終わりの訪れ

「ギギギ……」


 歯ぎしりの音が響く。


 追い詰められた老婆の顔に走るのは苦しみと――怒り。


 諦めの色は見えない――この状況にあってなお、自分はこの状況を脱することができると信じているらしい。


「――これでいよいよ打ち止めか?」


 そう言いながら弩を向けるテンプスに、老婆の鋭い視線が刺さる。


 実際に視線に鋭さがあれば彼などズタズタにされているだろうその視線は、しかし、彼の体のどこも傷つけることなく、彼に向けられたままだ。


「ありえないぃ……ありえないありえないありえない!こんな……こんなガキどもに……このわしが追い詰められなんてありえない!」


 口からほとばしったのは現実逃避の言葉、目の前の事実が受け入れられない哀れな老人の戯言だ。


「なんでうまくいかない!これまで、今までうまく回ってきたのに!この図体だけの体を乗っ取ってやるためにこいつの欲望をかなえてやった!あの偉そうなガキだって消えた!お姫様ごっこが大好きなあばずれも消えてなくなったのに!」


 止まらないことを暴走というのなら、目の前のこれこそ一片の曇りもなく暴走していた。


「わしは―――私は運命に愛されてるはずだろう!?今回だってうまくいくはずなんだ!あの爺だって誑かせた、あの雀のガキだって黙らせられたんだから!」


 そう言って叫ぶその顔はひどく醜悪だ、まるで蛆虫が湧いた死体のように叫ぶその姿に、テンプスは何も言わない。。


 別段、それに何かを語ってやる必要も感じていなかったし、言うべきなのは自分ではないのだ。


「――ずいぶんと勝手なことばかり言うものですね。」


 そう言って鈴が転がるような声がしたのはその時だ。


「――あぁ?」


「先ほどから聞いていれば図々しい……あなたのようなものが何かに愛されるはずがないでしょう?」


「小娘が……お前に何がわか――」


「あなた、もともとは出戻りでしょう?」


「――!」


 老婆の動きがまるで何かに突っかかったように止まった。


「あの村唯一の離縁された女、浪費がひどすぎて男から捨てられたそうですね、まったくどこまでも意地の汚い女。」


「――小娘ぇえっぇえっぇぇ!なんでそれを――!」


「あの老人に拾われたのだって彼の良心に訴えただけでしょう?ここであなたと結婚できなければ自分はどこかに放逐されて死んでしまうと言ったと聞きましたよ。」


 テンプスは傍らで聞きながら思う、それはおそらく『雀の娘に彼女が伝えた情報』だ。


「――――」


「そんな人相手にも財産をだまし取ろうとするのですから、いよいよ救いようの女ですよ、貴方。」


 絶句する老婆にも、アマノは容赦がない。


「あの老人にも、離縁されかかっていたのでしょう?あの子が伝えなくても、じきにばれていた。あの老人に捨てられるのなら相当やらかしたんでしょう。」


 冷めきった視線を送る、反対側で見ているテンプスですらいわれのない冷や汗が出そうなその視線に老婆がどのように耐えているのか、テンプスには甚だ疑問だった。


「あなたはうまくやっていたつもりかもしれませんが、そんなもの、問題が貴方の見ていない部分にたまっただけですよ。そもそも、何かがうまくいったと本気で思っているのですか?」


