのだ。


『サンケイ、なんか調べ出してるようだしねぇ……』


 当然だろう、家族が三日間音信不通ならいやでも心配するし、疑いもする。


 これでも三日は必死に隠し通したが――先日帰ってきてから、サンケイの様子が明らかにかわっている。


『ありゃ、確実に調べているね……』


 過去が彼女にそう囁いている。


『さて、どうしたもんかね……』


 食事の支度をしながら、彼女はひたすら首をひねっていた。




「面倒なことになりましたね。」


「なったな。」


 ヒコメ・グベルマーレの懸念から半日時は戻り、夕暮れの中を歩く二人の人影が口々に言葉を発した。


「あの分ならあの弟御達、確実に調べるだろう。」


「調べるでしょうね――というか、すでに調べているようですし。」


 そう言いながら、彼女――アマノ・テルヨは昼の屋上で自分達の警護対象が行っていた不穏な会話を思い出した。


「あの青い髪の……あーアネモスさんでしたか、彼女のご実家の力をつかえば、十二分にテンプスさんの行方を追えるでしょう。」


 アマノの脳裏に浮かぶのは、この町に魔術的な道具を扱う大店である青髪の少女の実家だった。


 ジャック・ソルダム、オモルフォス・デュオの生家が完全に潰えた現在、市場を支配しつつあるあの巨大企業の力であれば彼の行方――までは分からなくてもある程度のあたりはつくだろう。


 アネモスの頭脳であればそこから行方を探し出すこともできるだろう。


「そうなのか?結局どこに行ったのかもわからんが。知ってるか?」


「さぁ?ただ、この町にはいるでしょうし、大きな企業というものは往々にして後ろ暗い世界にも手が伸びている物ですから。」


「ふむ……」


 そうだろうな。と、彼――キビノタロウはうなずいた。


 彼の仇だった男の家もまた、それなり以上の大きさの企業だったのだ。


「止めるべきか?」


「知り合いであればそれも可能ですが――彼ら、われわれのことまったく知りませんからねぇ」


「そうだな……行ったところで止まらんか。」


「ええ、強引に止めてしまうと彼との約束に差し障るでしょう?」


 それは、彼が三日前の夜に告げた彼らへの頼みごとだ。


『弟を守ってやってほしい。』


 その約束をたがえるつもりは二人にはなかった。


「面倒だな……」


「面倒ですねぇ……」


 そう言いながら、ため息を吐いた二人は一瞬の沈黙の中に多大な意味を込めて相手の言葉を待った。


「――死んでいると思うか?」


 口を開いたのはキビノだ、それは二人が明言を避けていた話題でもあった。


「……どうでしょうね?ありえなくはないと思いますよ。」


 そう返すアマノは、しかし、字面程その言葉を信じていないような言葉を告げた。


「助けに行くべきか?」


「かもしれませんが――頼まれてはおりませんし。」


「頼まれてないなら行かないのか?」


「今ある仕事を放りだすわけにもいかないでしょう?」


 そう言ってけらけらと笑う彼女をどこか訝し気に眺めたキビノは一瞬後に、納得したようにうなずいた。


「……ああ、なるほど。」


 ――そう言うことだ。


「存外わるだな、天人。」


「言われてすぐに思いつくあなたほどはありませんよ、桃の方。」

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