蟻の穴掘り

『――驚くべき快挙……『魔力なし』のテンプスが驚異の六十六連勝を成し遂げました!これは……この闘技場始まって以来のことです!『土石の覇者』に勝る記録です、これほど早く記録を重ねていません……なんと優秀なにくぶく……いえ、選手でしょう。』


 廊下に響く耳障りの悪い、割れた声を聞きながらソリシッドアグロメリットは廊下を駆け抜けた。


 今日も無事に生き残ったらしい。


 かすかな誇らしさと多大な懸念を抱えながら水晶の蜘蛛は走る。


 どうにも大きい方の肩の具合が悪い。刺されてからかかった弱化の魔術が悪さをしているのが分かった。


 そうでなくとも、体にのしかかる疲労の気配は色濃い。明らかに前日よりも疲れている。


 やはり無茶だったな……と、内心で嘆息する。容易に罠に飛び込んだつもりもないが、考えるのと実行するのでは難易度が違う。計画上、今日の段階で手傷を負う予定はなかった。いつだって計画通りにはいかない。


 とはいえ、もはや起きた事柄に文句を言っても始まるまい。


 肩の具合を確かめる大きい方にささやかなエールを送りながらソリシッドアグロメリットは『パンくず』を追いかけていた。


 それは彼が12時間前から探し求めていた形跡だ。


 光り輝く力の波。この世で現状、彼らにしか見ることのかなわないオーラの波形。


 かさかさと本物の虫のように体を動かし、巡回の職員たちの足と足の間、人と人の間を潜り抜けるように彼は力の形跡を追った。


 彼が放射する独特の混成したオーラの残滓は、大きい方や彼の知覚にはまるで波のようにその痕跡を残す。


 テンプスが追いかけたものもそれだ。


 蟻を模倣したらしいこの追跡機能は今回の作戦の肝だった。


 ――ぢぢぅ――


 かすかに響いた空気の振動を感じながら、ソリシッドアグロメリットは最後のカーブを曲がる。


 そこに居たのは――


 ――ぢぢ!――


 灰色の肌をした不浄な物。下水とゴミ捨て場の牢名主――先日戦った鼠だった。


 あの後、マギアの家族を探す彼は、早々にこの難事はそうやすやすと解決できないことを悟った。


 広いのだ。


 人を招く関係上か、あるいは何かしらの魔術の御業なのか、この施設は彼の想定を超える程に広く、それでいて複雑な構造をしていた。


 彼の小さな体には常人には及びもつかないほどの力が与えられていたが、同時にこの施設全体をわずか一日で調べ切れる程の大きさがない。


 即座にその判断を下した、水晶の蜘蛛は彼の味方となる物を探し、自分と戦った鼠をその相手に選んだ。


 目覚めたネズミとのボディランゲージによる、異文化交流はことのほかうまくいった。


 それはあるいは、野生動物として自分に打ち勝った者への服従心だったのかもしれない。


 これからの方針を定めようと頭をひねった折にあの童女とマギアの家族を発見した水晶の蜘蛛は鼠にそれを追うように頼み、ネズミはそれを了承した


 双方の目的をあやふやながら共有した彼らは二手に分かれてこの施設を捜査し――鼠が先に手柄を上げた。


 鼠が彼に伝えている部屋の前には歩兵が二人――なるほどあそこだろう、彼が探った施設の中でも警戒が密だ。


 おそらく、彼女たちはあの中だ――侵入する必要がある。


 おもむろにその体を震わせた水晶の蜘蛛は、ネズミに感謝を伝えて爆発的な速度でもって扉に突撃した。


「――うわぇ!何だ!」


「蜘蛛だろ?いちいち騒ぐな……どうせこの部屋には入れん。」


 そういってこちらに注意を向けない職員をしり目に彼は扉にあいたのぞき窓から部屋の中に侵入した。


 その殺風景な4メートル四方の部屋の中心で二人の人影が直立不動で立っていた。


 貧相な――裕福だったことのないテンプスの思考がそう考えるのだからよっぽどだ――服にその暴力的な美貌を押し込めた二人はよく見た顔立ちでそこに居る。


 一瞬人形かと考えてしまうその体はなるほど造られたのように美しい――自分が人間だったなら欲情したのかもしれない。


 間違いない、マギアの家族だ。


 その姿を確認した彼は即座に周囲に知覚の幕を放つ。


 目も鼻も、皮膚すらない結晶の彼が周囲の世界を感知するためにはこの特異な感覚器が必要だった。


 周囲に張り巡らせた超知覚の網は彼に数多の情報を与えた――少なくとも、凌辱の類を受けた様子はない。


『……ふむ?』


 ソリシッドアグロメリットは――その内側にいるテンプスはその事実に少しばかり驚きを覚えた。


 あの手の魔女のやりそうなことの中には十分すぎる程可能性があった。


 粗野な子鬼あたりをこの牢獄に放っていてもおかしくはないと考えていたが……


『……手が出せない理由があるのか?』


 よく見れば、小さい方――妹の顔にあったはずの先日にあの童女の攻撃で受けた傷が治っている。


 明らかに彼女とは扱いが違う――ないかあるのだ、魔女もどきが彼女に手が出せない理由が。


『……そのためにマギアに大きい方の死を見せたいのか。』


 そう考えれば、これほど面倒なことをしている理由が分かろうものだ。


 彼女を含めたこの一家で何かを企んでいる、そして、その企みに彼女の1200年の孤独を耐えられる強い精神はあまりにも邪魔なのだろう。


 そこまで考えたテンプスの思考がすっと冷える――どうにも、腹に据えかねていた。


 ただでさえ、この家族にいらぬちょっかいをかけておいてまだ手を出すというのか?


 二足で立った小さな水晶塊はその事実に嫌悪感を強くする――なんとしても阻止する必要がある。


 そのためにも自分の仕事を果たす必要がある。小さな蜘蛛はかさかさと体を動かし、二人の体に触れる――彼女たちを支配している魔術の根っこを探り出す必要がある。


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