魔女の動揺

「――ああ、やったやった!とうとう黙ったね、あの餓鬼!いい気味さ!偉そうに説教なんて垂れるから!あたしのような冷静でできる女が、あんたの如きに追い詰められるはずがないだろう!?」


 小屋に向かって叫ぶ男の声は、不気味な事に女の物だった、それも、しわがれた老婆の物だ。


 耳障りの悪い、まるで耳元を飛び回る羽虫のような声は、聴く人に不快感と苛立ちを与えるだろう。


 けたけたと笑う人形のような不気味な男を見つめながら、マギアは即座にアマノに向けて声をかけた。


「――アマノさん、その子を連れて離れてください。」


「!」


 告げられたアマノが驚いたようにマギアを見る、その顔には決意があった。


「……しかし、それでは……」


「いいから、あれが先輩を……倒した、というのなら、あの女を止めるのは、貴方の能力だと、無理があるでしょう。あれは私が食い止めます。」


「……!」


 そう言った彼女の顔に、後悔と恐怖があるのをアマノはその時に初めて気がついた。


 よく見れば体の末端が薄く震えている。


 怖いのだ――と、直感的にわかった。


 あの老婆が、ではなく、あの少年が死んでいるのかもしれないということが。


 あれほどの爆発だ。通常考えれば生きてはいられないだろう。


 その事実を認識するのが――怖いのだろう。


「――いいえ、ここは私が行きます。」


「!貴方――」


「あれは私の獲物です。やはり、人任せにはできません。ここからは私が、それに――巻き込んだ人間には責任があるでしょう?」


 そう言いながら、こちらに向けて微笑んで見せる彼女は自分の行動に後悔があったのか、決然とそう言って見せた。


「……聞いてましたか?あの女が先輩を……」


「――あなたがそれほど信用する人間なのですから、きっと無事ですよ。ですから、その子を逃がす間に少し落ち着きなさい。」


「――――」


 二の句が継げなくなった。


 それが自分の弱みを見抜かれたことのせいなのか、あるいはかけられた言葉に安堵した自分への叱責だったのかはわからない。


 ただ、そうしている間に彼女が相手に近寄っていってしまったのは事実だ。


 そのせいで、自分が震える少女の面倒を見るしかなくなってしまった。


「――まったく、勝手な人ばかり!」


 そう言いながら、マギアは心のどこかで安心している自分を自覚していた。







『――どうやって抜け出した?先輩が負けた?あの女に?ありえない、ならどうやって……』


 地面のほど近い場所を滑るように飛びながら、マギアは疑問に頭を悩ませる。


 昼休み直後だというのに、生徒の姿も教員の姿も見えない――どうやら、食堂の一件から緊急事態だと考え生徒を逃がしているらしい。


『だったら全員いるかの確認ぐらいしなさいよ……』


 そうすれば誰かしら人に頼んでこの子を託し自分はトンボ帰りして、あの小屋に飛び込めるのに――


 ――もしそこで、彼の死体を見つけることになっても?


 一瞬だけ頭によぎった想像に、体が震えた。


 老婆があそこにいて、あのくだらない妄言を垂れ流しているのなら吹き飛んだ小屋の中で戦った彼は――


『……いや、生身ならともかく、テンプス……あの人は鎧を着ている、あの魔族騎士の攻撃を耐えたんだからそう簡単には死なないはず――』


 ――本当に?


 ――本当に?


 彼女の頭には誰か、ひどく冷たい声をした女が問いかけた。


『あれだけの爆発で魔術が使えない人間が生き残ることができるのか?鎧はすごい、それは確かだが、果たして爆発に耐えられるのか?先ほど、彼は地下にいたが、生き埋めになっているのでは?生き埋めならもはや死んでいるのでは?』


 マギアの脳がテンプスが無事である理由を百並べる間にその声が無事では済まない理由を二百挙げた。


 彼女が振り払おうとすれば、その内容の悉くを否定した。


 百が二百になり、二百が五百になって――それでも否定の声は止まない。


 最後の一つまで絞り出した彼女はそれでもこの声を振り払えない。


 彼女の中に響く声が告げる、きっと無理だと。


 なぜそんなことを言うのかと、彼女が問いかける――それに答える声はひどく簡単だった。


『だってそうでしょう?あなた――』





 ――お婆ちゃんだっていなくなるはずがないと思ってたじゃない――





 そう声をかけられたとき、彼女は確信が持てなくなってしまった。


 頭では彼が無事なはずだと考えられるが、気持ちがついてこない。


 やはり、自分はここから去るべきだったのではという感覚が、彼女を支配しかけていた。


 自分がいるから、こんなことになって。


 自分がいるから、ひどいことが起きて。


 自分がいるから――大事に思う人が死ぬのだ。


 膝から力が抜けそうになる。


 別に大したことではないと、ちょっとだけ――それこそ年をまたぐ間だけ同居しただけの相手だと言い聞かせても、彼女の中に1200年間積もってきた罪悪感の上に降り積もる後悔は彼女にとって重すぎた。


 1200年で初めて受けた純粋な善意は余人には想像もできない程、彼女にとって大切なものだったのだ。


 それが自分のせいで死んだのだとしたら?と考えた時、彼女の意思に従い、魔力が乱れた。


 魔術が千々に乱れ――


『――信じろ、これでもあいつの兄貴だ、何とかしてやる。』


 耳元で、今はそこにいない人間の声が聞こえた気がした。


 乱れた魔力が戻り、再び浮揚が再開された。


「――大丈夫、大丈夫……先輩はいなくなったりしない……約束したから大丈夫……」


 荒れた息を整える。


 今はこの子を安全な場所に運ばないと――再び飛び始めた彼女の心に宿った感情に従い、彼女は飛び始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る