時は流れて
「――重ねがさね、ありがとうございました。」
そう言って流れる夜が地面に向けて滝のようにこぼれた。
「――重ねがさね言うが、別に気にせんでいい。僕が襲われたことを解決したら、偶然あんたにつながっただけだ。」
告げられる言葉が同じなら返す言葉も同じである、お互い譲る気のない会話は平行線をたどって同じ場所に着地する。
「……」
「……」
一瞬の重い緊張は、少女が噴き出しことで和らいだ。
「ふふっ、これ、何度目でしたか。」
「七回目だ――休校中まで家に来て頭を下げていくかね、普通。」
呆れたように男子生徒――テンプスは相手の女生徒に目を向ける。
「悪いことをしたら謝るのが当然でしょう?」
女生徒――アマノはそう言ってどこか楽しそうに扇子の内側で笑った。
「ホント、変に律義だな……」
そう言って苦笑するテンプスは視線を周囲に向ける――屋上の風景は一週間前と変わらない。いつものように空が近く、いつものように人気が無い。
――あの一連の大騒ぎから早一週間が経とうとしていた。
あの後、魂の密閉を完成させた二人は息切れしながら現れた学園の教師陣に囲まれた――どうやら、生徒の避難が終わったと同時にこちらに来たらしい。
ギリギリで鎧を解除し、横たわる用務員の呼吸を確認していたテンプスとマギアに何かしらの術によって連絡を取っていたアマノはそのまま教師陣の尋問の憂き目にあった。
結局、彼らが家に帰れたのは時計の針がくるりと一周し、夜も更けたころだった。
げんなりと校門を出るテンプスを出迎えたのは――マギアだった。
どうやら、自分が解放されるのを待っていたらしい彼女は彼のことを上から下までまじまじと眺めて一言「負けそうなら負けそうだって言ってくださいよ。」と半目で告げて腹に拳を打ち込んできた。
「負けてないだろう?」と口にしながら、その行動に苦笑しながら彼らは家に帰ったのだ。
その後三日、学園は休校となった。
名目上『安全確認と今後の対策協議のため』――ということらしいが、実際のところ、たぶん上の方で責任のなすりつけあいが起きていたのだろうというのがマギアとテンプスの共通認識だった。
そんな休校中の日々において、アマノは毎日のように謝罪に来た。
最初は警戒心で飢えた狼のような対応だったマギアすら、三日目には「あの人は律義な人ですねぇ……」といささか辟易としていた。
学校が始まってからもそれは変わらなかった。彼女は必ず一度は彼に謝罪の意思を告げて来た。
今もそうだ。とうとうマギアは「監視はしておきますから、お一人でどうぞ?」と渋い顔で彼を追い出すほどになった。
それを信用と取るのかあきらめと取るのかはわからないが。
『ここまで行くともう謝罪なんだか揶揄われてんだかわからんね……』
まあ、彼女からすればそれだけ助かったということなのだろう。自分の追いかける相手を捕まえ、そしてあの告白騒動も終わりにしてくれたのだから。
――男子側が逃げたのだ。
「あんなのに狙われる可能性があるのはとても耐えられない。」
いろいろと言い訳をしているが――色物五人衆は、おおむねそんなことを語っていた。
「まあ、私たちに付き合えるのはよっぽどの変わり者だけですよ。」
などとマギアが肩をすくめていたのは記憶に新しい話だ。
「――ところで、よろしいのですか?下では何やら騒々しいようですが。」
唐突にかけられた声に、テンプスの思考は現世に舞い戻ってきた。
見れば、彼女が屋上のヘリから下を見下ろしている。その下では人々が何やら騒いでいるのが目に入った。
「お?ああ、ほれ、ジャックの逮捕で一度つぶれた学内武闘会をもう一度、というので準備中だ。あの用務員の一件をどうにか払拭したいらしい、あいつを捕まえたおかげで最低限の面目は立ったしな。」
結局、あれは計画通りに行われるらしい。準備するにも本来の開催期間まであと一週間しかないが――まあ、そこは運営とやらが何とかしてくれるだろう。
「あんなことがあった後でやるのか?」という点に疑問の声も上がったが――この意見に待ったをかけたのは学園の一部の教員だ。
彼らの言うことには、確かにこの一件に対して学園側は間違いを犯したが、それを補うだけの成果も上げているというのだ。
これは彼女――アマノが用務員を取り抑えたことを意味するものだ。
「あれも腹立たしい話でしたね。あなた、存在しなかったことにされていましたよ?」
「いいさ、向こうにはそれを認められないことは分かってたし。」
苦笑する――予想はついていた。自分がこの学校において意味がある行為をするのを、大体の人間は認めない。
「諦めが良いんですね。」
「重要視してないのさ。」
苦笑して彼女を見る。おそらくは外れるだろう問いかけを口にした。
「――行くのか?」
「いえ、少し気にかかることがあるので――もうしばらくはここに。」
「ふぅん?本の方はいいのか?」
「あの子の報復は終わりましたから、他の子も出てきていないようですし。」
「意外と仕事ないのか、その本。」
「ええ――そんなにしょっちゅう脱獄されては面目も何もないでしょう?」
「――確かにな。」
そう言って笑う――そうポンポン逃げられていては確かに牢獄でも何でもない。
「ええ、ですから、またしばらくこちらでご厄介になります――何かあったら、ご連絡ください。」
そう言って踵を返して歩き去る彼女の背中にテンプスがふと声をかける。
「――なぁ。」
「はい?」
「……あんたの報復は終わったのか?」
「――」
一瞬、驚いたように目を見開いた天上の姫君は、本当に一瞬だけ、痛みに耐えるようにそっと目を閉じ――次に開いた時にはすっかり、元の彼女として答えた。
「――まだです。だからこの本は私のもとにあるんですよ。」
そう言って、彼女は朗らかに笑った。
――天から来た化け物も恐ろしいほど美しい女性は彼女自身の逸話の最後から長らく表舞台に顔を出さなくなる。
それこそが彼女が「伝説」になった理由であり、彼女のことを知る人間がほとんどいない理由だ。
ではなぜ、時の帝すら虜にした女は表舞台から姿を消したのか?
彼女の逸話にはこうある。
『養父母の無残な死体を見つけた輝夜は嘆き悲しみ、その涙でその姿を影に変えて、それから一切姿を見せなくなった。』と。
彼女の身に降りかかった悲劇の原因が生きていることは時の流れから考えてあるまい。
そして、彼女があの罪人を追いかける本を持つのならば――その罪はおそらく、いまだに裁かれていないのだ。
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