再起動
『――いいかねテンプス、世の中の大部分の人は善の意味を勘違いしている。』
そう言って祖父が笑っていたのはいつの話だったのか、テンプスはもう思い出せない。
どんな顔で語っていたのかも、どんな風に語っていたのかも、何からその会話になったのかも思い出せない。
一つだけ確かなのは自分が今寝ているあの部屋で彼が自分に向けて語った言葉だけだ。
『善とは悪を倒すことではない、善というのは往々にして優しい物を指すのさ。悪を滅ぼすのは正義だよ、善ではない。』
その言葉に自分がどんなことを思ったのかはわからない、ただ、覚えているのだから、意味があると思ってはいたのだろう。
『お前は『善人の資質』がある。罪を犯した人間を許して、慈悲をかける心がある、もし、私たちの計画がうまくいって、お前が強い力を得てもそれを忘れてはいけないよ。』
そう言った祖父はどんな顔をしていたのか――思い出せないが、優しかったような気がした。
『――』
その言葉を聞いた自分が、何かを問いかけたのを覚えている、なんだったか……そう確か…………
『ん、ああ、そう言う人もいるね、その時は――』
「―――!」
泥のような夢の海から、何かに導かれてテンプスの意識は浮上を始めた。
「…………ぅ……」
「――テンプスさん!大丈夫ですか!?」
それが声だと分かったのは、彼の意識と感覚器とが現実を認識し始めてからだ。
「…………あま、の……か。」
喉の内側で張り付くように動きが悪い喉がようやく言葉をひねり出した。体を必死に起こす――どうやら、棚によりかかっるようにして、意識を失っていたらしい。
体は絶不調だ、全身が嫌に痛む上に吐き気がひどい。
明らかに血液が足りていなかったがそれでも体はある程度動くようになっているようだった。
体に力を籠めながら目の前で驚いたような顔を見せる女性――アマノに声をかける。
「!起きましたか……意識は?これが何に見えます?」
そう言いながら彼女は人差し指をこちらに向けてくる。
「――女竹の輝夜姫だ……どれぐらいこうしてた?」
言いながら体をまさぐる――時計が見当たらない。
『……あいつか。』
思い出すのは黒いローブで体を隠した後輩の姿だ――弟が時計について教えていれば追ってこられないように奪って行っても違和感は……ない。
「平気なようですね――わかりません、私が来た時にここで意識を失っていました。」
そう言ってこちらを鋭いながらどこか心配の映る目で見つめる彼女を見ていると、否応なく思いだす――
「マギア……」
「……ここにはいません、何が?」
「さらわれた……彼女が追いかけてるやつの仕業だ。」
「!なるほど……表の者は彼女が?」
「いや、僕だ。彼女はたぶん、なんもせんでさらわれたんだと思う。」
「……彼女が、抵抗せずにさらわれたのですか?」
どこか意外そうにアマノが声を上げた――実際、彼女の魔術の腕で何もでき巣につかまるのは違和感のある話だ。
「――彼女の家族を使われた。」
「――――なるほど。」
その一言ですべてが伝わった。
逃亡生活と霊体化の影響で対人経験の短いマギアに比べて彼女は人波の中で生きて来た、家族を使われればどれほど堅牢な砦も瓦解しうることがあるのを知っている。
「あんたは何で?」
棚から体を起こしながら問いかける、よくよく考えてみれば彼女がここにいるのがおかしい。
「弟さんの優勝にお祝いを申し上げようと思いまして、ここまで来たのですか……家の前に暴漢共が倒れて、っ扉にはべっとりと血が……何かあったかと思いまして。」
「そりゃ……悪かったな、祝いに来てもらったのに、こんなで。」
「お気になさらず、慣れっこですよ。」
そう言って扇の裏側で笑う彼女に苦笑して、体を起こす――酷く痛むが動きはする。
「動かれない方が賢明ですよ、治ってはいますが完全ではありません。」
「そうしたいが――急ぎでな。」
急ぎ助け出す必要がある――そう言えば、最初に彼女と出くわしたときも彼女を助けに行ったのだったか、とおもいだして 笑った。
「マギアさんですか?彼女だけでどうにかできないと?」
「たぶんな……それに、どうにかできるから助けに行かなくていいわけじゃないさ。」
心細くてどうにもならない時に、誰かから差し伸べられる手があるというのは心にどれほどの安心と安らぎがあるのか、彼は祖父から教わった。
自分がそうできるのならそうするべきだろう。
そう考えながら彼はよろよろと歩き出した――地下室に用がある。
体をまさぐって気がついた。フェーズシフターがない、時計と同じように後輩に持ち逃げされたかあるいは刺されたあそこに置きっぱなしか――どうにすれ、拾いに行っている時間はない。
「頼みがあるんだが……」
「ふむ?かまいませんよ、貴方にはあの女の時にお世話になりましたしね。」
「――守ってやってくれ……弟と後輩たちのこと。」
そう言った彼に、アマノは鋭い視線を向けてこういった。
「――その後輩たちの中に裏切り者がいるかもしれないのに?」
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