汚れの中で
その道はひどく暗く、じめじめと陰鬱な空気に包まれていた。
まるでネズミのために存在するようなその道は、なるほど、犯罪を行う者達にとってこれほど適した隠れ家はないだろうと思わせてくれる場所だった。
汚物と腐った水の混ざり合った匂いはほかのどんな異臭もかき消してくれることだろう――たとえ、それが血や今際の際に流した糞尿の匂いであっても。
表街道を歩けず、それでいてこの町に居続けるための場所、それがこの下水道だ。
足が汚物に浸かり、鼻が利かなくなるほどのひどい匂いの中を、テンプスは黙々と歩き続けていた。
抜き放った剣にともる彼にしか見えないだろうオーラの輝きと、音が周囲の壁に反響する際のパターンだけが彼の道行を照らしている。
彼の視線は一点に斜め下を見つめ、その視線の先に落ちている「パンくず」を見つめて歩き続けていた。
この痕跡を追えなくなれば、間違いなく彼はマギアの行き先を見失う。
この町に張り巡らされた下水網は広く、都市計画を行ったものですら完全な把握はできていない。
テンプスもそれなりに詳しい方ではあるが――それでも、彼女の後を追えるほどの知識はない。
そもそも、この下水道のどこかに彼女を運んでいるのか、下水道の先にあるどこかに彼女を運んでいるのか、彼にはわからないのだ。
『厄介な連中につかまったもんだな……』
体にまとわりつく臭気に顔を顰めながら、それでも黙々と足を動かし続ける。
体は完全ではない。
痛みはひどいし、ぎこちない動きがちらほらある。
血が多少増えたようだが、それでも幾らかふらつくのも変わらない。
正直に言って不調だ。だが行くしかない。
そう考えた彼が「パンくず」を頼りに右に曲がった瞬間に空気が変わった。
『……誰か近い入り口から入ってきたな……』
それは音の反響の違いからくるものだ、明らかに自分が発したものではない振動が彼の体と耳を揺らし、彼の知覚内に侵入した。
この時間、厩舎の清掃の関係で異常な匂いのする汚物が多く流れてくるこの場所に人が侵入してくることはない。
となると、侵入者の正体は自然と限られてくる――
『――入口で潰した奴がばれたか。』
おそらく、定時報告か何かを上げる予定があったのだろう。それを行えなかったか、そのタイミングで起きたのか……どちらにせよ、自分の侵入を気づかれたわけだ。
『時間ねぇな……』
時計があるのならともかく、今の自分に敵対している人間全員を叩き潰して、魔女の元から彼女を助け出すようなことはできそうもない。
となれば――
『急ぐしかないな……』
そう考えた彼は汚物に浸った足を持ち上げて、足早に「パンくず」を追った。
ばちゃばちゃと水の跳ねる音が響く。
自分を追ってきている足音に対しても、テンプスは冷静だった。
先ほどの角から見て四つ目の角を曲がった時、彼は足を止めた。
剣を右手に持ち、自分から見て左側に見える道から現れるだろう相手との距離を測る。
音の反響と水の波紋から相手の距離を測る――ここだ。
体をかがめて回転しながら先ほど前の通路に躍り出る。
曲がるために減速し、足並みの乱れた二人の男はその動きに対応できない。
オーラの輝きを宿した刀身が銀閃をたなびかせて中空を薙いだ。
横薙ぎに払われた剣が相手の足の膝を浅く切りつける――相手の腱を切断する動きだ。
「ぎゃ!」
「あぎゃ!」
二人の男の声が響くのと体を翻したテンプスの剣の腹が相手の首筋に直撃するのはほとんど同時だった。
オーラの輝きが増幅した衝撃が彼らの意識を奪い去り、汚水の中に倒れ伏した彼らの体を空中で蹴りつけて反転させ、顔が上になるように地面に沈めてやる。
彼らの状況を確認する暇もなく、先ほど飛び出してきた路地に飛び込んで、彼がブースター無しで扱える数少ないパターンを行使する。
『屈曲のパターン』
世界が物を見るために必要な『光』と『振動』を直進させなくするその力は彼を他人から覆い隠す帳だ。
このパターンで姿を隠したテンプスはそれでも追いかけてくる敵の動きに彼は確信を深める。
『――僕の動きが追えてないのに挙動が気づかれてる……呪いか、監視の術だな、下水全体にかかってる。』
おそらく魔女の物であろうそれは、テンプスが知るどの術よりも広い効果範囲と詳細な情報を得られるらしい。
これで、テンプスの強みが一つつぶされた格好になる。
『秘密暴き』は危険の発見者だ。
この世に蔓延る未知を暴き、あらゆる危険に対応策を見つけ、その上でそれらの秘密から隠れ、それらを破る力を学ぶ能力者だ。
その中でもっとも力を発揮するのが隠密であり、太古スカラーの人間であれば強弱こそあれ誰でも使えたこの力が通じないとなると――
『面倒だな……』
おまけに――
『僕の動きがばれてる上で追跡してきてるってことは――』
おそらく、どこかにおびき寄せられているのだ――奴らの仕掛けた罠の中に。
『中に入って食い破るか……どうにかして囲いを抜けるか――』
「パンくず」を追いながら、テンプスの脳は高速で回転し続けていく――答えはいまだに出る気配がなかった。
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