「あら、お帰りなさい。」
――そう言ってたおやかに微笑む女性は、人形のように美しかった。
背の頃はマギアよりも高く、テンプスよりもやや小さい。美しいプラチナブロンドの髪をしているその女性は、赤紫の瞳をしている。
豊満な体つきではないが女性的な丸みのある体、それでいてスレンダーな体は、それでありながら母親のような雰囲気を感じるもので、どこか安心感があった。
その顔立ちは美しさと可憐さを同時に兼ね備える不可思議な顔立ちで――まるでこの世の物とは思えない美貌だった。
まるで当たり前のように彼女はそこに居て、どこから見つけ出してきたのか体にエプロンを身に着け、こちらを笑顔で見つめている。
相手に向けて鋭い視線を向けながら、テンプスは思う。
『――だれだ?』
わからない。
少なくとも、彼の知り合いにこんな美しい女性はいない。
お帰りなさい、などと言われるようん間柄の人間では当然の様に内、ないのだが――
『――なんでかすかに見覚えがある?』
そう、テンプスは彼女を見た瞬間に一種の既視感に襲われていた。
それはひどくあやふやで、同時にかすかにずれを感じるものだ。
まるで、古い知り合いが大人の姿になって現れたような――そんな違和感。
眉にしわが寄り、弩を握る手の力が増した。
明らかな異常だった、以前も語った通り、この家に無理から侵入することはほとんど不可能だ。
此処には数多のパターンと魔術による防壁が築かれ、その堅牢さは下手な王城よりも頑丈だとテンプスは自負している。
鍵を正常に使わなければ決して開かない扉など、正直この家においては児戯に等しい関門だ。
だが、それを越えられる人間は自分とマギアを除けばおそらく自分の祖父と――悔しいが兄くらいだろう。
いわんや、自分ともマギアでもない人間に解けるはずが――
『――マギア?』
そこで気がついた。
目の前の女性の目と髪の色がごくかすかにだが流動的に変色している事に。
これは確か――マギアの――
「――おかあさん?」
テンプスが弾かれたように後ろを振り返る。
家と外界を隔てる扉の前で、彼の後輩が茫然とした声を上げていた。
その顔はまるで見ることのかなわない奇跡を見る教徒か――さもなければ、覗くべきでない深淵を除いて慄く哀れな少女のようだった。
「――えっ、だって、棺……まだわたし、ふういんといて……ぇ?」
混乱の極みにいるのだろう、ぽかんと口を開けて呆けた様に言葉を紡ぐ少女に変わって、テンプスが告げる。
「――あー……もし?」
「……?」
掛けられた声に女性が首をかしげる。
そのしぐさもひどく美しい――まるでオモルフォスのようだ。
「失礼ながら――どちら様で?」
「わたし?」
「ええ、もうしわけないが僕は貴方を知らないし、ここは僕の家だ。」
そう言って相手を見つめる――困惑の見て取れるその表情には悪意の影はない。
「ん、そう、なんだ……私は、タリス・カレンダ、その子の……お母さん。」
そう言って、微笑むその顔には慈愛が見て取れる。
その愛が向かう先は――まあ、わかるだろう。
「おかぁ……さん。」
「そう、だよ?おはよう。」
そう言って、タリスはたおやかに微笑む、その美しさたるや……
『なるほど、これは確かにアマノ以上だ……国ぐらい落ちるな。』
湧き立つ慕情を意識的に支配しながら、テンプスは眉を顰める――話がおかしい。
「マギア?」
目の前の光景を受け止められずに茫然としている後輩に声をかける。
「ふへぇ?はい……?」
「あー……君のお母さんはオモルフォスの持ってた棺の中にいるんじゃなかったか?」
「え、あ、はい……私の部屋に……?」
「その中にいたんだろう?」
「え、ええ、昨日確認した時はきちんと棺に居ました。」
「君の封印はそんな簡単に解けるか?」
「解けない……と、思います、たぶん。」
だとしたら、やはり話が合わない。
どこか上の空の返事をするマギアに不安感を覚えながらテンプスは語るべき一言を告げる。
「なら何でここにいる?」
そもそも前提が間違っているのだ、マギアと祖母が同時に放った言う術によって封印されている女性が、そうやすやすと出歩けるはずがない。
内側から解けないことは1200年の歳月が証明している、経年劣化の可能性はあるが――彼女がこの状況に驚いているのだから、それはないだろう。
だとしたら――誰かが呪いを解いたのか、あるいはこれがそもそも別人なのかだ。
「えっ、あっ……」
にわかに、マギアの瞳に理性が戻った。
この状況がおかしいと思う程度の思考能力が戻ってきたらしい。
「――どうしたの?」
鈴が転がるような清らかな声が響く。
その声は驚くほどするりと耳に入り、鼓膜を揺らす。そのかに浮かぶ笑顔にはとてもではないが悪意は見えない――だが、それが必ずしも彼女が的でないことを示したりはしないことをテンプスは知っている。
「――お母さん?」
「ん……?なに?」
微笑む女性の笑顔に、一瞬マギアがひるんで――それでも声を上げた。
「ぁ……えっと、聞きたいことがあります――いったいなぜ外に出ているんです?」
「――なぜって?」
「私とおばあちゃんが二人を封じたはずです、それはどうやって外に出たんですか?」
「――ああ、あの石の棺……聖女様の、魔術だったんだ。」
「……そうです、二人を守って逃がすために、おばあちゃんと作りました。」
「そう、すごい魔術、だね。あなたは昔から、すごかったからね。ねぇ――ノワ。」
「――ん、姉はすごい。」
新しい声が響く。
その声は二階――自分やマギアの寝室のある階――から降りて来た。
「―――」
またしても、マギアの動きが止まった。
それは当然予想できた相手、棺のもう一人の住人――
「ノワ……」
――マギアの妹だ。
「ぁ……わたし、あの……ぁ……」
声が震えている――当然だろう。1200年、彼女が待ちわびた瞬間だ――それがここまで怪しい物になるとは彼女も思っていなかったろうが。
「どしたの、あね?こっちおいで。」
「……ぁ……」
ふらふらと、おぼつかない足取りのマギアが歩き出す――止めなければならない。
彼女は明らかに正常な判断能力をなくしている。当然のことだ、1200年の孤独が彼女に与えた影響は計り知れない。
だが、彼女がすがろうとしているのが本人である確証がないのだ。罠である可能性は十分にある。
「マギ――!」
瞬間、揺れる空気に彼の脳が反応した。
これはまずいパターンだ。
とっさに首の前に差し込んだ腕を巻き込んで首に何かが巻き付いた。
何かの皮のような頑健性、固すぎる、腕の力では引きちぎれない。
そのまま、体が後ろに向けて勢いよく引きずられる。
「――ぇ、先ぱ――!?」
叫んで振り返ったマギアの言葉が途中で止まった――うしろから 口をふさがれたからだ。
「――ごめんね、あね。」
彼女が意識を失う前に聞いたのは1200年ぶりに聞いたどこか気まずそうな妹の声だった。
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