待ち受けるもの
――その場所に足を踏み入れた時、彼はここが罠の終点だと理解した。
そこは水排水路の交差路だった。
巨大なマスの中で、だらだらと流れる汚水の上でひどく小さな影がこちらに向かって手を叩いているのを見ながら、テンプスは背後に意識を向けた――入ってきた入口が消えている。
切れ目一つなく見えるその壁が何で出来たのかテンプスにはすぐにわかった。
土の創造魔術だ、限界まで締め固めた土の塊で背後の入り口を封じた。
『――テッラか。』
その土の魔術の美しさと軽く剣の鞘でたたいた感触から感じる強度は並外れたものだ。彼はこれほどの土の魔術を使える人間を片手の指で数えるほどしか知らない。
一人はこの女たちにつかまっている、もう一人は――先ほど、自分のことを串刺しにして逃げた。
眉をひそめながら目の前の生き物に目をやる――その目に映るのは異形だった。
『なんだこの女……』
これが魔女なのだろうか?年恰好は明らか童女だが――彼女に肉体が示す反応のパターンは明らかに尋常のそれではない。
まるでのたうつタコだ。
四肢やそれを支える筋肉、内部の骨に至るまでそれぞれの部分がまったく別々の挙動をしているかのようにうごめき、この女のパターンを読みにくくしている。
まるで――
『別々の生き物でも体に飼ってんのか?』
そう思いたくなるほどに異様な動きを見せるその肉体は明らかに童女の物ではない、となれば――
「――あんたが「何たら」の魔女か?」
そう聞いたテンプスの言葉に、目の前の童女はまるで目の前でお気に入りのお菓子を取り上げられたように頬を膨らませて
「えーひっどい!私があの小娘みたいな年増に見えるってのぉ?」
そう聞く声には若々しい張りと年齢を経て魂に宿る澱のような濁りが同居していた――正直、オモルフォスよりもきつい。
「……マギアのことか?比べるべくもないな。」
蔑みとして放った言葉はこの童女にはまともに聞こえていないらしい。にっこりと美しい顔をゆがませて笑うと。
「でしょう?私の方が美しくてかわいい――あんな小娘、比べるべくもないわね!」
などと宣う目の前の生き物に、テンプスはいまだかつてないほどの不快感を味わっていた――よもや、オモルフォスの方がましだと思うような生き物に出くわすとは。
『魔女ってのはみんなこうなのか……』
内心、げんなりと目の前の女に視線を送ると童女は再び頬を膨らませて。
「酷ーい!貴方に耳寄りな取引があってきたのよ?」
「ほう?」
「あの小娘……マギアだったかしら、貴方に帰してあげてもいいわ。」
「……ふむ?」
警戒度が跳ねあがった――やはり、この女が魔女か?
だが取引の意味が分からない。あそこまで大掛かりにやっておいて、彼女を返す?意味が分からない。
「でもでも、条件があるのよ?」
そう言ってかわいらしく上目図解をするその瞳の奥に、どうやればこれほど淀んだ光が宿るのか、テンプスにはわからない。
「内容は?」
が、それが何であれ、彼には拒否できない。
拒否した結果としてマギアに何かある可能性を彼は否定できていないのだ。
「――あなたも聞いたことあるでしょう?この町の地下に――」
「秘密の決闘場がある――か?」
それは彼が思い浮かべた噂の内容そのものだった。
あらゆる違反行為の許される掃きだめの底。
父の同僚に曰く――人間性の底だ。
「ええ、そう!さすがに死刑執行人のガキね!詳しいようで何より。」
語尾に音符でもつけそうな上機嫌な声を上げて、童女は彼こういった。
「――そこで100連勝、出来たらあの子を返してあげる。」
そう言って、酷薄に笑う――初めて、この女の本来の表情を見ているような気分だった。
「ふむ……」
首をひねる。
この女はなぜそんな真似をさせたい?
今の鎧の内自分なら魔術で自由に制圧できるはずだ、まるっきり対処していないわけではないが、それでも不利は間違いない。
それになぜチャンスを与えるような真似をする?
「あら、なぜ自分にチャンスを与えるのかという顔ね?」
「疑問ではあるからな。」
「簡単よ――もし、自分を助けに来たあなたがぼろきれになって、体をなくして、死んでしまったら……あの子、どんな顔をして私に縋ってくると思う?」
なるほどそれは狂人の思考だった。
吐き気がするような悪意――だが同時に、テンプスの中に生まれた違和感が強くなる。
『――なんでそこまで絶望させたい?』
憎き女の孫だからか?そのためだけに、これほど大掛かりでややこしいことをしているのか?自分たちを殺しうる女の怒りに火をつける危険まで冒して?
『違うな、こいつらにそんなことはできない。』
それができる奴は九人目の聖女の再訪を恐れて国から逃げたりしない。
だとしたら――
『彼女の精神を折ることに意味があるのか……』
それが何を意味しているのか、今の自分にはわからない。ただ、この女の――あるいはその背後にいるだろう魔女の――狙いはわかった気がした。
――で、あれば、時間には猶予ができたわけだ。
幸いな事にこの女を倒す手立てはない、が、同時に逃げる手札ならぎりぎり用意できていた。
時計を取り戻し、その上でこの女を叩き潰せばマギアを回収できる。
眉をひそめて彼が口を開く。
「そんな危ない話には乗れないと言ったらどうす――」
「ああ、それならいいわ、あの二人を目の前で殺すから。」
淀みなく言い切った言葉に、テンプスは下水道に入って初めて舌打ちを漏らした。
彼自身気がついてはいたが――やはり、この連中も気づいていたわけだ。
あの家の棺を開けられた時点で、彼に対する人質は一人ではない、三人になっているのだ。
彼が解決を急いだ原因の一つはこれだ――時間は誰にも平等にチャンスを与えてしまう。この女たちに三人の身柄が渡る前に解決したかったのだ。
「――ねぇ、あの子、目の前で母親のどこを食いちぎったら嘆くかしら。」
もはや彼に、選択肢はなかった。
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