動機

 後ろから「ヒッ」と小さく息を飲むのが聞こえた――マギアだ、どうも、母親の話の時から思っていたがこういった……セクシャルな話は苦手らしい。


 無理もあるまい――自分だってこんなのが自分の研究個室に入っていたのかと思うと部屋の中の物をすべて焼き払いたくなる。


「そこまで考えたらあとは絡まった糸がほどけるようにわかった――マギアは一回生、それも『決して発育がよく見える方ではない。』一歳下でも通るぐらいだ。」


 あの日、夕暮れの中で研究個室に入ってきた時の彼女が思い出された、まるで人形のような少女は決して官能的ではないが、若々しい美しさと可憐さを感じた。


 それがこの男にはいいのだろう――彼女にとっては非常に煩わしい事だろうが。


「あんた、マギアは範囲内だったんだろ?よく似てるアマノもな。」


 言った瞬間、用務員の目がぎょろりと動き、二人をひどく、不愉快で情欲にまみれた目で視界に収めようと動――


 ガオン!


 空気を揺るがしてフェーズシフターが吠えた。


「見るな。」


 まるで子供を叱るようにそう言った彼は、右腕を広げて二人の後輩を守るように立ちふさがり、フェーズシフターの射口を相手に向けている。


「ギザマ……」


 呻くその声は恨みに満ちている。


 それが、攻撃をした事なのか、あるいは彼の「いとし子」との 接触に割り込んだからなのかは――本人にしかわからない事だ。


「あんたが『過剰な接触』をした生徒はみんなそうだ、彼女の様におびえて――最後には学園に来なくなった。この時、尋問科があんたを調べて、学園側に報告してるな、人事査定に乗ってたよ。」


 曰く、「用務員は四名の生徒に対し、口に出すのもはばかれるような欲望を向け、それを発散しようとしていた――」あとは語るまい。


 簡潔にまとめるとこの程度のことだが、実際にその手の存在に付きまとわれる人間の苦労は計り知れない物だ。


「あんたは戒告を受けた。それはあんたにとって痛手だ――ここから追い出されたら、あんたは『楽園』をなくすことになる。」


 それは彼の――いとし子たちのたまり場だ。


 彼にとって、ここは『情欲を満たすための場所』でしかない。


「だからあんたは耐えた、前回の戒告から五年間、あんたにしてはずいぶん頑張ったな。」


 鼻で笑って見せる――マギアの準備はそろそろ終わるだろう。


「学校にだれより早くいる理由もそうだ――あんたは学生にとって『見えない人』、いても意識なんて割かれない、それを利用して、自分にとって情欲を感じる生徒を監視してた。」


 だから、彼は一度も遅刻していない。できるわけがない。そんなことをしたら彼は『唯一の楽しみをなくしてしまう』。


「僕はてっきり、起点が金銭や贅沢をするために生じる物だと思ってた。でも違うんだよ――あんたの動機は情欲だ。」


 だから、テンプスは狙われた――マギアと一緒にいるからだ。


「あんたがジャックに手を貸さなかったのは彼の方が僕よりよっぽど遊んでたからだろう――あんたの愛しの「子供」に。」


 彼は金銭では動かない――それは正しかった、その上で、マギアと親しかったテンプスに味方するように動いたのは『ジャックがより自分のいとし子に手を出していたからだ。』


「彼のことも殺したかったんだろう?だが、相手は大企業の御曹司でお偉方の息子だ。手が出せない。」


 だから耐えた。


 耐えるしかなかった――そして。


「マギアが現れた。」


 彼の情欲を激しく揺さぶる美少女、人形のようにも妖精のようにも見える美しい少女――彼の理想だ。


「だが、彼女は僕の弟と一緒にいた、だから、またしてもあきらめた。」


 苦渋の決断だろう、五年の禁欲の上から彼女をあきらめるのは。


「そして、その後にアマノを見つけた――マギアに似ていて、誰とも共にいない少女。」


 なるほど、それは彼にとってはまるで天からの贈り物のように見えたことだろう。


「だが、ある時からうわさが流れだす――婚約者を自称する男たちがいると。」


 彼の落胆は決して小さくはなかっただろう。


「でも手は出せない、彼らもあんたより力も財もあったから。」


 殺すことはできない――だって、自分とはすべてが違う、運命の不平等によって自分と彼らの間には埋めがたい断絶がある。


「だからあきらめた。あきらめるしかないと考えて自分を慰めた。」


 それでも恨みを募らせた。


 何せ五年分の情欲がたまっていた、彼には我慢できない――衝動的に人を殺しに来るような男が、五年耐えただけで十分すぎる程異常なのだ。


「なのに僕が出て来た。突然、何の前触れもなく、当たり前の様に――僕の名前は賭けの舞台に上がった。」


 それは彼にとって、とても許容できない事だった。


「大部分の人は大して気にしなかった、そりゃそうだ。学園一の味噌っかすに惚れる奴はいない、大部分はそう考えた。」


 それは彼の名を賭けの舞台に乗せた人間ですら同じだった、


「でもあんたは違う、許せなかった。」


 許せるはずもなかった――何せ、彼はすでにマギアを奪っている、五年間の情欲に火をつけた人間を。彼の中において、許されるはずがない。


「あんたは思った――なぜ、同じ、いやそれ以下の男があの舞台にあがれるのに自分はそこに居られないのか、そして、こいつは、また自分から楽しみを奪うのか?」


 『楽しみ』とはマギアのことだ、彼女への監視はテンプスが隣にいては不十分だ、不純物が入る――最も、彼女相手にまともに監視できていたのかはわからないが――し、何より、他人の対して笑顔を見せる彼女を見続けねばならない。


 彼からすれば、これは宣戦布告に等しい。


 その上に――アマノまで彼の傍に行く、これはもはや彼には耐えられない苦痛だった。


「あんたが僕だけ狙った理由はそれだ――嫉妬だよ。」


 だから狙う、ゆるされないから。


「今ここにいるのも同じ理由だ――今度は彼らが許せなくなった、本当に奪われるような危険には耐えられなくなったんだろう。」


 だから、告白をつぶしに来た――自分の手に入らないアマノを殺すことで。


「……結局、これは『婚姻騒乱』だったんだよ。最初から最後まで、ある男の――『自分のできない』婚姻にまつわる嫉妬で起きた騒乱。」


 そう言って、彼は襤褸切れの男を見つめる。


 嫉妬に狂った男は、狂気のはらんだ目線を放つばかりだ。

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