死なない理由
夜中に扉を叩く音でその家の主は目を覚ました。
『……誰だ?』
壁にかかった時計を眺める――時刻は後一時間もすれば日をまたいでしまうだろう。
少なくとも、自分の知り合いにこのような時間に人を訪ねてくるような無作法な人間がいた記憶はない。
訝しみながら彼は自分の愛刀を握り、寝室からゆっくりと玄関に向かった。
扉を叩く音は、あれきりなっていない、勘違いということも考えたが――玄関の前に感じる気配を見るに、それはなさそうだった。
自宅の扉の前に立った彼が、低く、けれどよくとおる声で扉の向こうに語り掛ける。
「――誰だ?こんな夜更けに無作法な……」
誰何する――その声に返事をしたのは彼からすれば驚くべき相手だった。
『あー……すまん、僕だ。』
そう言って聞えた声は弱弱しく、扉越しでくぐもっていたが確かに自分を救った恩人の物だった。
さらに深まる疑問を抱えながら彼――タロウキビノは数百年後に現れた新たな友を家に招き入れることにした。
「――こんばんわ、悪いね夜分に。」
そう言ってこちらに微笑む彼――テンプス・グベルマーレは弱弱しく笑って見せた。
部屋に響くベルの音は民宿であるこの宿の呼び鈴だ。
他の客の迷惑にならない様にしつらえられたその呼び鈴は、ある一定の時間を超えた時点で、音を自分の居室に直通で響くように設定された魔術の道具だ。
それが鳴らされたということは、今、この家の中に誰かがいて、呼び鈴を鳴らしたということになる。
ただ――
『こんな時間に、鍵をかけた家の中に入るとは……』
そう考えながら、彼女は自室にしつらえられた時計を眺める。
時刻は日をまたいでいる。当然、この宿の門は固く閉ざされ、一般の客は入ってこられない。
泥棒か?と一瞬疑ったが、それならば呼び鈴を鳴らしたりはしないだろう。
だとしたら一体何の用があって、いったい誰が自分を呼びつけているのか……
『いい度胸じゃないか……』
久々に前職の技を使う時が来たか――と、指の骨を鳴らしながら、彼女はゆっくりと居室から一回に降りて……
「――ああ、叔母さん、こんな夜更けに申し訳ない。」
そう言ってこちらに頭を下げる、甥のまるでぼろきれのような姿に目を見開いた。
「――つまり、お前の共犯者がさらわれたわけか。」
「ん、そうなる、僕はこれから助けに行かなきゃならない、何で――」
「お前の弟を守ってほしいわけか。」
「ああ、この手の状況に理解があって、彼らを任せられるぐらい腕が立つのはそれほど知り合いに多くないんだ。」
「ふむ……」
一通りの話を聞いたキビノは思わし気に腕を組んだ。
別段、頼みを了承するのは簡単だ。
キビノには彼に借りがあった、数百年にわたる恩讐の借りが。
それを返すために家族一つ守れというのなら喜んで守ろう。
だが――
「お前が死ぬ危険性があるというのなら、それをやすやすと受ける程俺は恩知らずではない。」
「あー……死に行くつもりはないけど。」
「だが、生き残れる保証もないんだろう。だから、ここに来た。」
「……みんな気づくな。」
ばつが悪そうにテンプスは顔を背けた。
実際問題、時計もなしに魔女とやりあう以上生き残れるかどうかは賭けだろう。
そうやすやすと負けるつもりもないが、時計抜きでどこまでやれるのかは正直わからない。
勝率は――悪い。
「いやでもわかる、お前の体質を考えればなおのことだ。」
「……ま、そうなるよな。」
「それを後押しするというのなら、俺はそれに承諾はできない。それでも行くのか。」
「行く――一人でどうにかできないのなら誰かが助けてやらんとな。」
「……」
そう言った彼の顔を見て、彼はどこかあきらめたようにため息を吐いた。
こういう性格だから、自分が助けられたのだと理解しているからこそ出るため息だった。
「――わかった、ただし条件がある。」
「――やめな、ほんとに死んじまうよ。」
そう言って、いつになく深刻にこちらを見つめる叔母をテンプスは苦笑交じりになだめた。
「でもこれしかないんだよ、今すぐいかないと。」
「騎士に任せりゃいいだろう、それだけの話なら連中だって動くよ。」
「時間がかかりすぎる、通報して、調べて――最低でも十日はかかかる、そんなには待てない。」
そう言って自分を直視する甥を、彼女の叔母は複雑な心境で眺めた。
初めて気見た時は、いつ死んでもおかしくないような子供だった彼が、こうして自分と対等に話せていることを喜べばいいのか、悔めばいいのか……
「……何が原因なんだい、まさか兄さんの研究かい?」
「アー……いや、そういうわけでもないんだが……」
どう説明したものか……とテンプスは悩む。
ここで代行者のことを話してしまうのは簡単だ。
自分の叔母には相応の自衛能力もある、だが――魔女相手に戦えるのかは別だ。
巻き込んでしまえば、どうなるのかはわからない。
「……私にも言えない事かい。」
「……おばさんだから言いたくない事だ。」
そう言って見つめる視線に不安と心配が揺れるのをテンプスは見て取った。
「生意気な……と言ったところであんたはもう私より強いんだったね……まったく兄さんも厄介な物ばかり置いて逝くね。」
「僕は助かってるよ。」
「だろうともさ!こっちは苦労するがね!」
そう言ってどこか投げやりに叫ぶ叔母にばつが悪そうにテンプスは返した。
「……わかった、あんたも兄さんに似てるところがあるからね、どうせ、止めても聞きゃしないんだろう?」
「悪いが、今回は無理だな。」
「いつもだろ?わかった、サンケイの方はこっちで止めとくよ。」
「よろしく――悪いね。」
「いいとも、甥の頼みだ、今回は意見を飲んでやろうじゃないか。ただし、条件があるよ――」
「――これを」
そう言って、彼の手に渡されたのは小さな箱だ。
「――ナニコレ。」
「印籠と呼ばれています、そのものの身分を示す共に薬入れになります。」
四角形のそれをまじまじと眺めるテンプスにアマノはさらに言葉を続けた。
「それの中にはあなたの体質でも使える薬が入っています、三回分です、使い切らなくても結構ですよ。」
「あー……いいのか?希少だろう。」
「ええ、印籠には思い入れがありますし、お薬はもう作れません、ですから――」
「――鬼から渡された物の中に、物をしまう袋があったと言ったのを覚えているか。」
「ああ、うん、何か聞いたな。」
「これがそれだ。」
そう言って彼に渡されたのはほつれが見える小袋だった。
「口に物体を当てると内部に物をしまえる。持って行け。」
「いいのか?」
「良くはない、だから――」
「持って行きな。」
そう言って叔母が出してきたのは靴だった。
「これは?」
「あたしが現役のころ使ってた代物さ、踵が開いて物がしまえる。物を隠し持っていくなら十分効果だろうさ。」
「……いいのか、大事なんじゃ?」
「そうだよ、だから――」
「返しに来てください、待っておりますので。」
「返しに来い、大事な物だ。」
「返しに来な、死ぬんじゃないよ。」
三者三様に、同じことを言われたテンプスは苦笑しながら了承した。
死ねない理由が一つ増えたなと思っていた。
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