ある女の最初の抵抗

 がくり、と、スワローの腕から力が抜け、首が垂れる。


 緊張していた肉体から力が抜ける、その様はまるで意識が落ちたように見えるが、テンプスは腕の力を緩めない。


 彼の目には、その体に流れるパターンが明確に変わっているのが明瞭に見て取れた。


 このパターンの変動には覚えがある、オモルフォスの時に近い、つまり――


「――老婆か。」


「――ああ、やっぱりだ、あんたが代行者だね!あんたが代行者だ!だから、突然強くなったんだろう!?わかってたよ、私にはわかってた!」


 頭が突然跳ね上がり、男の口からが聞こえる。


 ひどく不気味な光景だった。


 肺にはもはや空気など入っていないはずの男の体だったが、そこから放たれた絶叫はそれを感じさせない程の力をもって周囲に響いた。


「あきらめろ、あんたの罪があんたに追いつく時間だ。」


「はっ、あんたみたいな智慧足らずのガキが寝言ほざくな――この動きにも対応できないくせに!」


 そう叫んだ男の体が突如


『!?』


 代わりに手の中にあったのは息を詰まらせただった。


 狼の首から手を放し、即座に振り返る。テンプスの視界に映ったのは――だ。


『!』


 とっさに腕を跳ね上げて相手の攻撃を防いだ。


 その長大な腕はだ。


 天井すれすれに頭がある巨大な鬼が彼を見下ろしている。


 力任せに押し込もうと力を籠める鬼に対して、テンプスもまた力を籠める。


 数瞬の拮抗の果てに、打ち勝ったのはテンプスだ。


 受け止めた左腕を折りたたみ、肘で腕を跳ね上げながら右手の中のフェーズシフターを可変させる。


 フェーズシフターは鎧との接続で、意志さえあれば自在に形態を変更できる。柄頭が伸び、柄の真下にマウントされて、フェーズシフターは剣の形を示す。


 持ち上げた剣に左手を添え、右足を踏み込み、切り上げを放つ。


 斬線が走り、発光する剣は中ほどから腕を切断、相手が叫ぶよりも早く、腹部を真横に両断する。


 筋肉を引き裂き、骨を割断しながらオーラの刃は止まらない。


 真横に流れた刀身に血潮の一滴もつけずに、テンプスは鬼を切り裂いた。


 後退すらできないような狭い室内で――この鬼から見ればの話だ――テンプスと戦ったのが、運の尽きだった。


 ゆっくりと消える鬼の向こう、こちらを見ながらにやにやと笑う薄気味の悪い男の姿が鎧の『視界』に映った。


 この老婆が何をしたのか、テンプスの『視界』には克明に映っていた。


 あの女が叫ぶや、現在老婆がいる位置にいた狼が消え、次の瞬間には老婆があの位置にいた、そして、狼がここにいる。


 つまり――のだ。老婆と狼の位置を。


 ゆえに手の中に狼の体が現れ、老婆の姿が向こうにある。


 要するに位置の交換、相手の体と自分の体を取り換えて、危険を脱する能力。


『――マギアの狙撃を逃れたのはこれか。』


 おそらく、昨日の朝の襲撃時に彼女が用いた隠し玉を避けたのはこの能力による揉んだろうと、テンプスはあたりをつけた。


 おそらく、鬼か先ほどの裸の男かはわからないが、そのあたりを身代わりに使ったのだろう。


 もしかすると、この力で冥府から逃げ出してきたのかもしれない。


 少なくともスワローは自在には扱えなかった──というか、使えること自体知らなかった可能性があるが、老婆は自由に扱えるらしい。


 おまけに──


『一度倒した個体も呼び出せるのか……』


 面倒な能力だ。無制限に相手を増やされることになる。


 そこまで考えてふと気がついた──もしかすると……


「婆、お前――?」


 それが、あの理解不能な生き物たちのからくりだ――あれが肉体の、魂の一部なのだ。


 おそらくあの老婆は、モンスターの群れに殺されるときも持ち前の強欲さと自分勝手さを発揮し、その強欲さが不必要で歓迎されない奇跡を起こしたのだ。


 結果、彼女は自分を食ったものの魂を引き連れて冥府に落ちて――巻き込んだ魂を取り込んだ。


 それが呼び出される者たちの正体。


 あれは、過去に彼女を食らうために集まった者達のなれの果てなのだ。


 グルグルと喉を鳴らすオオカミの群れを哀れに思う。人を食うという行為が素晴らしいことだとは思えないが、少なくとも、このような最後を望んでいたわけではないだろう。


 眉をひそめたテンプスが、老婆に向けて駆け出――


『――!』


 そこで気が付く、スワローの足元に落ちている物体に。


『――爆弾!』


 まずい、と思った時には既に遅かった。


 スワローが――老婆が腹部を強打し、口から火を吐いた。


 その狙いはテンプスではなく足元の爆弾だ。


 高速で杖に可変したフェーズシフターにブースターを差し込むのと、爆弾に炎が接触したのはほとんど同時だった。


 瞬間、世界が閃光で包まれた。





 それが起きたのはマギアたちが校舎に侵入する直前のことだった。


 空気が激しく揺れ、腹の底に響くような不快な轟音が後ろから響いた。


 突然起きた旋風が髪を揺らす――マギアにもアマノにもそれが何なのかわかっていた。


 爆発だ――それもかなり大きな。


 嫌な予感がした。


 転生者が争っている状況で、これほどの爆発が起きるのならおそらく――


「―――先輩?」


 後ろを向いたマギアが見たのは吹き飛んだ小屋と衝撃で飛び散った木片、それと――ゆらりと立ち上がる、用務員の姿だった。

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