ある男の最後の抵抗

「――よ、よせ、悪かった、謝る、謝るから待ってくれ!」


 追い詰められた男が行ったのは情けない命乞いだった。


 腕を前に突き出し、首を振りながら、彼はテンプスに向かって跪いて頭を下げる――東の国ではこれは土下座というらしい。


 背中から狼が襲ってくる気配はない――この男を巻き込む危険性があるのが問題なのだろう。


 おそらく、この狼たちは尋常の生物ではない。


 魔術で作られたわけではないが、老婆が扱う何かしらの力によって生まれたのだろう。その影響なのか、この狼たちの知性は野生の動物よりも高いのだ。


 だからこそ、この男を巻き込んでしまう危険性を無視できない。


 まとめて叩き潰す方法もあるにはあるが、今はこの男が――というか老婆の入った鋏が優先だった。


 この道具を彼から取り上げれば、あとはこの男を適当にしばき回すだけでいい。


 そう考えながら彼は足元を見下ろす――男は何やら謝罪のようなことを述べている。


「こ、これからは心を入れ替える、もうこんなことはしない、だ、だから――」


 必死に、まるでおろし金あるかのように額を床板にこすりつける男は、なるほど哀れっぽく、同情を誘う動きをしている――それを見て、テンプスは一つ疑問に思った。


「ここで見逃してくれたらお前さんのためになんだって――「――何に謝ってるんだ?」――はっ?」


 心底不思議そうに頭上から響いた一言に、スワローは顔を上げた。


 そこには何の感情も伺わせない紫の兜に包まれた顔がある。


「な、何って――」


「あんたが何かを許してほしいのは分かった。それで『あんたは何を許してほしいんだ?』」


「それは――」


 口ごもる。


「な、なあ、わかるだろう、つまり――」


「何を許してほしいんだ?わからずに謝ってるのか?」


「あー……」


 答えられない。


 当然だろう、この男には彼に謝るつもりなど毛頭ないのだ。


 だってそうだろう?彼はただ


 彼の中にある一点の曇りもない、素晴らしい感情のままにその思いを伝える――それが彼の目的だった。


 だから、彼は具体的な答えを出せない。


 彼にとって、彼らが怒り狂う事柄はただの求愛行動なのだ。


「つ、つまり――」


「―――わかってないんだろう?」


 冷めきった声が頭上からまるでつららのように体を、耳を、脳を突き刺す。


「お前にとって、僕にしてきたあのくだらない攻撃も、アマノにしようとしていたことも、マギアや苦情を申し立てたあの女の子にした事もどれも罪じゃないんだろ?」


 そう言いながら、彼は視界を確認する――アマノとあの少女、ついでに言うとマギアの姿も上の階にはない。


『同行したか?まあ、こいつと同じところには置いておけないしな。』


 好都合だ――穴から会話が聞かれると具合が悪い。


 被害者には聞かせたくないし、代行者に聞かせようものなら本当にこの男が死ぬだろう。


「お前からすればこれは「自分の欲求を満たすための行為」だ、そこに間違いなんてあるはずがない、みんなしてることだからだ。」


「そ、そんなことは……」


「思ってるだろう?だから、おまえは何に謝ればいいのかわからない――謝るべき事なんてないからだ、わからないんだよお前は、僕やマギアたちが何に怒ってるのかが。」


 それが真実だった。


 この男の空想は彼らには理解ができないように、彼には自分たちの当然が理解できないのだ。


「だから、お前はあの子にあんな真似ができる、だって『お前にとっては素晴らしい事』だからだ。」


 その言葉にスワローは顔を再び伏せてうずくまるように頭を抱えた。


「僕にやった行為も、特に悪いとは思ってない――だって『みんなやってるから』だ、この学園の生徒も教員さえもやってるから、誰からも殴られるような砂の入った袋が自分の視界に入ったから排除しようとしただけ、だから何も咎められる謂れなんてない――だって『みんなやってるから』」


 この男の頭を統べるのはその程度の――言ってしまえば幼児じみた、癇癪の結果だった。。


「だから、何も謝れない――だって……」


「――そうだ!みんなが言ってる、おまえを殴るのは善行だって!」


 がばり、と、顔を上げる。


「おまえを殴れば、ほかの奴らと仲間になれる!仲間になれる、だから俺は――」


「――そう言う体で、今度は他人に罪を擦り付けるわけだ。」


「―――――」


 見下ろされる視線から感じる冷たさがより一層強さを増した気がした。


「お前に、他人と一緒になりたい願望なんてないだろう、自分のことを特別だと信じて疑わないんだから。お前は、他人に罪をなすりつけられそうだったからそれっぽい理由を作り出そうとしているだけだ。」


 看破された。


 スワローの脳内に怒りが満ちた――大概の人間はこうやって哀れっぽく見せればだまされるのに、この男には通じない。


 人として何かが欠けているのだ、それでなければ、このように可哀そうな自分に許しを与えないはずがないのだ。


「ち、ちがう、俺は――」


「違わない、お前は常に他人に責任を押し付けてきた。お前の行為を認めないのを周りのせいにして、お前が愛されないのを相手のせいにして生きてきた。」


 蔑むでもなく、憐れむでもなく、ただ淡々と事実を告げるようにテンプスは言った――我慢が効いたのはここまでだった。


「ちがぅ……俺は愛されてる!」


 叫び、哀れっぽい仮面を引き剥がし、体を勢いよく起こして相手に向かって腕を伸ばす――首をへし折ってやろうと思っていた。


 その動きを、テンプスは足一本で止めて見せた。


 立ち上がる体を跳ね上げた足で壁に押し付けるように蹴りつけ、即座にスワローの首に手をかける。


「ぎゅお……!」


 首が絞まって意識が危険信号を発する――首の血管を抑えられている、このまま自分を絞め落とすつもりだと気がついたのはその時だ。


 まずい。しかし、自分に何ができる?


 足をバタバタと震わせて、拳を鎧に叩きつけるが微動だにしない――当然だろう、爆弾でも壊れなかった鎧が拳でどうこうなるはずがない。


 ゆっくりと明滅し始めた意識を必死につなぎ止める――ここで負けてしまったら、自分はどこともしれない監獄に放り込まれてしまうと分かっていた。


 だが彼に逃れるすべは術はない、スワローの心に絶望がとぐろを巻いて―――


『ギヒヒヒヒッ!やっと消えるのかいこのクソガキ!さっさと体をよこしな!』


 そんな老婆の声が聞こえた気がした。

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