8時間後

 投げつけられた何かが彼に襲い掛かった。


 広がったその黒々とした繊維の塊はまるで雨雲のように広がって、彼に襲い掛かった。


 投網が投げつけられたのだとテンプスが気がついたのは彼の右手の剣が閃いて、その暗雲を叩き切った後のことだった。


「――ッチ!ヤッパウゴケルジャネエカ!」


「ナニガザコダ……!」


 彼の眼前で、彼が行動不能になるのを待っていた二人の男達が叫んだ。


 身の丈はテンプスと同じほど、筋骨隆々な体に水生生物の様相を持つその体は、明らかに人の物ではない。つまりは魔族だ。


 魚による魚とりという逆転現象に顔を顰めながら、テンプスは切り裂かれた網に足を取られることもなく、相手に向かって直進する。


「――コイ!」


 叫んだ魚人達が、錆びた刃先の槍をこちらに向ける。


 血と思しき汚れで錆が走っており、彼が知る限りいっぱしの戦士が使うような代物ではない――あるいは、彼らもそれしか与えられていないのだろうか?


 内心の疑問に蓋をして、彼は左手の中に握り込んだ『武器』を解き放った。


 それは誰もが買い物に使うコインのような物体だ。


 平べったいそれを左手から投げはなつ。


 勢いに乗って空を駆ける物体は、けれど、槍の一撃に邪魔されて――効果を発揮した。


『拘束のコイン』


 かつて、鬼の島に乗り込んだ腕自慢すら封じ込めたコインは今回も不満のない効果を発揮した。


「――」


 コインを払った動きから、身じろぎ一つできずに空間に縫い留められた男たちの体に優しく撫でるようにテンプスの剣が走った。


 それぞれ、肉体の正常なパターンを崩され、体の反応が止まった――速やかな失神。相手を打ち倒すのに、強い力が必要なわけではないのだ。


 剣をぐるりと回しながら、テンプスは最後の一人に向き直った。


 全身に皮鎧をまとい、金属製の兜をかぶったつぎはぎの多いその姿から、その人物が何者か察することはできない。


 わかるのは明らかに彼の手に持つ剣が魚人たちの物とは比べられない程きちんと整備された物であり。立ち姿からわかるほどの技量がある事だけだ。


 テンプスは手の内で剣をぐるりと回した――今のところ、魔術をこのオーラ浸潤型の剣で打ち払う試みはうまくいっている。


 この人倫の底で十戦もしたころから感じるようになってきた、明確な妨害の気配はどうやら、客席から放たれているらしいことにテンプスはすでに気がついている。


 煩わしそうに呪いの覆いを食い破った自分の剣に、それほど悪い出来ではなかったな……と苦笑しながら相手に向き直る。


 その体はすでに闘志をまとわせ、彼への明確な戦意を感じる。


 抜き放たれた剣はやはり、銀灰色に輝く金属の美しさがあった。


 テンプスは腰を深く落とし、剣を目線の高さに合わせる――こいつにコインによる奇襲は効きそうにない。


 体に澱のようにたまる疲れを払いのけて、彼は相手のうごきを舞った。


 テンプスの動きに対応するように相手が取ったのは正当な剣術の構えだ。曰く『貴い婦人の構え』


 剣を背負うように構えるその構えは、まるで気取った金持ちの女のような立ち姿だが、同時に、ひどく厄介な構えだった。


 背面に隠された獲物は間合いを取りにくく、かつ、真後ろから放たれる一撃には常に遠心力が乗る。


 おまけに、一撃がよく伸びる。


 どこぞの剣聖閣下に曰く、『至高なる婦人の構え』対処として単純なのはより間合いの長い武器で攻撃することだが……


『ないもんはないしな。』


 あきらめた様に嘆息する――少々、厄介だ。


 一瞬、構えた二人の間に緊張感が帳を下ろした。


 次の瞬間、先手を取ったのは鎧の男だ。


 間合いを詰めての大ぶりの一撃。


『貴き婦人の構え』から放たれた強撃、その一撃を刀身の腹で受ける。


 刀身も物体である以上、柔剛が存在し、柔い部分では一撃は受けられない。刀身の固い部分で受け止めなければへし折れる一撃。


 受け手には回れない。と、テンプスは判断した。


 鍔迫り合い――にはならない。


 手の内側で剣の柄がぐるりと回る。


『巻き』と一般的に呼ばれる技術だ。


 鍔迫り合いを征するために切っ先を回し、相手の刃による防備を掻い潜って相手に攻撃するための動きだ。


 此処からつながる手は二十と少し――受け手側も入れれば五十行くか行かないか。


 それぞれの動きが合致して、上回ったほうが致命傷を入れることができる。


 つまり――実力が伯仲している場合、切りあいは続く。


 鎧の男とテンプスの剣裁は十二手続いた。


『――まずいな。』


 体に宿った熱と疲れが彼の体から力を奪っていた。


 だ。いよいよ、体が持たない。


 可能な限り体力を使わないように速攻で敵を制圧していたが、さすがに限界だった。


 息が上がり、体が鉛のように重い。呪いの妨害も邪魔だ。


 手が軽く痙攣している――早くケリをつけなければ剣が手から離れるのも遠くないだろう。


 十四手目の斬撃を躱して刺突を放つ。


 横方向に立てた剣を振って刺突を弾いた相手の柄頭がテンプスの顔を襲う――ここだ。


 瞬間的に左手を離し、相手の腕をからめとる。


 相手が気がついて体を逃がそうとした時にはすでにテンプスの足が相手の足を払い、相手を地面に――投げる。


 地面に勢いよくたたきつけられた鎧の男は自分の鎧と自重によって体を強かに打ち据えた。


 それでも、致命的一撃ではなかった。


 どうにか立ち上がろうとする相手の体に、テンプスの剣が落ちて――盆の窪のやや下を付く。


 初戦の相手と同じように体のパターンを崩された相手は、そのまま意識を沈めた。


『――し、勝者、『魔力なし』のテンプス……』


 明らかに引き切った声が響いた。


 静まり返った会場に歓声が宿る―ここ三十戦はずっとこうだ。


 腰に刺した鞘に剣が叩き込まれる。


 倒れ伏していた男たちの獲物から拘束のコインを取り外して腰の袋に入れた――できれば魔女たちに自分の武器を知られたくはなかった。


 次の試合に向けて舞台袖に向かいながら嘆息する。


 どうにか今回も勝てたが……


『今日だけで後三試合……しんどいもんがあるな……』


 とはいえ、逃げるわけにもいかない。


 脳裏でうごめく情報の渦を眺めながら、テンプスは息を整えていた。



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