地下の邂逅

「――『用務員はこの学園に住み着いている』……有名な話ですが、まさか本当に住んでいるとは思いもよりませんでした。」


 その声は、彼が入ってきた狭い入り口――校庭の脇に併設されたこぢんまりとした倉庫とこの『地下』につながるはしごに向かうための通路と部屋の境から聞こえた。


 そこは地下に物品を保管するための倉庫だった。


 大人が十人横に手をつないでも問題がない広さのそこは魔術の道具で照らされていてなお暗く、埃をかぶり、湿り気を帯びていて――なるほど、犯罪者の住処と言われれば十二分に納得ができるものだった。


 そこに居たのは猿顔の男だ、背丈はテンプスの肩ほどの高さで猫背の、卑屈そうな印象の男だった。


 これがスワロー・ミストシィザ、用務員にして老婆の器――もしくは少女の天敵だ。


「お前……は……」


「――どうも、用務員様……いえ、『厄介者』と呼んだほうが分かりやすいでしょうか?」


 そう言って扇の裏で酷薄に笑う少女――アマノ・テルヨはさびれて埃臭い部屋の中であってもなお、美しく映った。


 歓喜がスワローの心を満たした。


 何せ彼が望んでやまない女神の片割れがここに、自分の部屋にいるのだ!


「アマノ・テル――」


「――ああ、その口で名前を呼ばないでいただけますか?寒気がするので。」


 ぴしゃりと切り捨てる、眼差しがさっと強さを増した。


 その視線に満ちているのは彼への軽蔑と敵意だ。


「……!」


 その目から感じる自分への嫌悪に彼は衝撃と強い悲しみを覚えた。


 あまりにも唐突な一幕だった。


 彼にとって、青天の霹靂だ、あまりにも――ひどい。


『だましていたのか……!』


 怒りを覚えた――この女もまた、容姿を偽っただけの大人だ。子供はあんな目をしない。


 この女は自分の純情な感情をもてあそんだ、自分の感情を操ろうとしたのだ。


 彼の中で怒りの炎が赤々と燃え上がった。


 瞬間的に彼女を敵と認識した男は体から怒気をばらまきながら彼女に鋭い視線を投げた。


 彼の怒りに応じて、彼から生まれた人ならざるものが蠢動する。


 頭部に角の生えた生き物――小柄な鬼がおもむろに前に進み出る、不埒な女への制裁のためだった。


 その後ろで、全裸の男――シバカキが手近な物体をつかんで構える、投げるつもりなのは一目でわかった。


「あら、今回の鬼はずいぶんと小さいのですね、てっきり先ほど食堂に来たような大柄な方が出てくると思ってましたけれど。」


「うるさい、お前のような小娘、これで十分よ!」


 そう言いながら、スワローは声を張り上げて宣言する。


「――やれ!」


 声と同時に二つの影が勢いよく動く、片やアマノを頭からトマトのように潰すため、片や石で顔をつぶすために振りかぶ―― 


「――《動くな、下郎》。」


 吹雪の中に投げ出されたような冷たい声が響いた。


 瞬間、二つの影が虚脱したように体の動きを止めた。


 がくりとひざから力が抜け、前のめりに首を倒した。


「……!?」


 スワローが驚きに目を見開く、こんなことは初めてだった。


「――ああ、そういうこと……あなた、ずいぶんと好き勝手してるようですね。」


 そう言いながら、軽蔑の視線を向ける彼女は扇の後ろで、ひどく汚らわしい物を見るような視線を男に向けていた。


「……ぎぎぐぐっ……」


 喉から異音が鳴った。


 この女を見ていると、昔、自分を手ひどく振った女を思い出す。自分の愛を受け入れられず、手ひどく罵倒して去って行った――ただ少し、舐めただけだったのに。


「何をした……」


「何と言われましても……『言霊』で黙らせました、護身術は淑女のたしなみでしょう?」


 そう言いながら、朗らかに笑う。


 意味は分からないが、この娘の何かしらの術だ――やはり、この女は子供ではない。子供は自分に抵抗などできない、従順な生き物なのだから。


「それにしても……あなたは相も変わらず隠し物を地面の下に隠すのですね。」


「あいかわらず……?」


 なんの話か分からない、分からないが――なぜだか過去に同じように問い詰められたような感覚が体に染み入って、非常に不愉快だった。


「あら、まだ『表出』していないのですね。珍しい、そこまで性質が表に出ていれば普通は混ざり切っている物ですが……まあ、別にいいでしょう《さあ、その鋏をよこしなさい》。」


