そのころ一方
――勢いよく振り切られた拳が机を砕く。
本来の用途とは違う扱われ方をされ、挙句の果てに足蹴にされた机の怨嗟など、彼らに分かるはずもない。
が、それでもテンプスは壊れた机を気の毒に思いながら、左に踏み出した足に体重を乗せて前傾姿勢になることで一撃を躱した。
恐ろしい力だった、生身なら余波だけでも体勢が崩れただろう――生身なら。
右手に握られたフェーズシフターのオーラ刃がひらめき、鬼の右腕が斬り飛ばされた。
苦悶の声を上げる鬼にも、テンプスは容赦がない。
右前に雷を踏み抜くように鋭く前進すると、彼は両手に握り直したフェーズシフターを横一閃に振りぬいた。
紙を刃物で切り裂いたような軽い感触と共に皮膚を切り裂き、バターのように肉を切り伏せて、刃が突き抜けた。
ガクン、と鬼のひざから力が抜けた。
心臓の鼓動と同期した血漿が腹から漏れた。
鬼も赤い血を流すのだなぁ……とどこか他人事のように考えたテンプスは叫びが喉からほとばしるよりも早く、後ろ脚に体重を乗せて首に向けて右から左に刃を振りぬく。
喉から言葉の代わりに空気が漏れて、叫びになるべきものが喉からヒューヒューと音を立てて消えた。
噴水のように血を噴き出した鬼が倒れ伏し――消えた。
『……消えた……となると。』
やはり尋常な生き物ではない。
『意識があるようにも見えなかったから切ったが……この分だと生き物というより、魔力か何かで作られた生き物……か?』
つまるところ、『創造』の魔術に近いのだろう。
それはすべての属性にある『形を作り出す魔術』だ。
土なら土が、火なら火が、願った通りの形になる術でありそれを自在に操ることができる。
しかし――
『……あいつにこんな高度なことができるとは思えん。』
先ほどの鬼の動きはまるで生き物を相手にしているように滑らかだった。
果たして、あの用務員が逃げながら魔術をここまで器用に操ることができるだろうか?
そんな事を考えているテンプスの耳にバタバタと何かを蹴りつけるような音が響いた――誰かが走ってきている。
『――あいつの気をそらすのに三分、こいつの始末に二分……』
そろそろ、ここから逃げ出した誰かしらが教員を動かしてこちらに来てもおかしくはない。
そう考えたテンプスは一足で台から非常口まで跳躍し、食堂から抜け出すと同時に鎧を解除した。
昼をやや過ぎて、それでも太陽は煌々と大地を照らしている。
青い空の下、やることが女子とデートでもなければ、どこかでお茶なんてしゃれたものではなく、犯罪者の捜索なのだからやるせない。
鎌首をもたげた不満を封殺しながら、テンプスは足元を見つめる。
そこにあるのはひどく薄く、ほとんど見えない力を籠めて踏んだことによるパターンの乱れ、規則性のある足跡だ。
足元の足跡は二つ、いずれも同じ方向に向かっている――
『アマノが当たりだったか。』
先程用務員を追った二人のうち、地面に足をつけていたのはアマノだけだ。
そちらに向かって足跡が二つあるのなら――彼女が当たりということだ。
『さて、鬼が出るか蛇が出るか。』
案外どちらも出そうだな……と苦笑しながら彼はそちらに向けて走り出そうとした瞬間、耳に聞きなじみのある声が響く。
『お疲れ様です、かた着きました?』
「マギアか?一応な、これから追いかける――そっちにはいなかったろ。」
『ええ――知ってたんですか?』
「今気づいた、たぶん校庭の方だな。」
『校庭?なんでまた?』
「わからん……が、どちらにしろ追うしかない。」
『ですね、アマノさんは?』
「同じ方向に足跡がある、たぶん追いかけたんだろう。」
『ふむ……問題ないといいんですけどね。』
「……どうだろうな。」
自己愛の強い男だ、追い詰められれば何をするかわからない。
「急ごうか。」
『ええ、すぐ行きます。』
「――鎧、脱いだんですね」
「できるだけ隠したいんだよ、一張羅だし。」
合流しての第一声に、テンプスは冗談めかした本音で返す。
できれば時計のことは知られたくなかった。
それは彼の戦うべき敵を警戒してのことだ。
八人の魔女。
マギアの祖母と彼女自身の仇であり、全員が1200年前の魔術を持つ。
全員がマギアに比肩するというのなら、みだりに手の内をさらすのは危険だ。
おまけに、この時代にない、失伝した魔術を扱う関係上、どのように対策されるのかもわからない。
できるだけ隠し玉を知っている人間は少ない方がいいのだ。
「ふぅん?それで、ここですか?」
合流した彼らが辿りついたのは校庭を横切った先にある、こぢんまりとした小屋だった。
テンプスはそこが廃棄されるまで倉庫として使われていたことを知っていたし、何なら、過去に閉じ込められた経験もあった。
ただ――ここに逃げ込む意図は分からない。
「……なんでこんなところに?」
「わからん、昔閉じ込められたときは抜け道なんてなかったがな。」
「……閉じ込められたんですか?」
「うん、まあ自力で抜けたけど。」
あの時の自分でも、この小屋の中に何かしらの細工がされていれば気がついただろう。
となれば……
『逃げに来たわけじゃないのか、何か取りに来た……』
そう考えるのが妥当だろう、何せここは倉庫だ。
だとすれば、何を取りに来たのか……
『碌なもんじゃないんだろうが。』
考えながらゆっくりと引き戸に手をかけ、勢いよく開けた。
「罠とか警戒しないんですね。」
「アマノが入り込んでるのに気にしても仕方ないだろう。」
「ああ、なるほど。」
言いながら、彼は周囲を眺める――以前閉じ込められたときと同じように埃っぽい、特に特徴のない部屋があるだけだ。
「……いませんね。」
「いない、いないが――」
一瞬起こった違和感を彼は見逃さなかった。
『埃が――』
舞い上がっている。
下からの風だ――しかし、なぜ?
一瞬考えて――理解した、下だ。
「――マギア、下見えるか?」
「下……ああ、地下ですか、ええ、大丈夫で――」
そう言って魔術を起動するのと、マギアの顔色が変わるのは同時で、テンプスがそれを見て時計を胸に押し付けたのもほとんど同時だった。
「――あの荷物の手前、床を砕いてください、アマノは何かを庇ってます、こうげきされてる。」
「――了解。」
言いながら疾走。
『――
足指が、鉄靴の中でうごめく。
薬指から親指、人差し指から小指中指――蹴撃のパターン。
足にオーラのきらめきが宿ったことに気がついたのはテンプスだけだった。
彼の両手もまた動いていた、その手が腰から一枚の紫の金属板を手に取り、杖の形のフェーズシフターに差し込まれた――どうやらこいつのお披露目らしいと、どこか愉快な心持で考えていた。
そのままの勢いで足を踏み切り、同時に、人差し指が引き金を引き、空中に誰も見ることのできないオーラのパターンを刻む
瞬間的に鎧を覆った結晶と共に、彼の体は空に跳んだ。
下向きの飛び蹴りは呆れたような声と共に床板を砕く。
「――まったく、代行者ってのはみんな人を庇うのか?」
そう言いながら、彼は天井を突き抜けた。
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