「ギイギイギイギイ……」


 歯ぎしりが激しさを増す――いよいよ、あの老婆の終わりも近いだろう。


 そう考えるとほとんど同時に老婆の姿が消える――と、同時にテンプスの手の中の弩が動き、あらぬ方向に撃ち出された。


「あぎゃぁ!」


 老婆の声が遠くに聞こえる。


 その根元は先ほどテンプスが足を打ち抜いた狼のいた場所から聞こえてきた――どうやら、性懲りもなく入れ替わりで逃げようとしたらしい。


 再び八連発された砲撃が強かに体を打ち据える――非殺傷でなければ今ごろハチの巣だったろう。


 全身を気をつけでもしているようにピンと伸ばした小男が地面で俎上の鯉のようにぴくぴくと跳ねている。


「いよいよ終わりかな?」


 痙攣を続ける小男を眺めながらテンプスがアマノの隣に立った。


「ええ、おそらく――長らくお手間をかけました。」


「別にいいさ――で、密閉とやらは貴方もできるってことでいいのか?」


「あら、ご存じでしたか――手順は?」


「思いっきり蹴ればいいんだろう?」


 そう言ったテンプスに、どこか驚いたように目を見開いたアマノは軽く笑った。


「――ふふっ、ええ、お願いしても?」


「どっちを蹴るんだ?はさみか?それとも用務員?」


「用務員です、完全に魂が定着しました――あなたがしたのでしょう?」


「まあね、確証はなかったけど、その方がいい気がしたんだよ。それより……いいのか?」


 言外に自分がこの女へのとどめでいいのかと問いかけるテンプスに笑顔のアマノは朗らかに告げた。


「ええ、私の分も殴ってくださるのでしょう?」


「ふむ……ご期待に沿えるように最善を尽くそう。」


 杖に可変させたフェーズシフターにブースターを装填する。


 それは普段使う銀灰色ではなく、戦闘用の黒でもない。


 純粋な銅を板状にし、特別な液剤に浸潤させて作られた深紅のブースターだった。


 そこに刻まれたパターンは彼が作り上げたものの中で最も細かく、フェーズシフターで作り出せるパターンの中で最も難しいパターンだ。


 これこそがフェーズシフターの名前の由来であり、鎧の『様相フェーズ』を変えるためのパターンだった。


 この金属の、この刻みでなければ使えないこのパターンこそが彼の鎧の力を書き換えることのできる唯一の力だった。


 引き金を引く――鎧表面に幾何学の文様が走り、その色が変わる、頸当ゴージット・プレートなどがオーラに溶けて消え、その下から姿を現すのは深紅の鎧だ。


 彼の鎧――『ガイスト』のなかで最も力強い形態、『フォルティス』がその姿を再びこの世に現した。


「――行くぞ。」


「ええ、いつでも。」


 その言葉を聞いて、テンプスは勢いよく駆け出す。


 小男はどうやら持ち前の回復能力で体勢を立て直しつつある。


 体を勢いよく前に運ぶ彼の耳に声が届いた。


 ――पातालस्य नौकायानस्य नाम्ना, मृत्युप्रेतस्य नाम्ना।――


 その声は、以前オモルフォス・デュオの中にいた魔女を叩き伏せた時に聞いた言葉と同じものだと、テンプスは気がついた。


 どこにいても、結局最後に行きつくところは一つなのだろう、闇よりもなお暗い場所で死んだ魂を待つ偉大なる闇の父のもとに。


 ――एषः पापात् पलायितानां दण्डः, ते च बासाकुसा ध्वनिनावं प्रति वाह्यन्ते यस्मात् ते कदापि पलायितुं न शक्ष्यन्ति।――


 二節目に入った詠唱に背を押されながら、さらに加速。


 足指が動き、パターンを形作る。


 右足の薬指から親指、人差し指から小指、中指を地面に突き刺すように立てて力を込める――曰く、『蹴撃のパターン』


 魔女の時よりも威力はないが――これがこの男に耐えられる限界だろう、あの老婆が消えた後でもあの異常回復が起動するのかがわからない。


 ――आत्मसंहिते यथालिखितं तथा स्वस्थानं प्रेषयतु। पापात् पुनः कदापि न पलायनम्――


 最後の一節が流れる。


 テンプスの足は最高の速度で駆け抜ける。


 最後の一撃に慄いた小男が逃げようと体を動かすが、体が完全ではないのだろう、動きはひどきぎこちなく、遅い。


 勢いよく足を踏み切る――転生者への最後の一撃はこれにしようとあの魔女の時に決めていた。


 空高く飛び上がった彼の体が太陽の光を反射して輝く――そのまま、勢いよく相手に向かって飛んだ。


 全体重を乗せて放つ飛び蹴り。魔女の霊体すら弾き出したこの一撃に、スワローも老婆も逃れることができない。


「――もはや裁かれるべき『強欲の老女』よ、遠き闇の奥から夢見る父の名において、あなたを密閉する――」


 最後の一節が流れ、魔力の円陣が背後に浮かんで――最後の一撃が激突した。


「――मृतानां आज्ञाः死者の戒め。」


 終わりの言葉が紡がれた。

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