 強い力を秘めた声が彼の体を縛り、鋏を手渡せと迫る。


 勝手に動き出す腕をもう片方の腕で抑え、地面を蹴って距離を取った。


 腕と鋏を抱えるようにして猿のように体を丸めた男は、まるで雨に濡れた本物の猿だ。


「あら、往生際の悪い……いい加減諦めなさい、貴方のうらぶれた欲望もここで終わりです。あきらめの悪い男はモテない……らしいですよ?」


 そう言って首をかしげながらこちらに向かって歩き出すアマノに、首を振りながら叫んだ。


「ぞ、ゾンナゴドハナイィ」


「あら、どうしてそう思われるんです?実際、貴方の傍には誰もいないではありませんか。」


「違う!だって――だって、その子は愛してくれたぞ!」


 そう言って、彼は部屋の隅を指さした。


「―――!?」


 振り返る、暗い部屋の隅、何かが動いて――


『――人!?』


 その顔に見覚えがあった。


『行方不明の二回生――』

 去年から行方知れずの少女だった、ある日、突然この学園から消えた。


 決して、成績のいい少女ではなかった上、平民の出だった彼女はテンプスに比べるべくもないが、明確に虐げられてもいた。


 ゆえに、彼女は実家に逃げたのだろう。そう結論付けられていた。


 それはこの学園では決して少ない話ではない。ジャックやオモルフォスがいなくとも、この学園は決して居心地の良い場所ではない。


 だから逃げたのだ、そう、笑われた少女、だが実際は――


『この男がさらって――』


 ここに閉じ込めたのだ――不埒な欲望を満たすために。


 顔に怒りの色がさすのが分かった。


 彼女とて、若くはない。こんなことに遭遇することもあるが――何度見たとて、この事態に対して嫌悪と怒りを覚えなくなることもない。


 小刻みに震えるその体は、長く洗われていないのかひどく汚れていたし、栄養も足りないのだろう、体も細く、枯れ枝のようになっている。


 その顔には絶望と諦観に満ちていて――今にも死んでしまいそうだった。


「――貴様――」


 声を張り上げて振り返るのと、男が部屋の隅に向けて何かを投げるのはほとんど同時だった。


 反射的に視線がその物体を追う。


 黒光りする金属に包まれ、表面に複雑な記号が刻まれている、それは――


『爆――』


 弾。


 それは六十年前に使われていた対人殺傷兵器だ。


 手のひらに乗る球体でありながら、魔族の体すら砕くそれをあんな少女が受ければ――間違いなく死んでしまう。


 瞬時に、部屋の隅で震える少女に飛びつく。天人の驚異的な脚力は、爆弾よりも早くアマノを彼女のもとに運んだ。すえた匂いが立ち込める少女を抱きしめる。彼女を守るには自分の体の堅牢さと爆弾の破壊力を比べるしかない。


 彼女を庇うように抱きしめて、アマノは体を固める。


 衝撃に備え――


「――まったく、代行者ってのはみんな人を庇うのか?」


 そんな呆れたような声が響いて


「――!?」


 空中に浮かぶ爆弾を爆ぜた天井から素早く降りて来た何かの影が空中でつかまえた。


 その体躯から想像できぬほど素早く、その影が両手で爆弾を包み込むのと爆発はほとんど同時だった。


 指の間から漏れる閃光とくぐもった音だけが爆発を伝えた。


「――――ぇ?」


 何が起きたのかわからない様子のアマノが顔を上げると、目の前の光景はすっかりと様相を変えていた。


 まず目に付くのは天井に開いた大穴だ。それこそ爆弾でも爆発したかのような破砕痕を残して、そこにあったはずの天井がなくなっていた。


 そして、その中心で、ゆっくりと落ちて来た木片などにぶつかりながら、先ほど見ていた鎧とよく似た影が立っている。


 全てが金属の輝きを持つ水晶のように透き通った煌めきを宿し、力強さを醸し出したその鎧は、マゼンダが着込んでいた物とは比べ物にならない力で全身を守っている。


 テンプス・グベルマーレが着込んでいた物に酷似したその鎧はただ、ある何点かが異なっていた。


 それは例えば微かな意匠の違いであったり、先ほどは存在しなかったパーツが何点か追加されている事であったが、何よりも明確なのは――


『――紫?』


 だ。


 先ほどまでまるで業火のような深紅だったその鎧は、一体どういった原理か、まるでアメジストのような高貴な雰囲気を醸し出す深紫に染まっていた。


「――テンプス……先輩?」


「――ん?ああ、お疲れ、無事かね。」


 まるで世間話でもするかのように、彼――テンプス・グベルマーレは彼女に声をかけた。

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