ある代行者の事情
「こうして、老婆は冥府に落ち、罪を裁かれ、大いなる闇の主たる神の下ですべての罪を溶かされすべては終わる――」
「はずだった。」
「ええ、本来ならそこで終わるはずでしたが――御覧の通り、私はここに居ます。」
すなわち、どこかでその法則が狂い、起こるべき何かが正しく行われなかったということだ。
「これが私の知る全てです。」
「……」
永い話の終わりに待っていたのは、倦怠感とやりきれなさだった。
世の中が素晴らしいと一言で語れないのはいつものことだが――それにしたところで気の毒な存在への同情は消えない。
「――ね?聞かない方がよかったでしょう?」
そう言って扇の奥で笑う少女は、どこかから揶揄っているようで――それでいて、どこか憐れんでいるようにも聞える声で告げた。
「ま、愉快な気持ちになりたくて聞いたわけじゃないさ。」
そう言って肩をすくめたテンプスは、目の前の少女に告げる。
「で、これはあんたが見た話だな?」
「ええ、一から十までとはいきませんが、ほとんどは。」
「あんたの脇に居るっていう、雀の娘の霊からはなにも?」
「ゼロではありませんが――そうですね、基本的には何も。」
「何故?」
「先ほども言いましたが、彼女は舌を切られて死んでいます。つまり――」
「――霊体にもないのか?」
「ええ、ご明察――さすがに学園一の天才ですね。」
「ふむ……」
目の前の少女の雑な誉め言葉を聞き流しながら、顎に手を当てる――今まで、そんな事例は聞いていないが……
『いや、そもそも、そんな風に死んだ奴がいないか。マギアは祖母の魔術による例外的な死でタロウは海に落とされての溺死だ、ついでに言うならどっちも霊体は見てない。』
唯一テンプスが霊らしきものを見たのはオモルフォス・デュオの一件だけだ。
それだって、天寿を全うして死んだ女の霊で、生前の欠損がどう霊体に影響するかにはいまいち理解ができていない。
「つまり――あんたも雀の娘とコンタクトが取れないのか?」
「厳密にいえば取れはします、せいやくのしょの機能の一つとして、本の所定のページに彼女の思考が浮かぶのです。」
「ほう、そんな効果が。」
「あるのです。が、これはあくまで、文字として、本の上に浮かぶもの、本を開いていないときは当然――」
「読めないし、わからない。」
「ええ、まさか、黒の大判の本を広げながら虚空に話しかけるわけにもいかないでしょう?」
「まあ、それやったら、確実に不審者だな。」
想像して苦笑する――そんなことになっていれば賭けのために人を求婚者に仕立てるなんてとてもできまい。
そうでなくても、『抜け』から警戒されること請け合いだ。
「わからんのだが――相手の素性が分かってるのなら、何で見つけられない?」
「この下手人は『厄介者』だと言ったでしょう?どうやらこの女――個人にとりついていない疑惑があるのです。」
「はぁ?」
意味が分からない――ということは、様々な人間に取り憑いているとでもいうのか?
理解ができずに、まるで珍獣でも見た様に顔をゆがめる
「魂にはそれに合う器物があるという話は?」
「マギアからさわりだけは。」
「今回の件はその状態を利用されている案件です。」
「というと?」
「こちらへ来てから、私たちは老婆を探していますが一向に見つかりません。この学園すべての職員、生徒に接触しましたがそれは変わりません――まるでここには存在していないかのように見つからないのです。」
「――ふむ?そもそも、学園の中に居るってのはどうしてわかったんだ?」
「そこが、この話の肝です。」
そう言って、彼女は扇でテンプスを指し示した。
「『逃れ』とは生前に罪を裁かれず、この世にとどまることで奪うに値する肉体がこの世に現れることで、この世に生を受けなおした者。」
そう言って、彼女はテンプスを見やる。
「しかし、『抜け』はそうは参りません、あれらは根本的に罪から逃れるために冥府からまろび出た者達、逃れた時に必ずしも、転生に値する肉体があるとは限らないのです。」
「ふむ……」
なんとなく、話が読めた気がした。
考え込むテンプスをしり目に、彼女は自分の扇を見せる。
「ゆえに、その手の者達は器物に宿ります、この扇の様に古い物、ゆかりのあるものなら尚のこと良いでしょう。老婆もその類でした、自らが扱う肉体もなく、それゆえに――」
「――鋏に宿ったわけか。」
「――本当に賢いのですね。」
そう言って、輝夜姫は扇子の内側で微笑んだ。
「そう、私はその鋏の行方を追ってここに来ました、ジャックでしたか、貴方が冥府に送った魂の持ち主、あれが我々の国との貿易中に珍品としてこの国に運んだ器物の一つ、それがあの老婆の住処、『抜け』は鋏に宿って波長の合う人間のもとに居るのでしょう。器物に接触せねば、こちらとしても探しようがないのです。」
「ふむ……それでどうやって物質界に干渉してんだ?」
「波長の合う人間と魂を同調するのです、徐々に徐々に波長を合わせて――最後には、その人間の魂を支配する。」
「オモルフォスの時と同じか……ジャックの時は上まで上がってこなかったからな。」
「オモルフォス・デュオについては深く知りませんが――あなたが霊体を見られるほど強くこの世に現れたのなら、間違いなく甚大な影響があったでしょう。魂の融合、ないしは統合が起こっていても何ら不思議ではありません。」
「……なるほど?」
つまり、このまま『抜け』を見つけられないまま進めば、誰かの魂をそいつが――押しつぶすわけだ。
『それは……』
避けるべきだ。
思い返すのは、今まで冥府に送ってきたろくでなし共のことだ、彼らのような存在は大なり小なり、彼らの周りの人間の人生やあるいは生活に明確な悲劇をもたらす。
そして、それを避けられるほど強い存在はそう多くないのだ。
「わかった――で、僕らはどこまでやっていい?」
「どこまで……とは?」
「あんたの業務として、あんたはどこまで関わらなきゃならないんだ?その婆がいなくなれば過程は気にしないのか?それともあんたが直にそいつを冥府に送り返す必要があるのか?」
「……そうですね、できるだけ私の手で冥府に送りたいところですが、無理なのであれば、そちらが手を下してもかまいません。」
そう言った、彼女はどこか不満げだ――自分を信じられていないと感じたのだろうか。
「そちらで対処するおつもりで?」
「その気はない――が、向こうがこちらに攻撃してきた以上、対処はする、その過程で僕がその老婆の『仮住まい』を見つけて、倒す可能性は……」
ある。
そう言おうとしたテンプスを止めて、輝夜姫が言う。
「結構、そこまで否定はできません。あなたが始末するというなら、こちらとしてもまだしも安心できますし、そこで手打ちとしましょう。」
「わかった――そろそろ昼休みも終わりだ。戻ろう。」
「ええ。」
そう言って、踵を返して屋上の出口に向かう彼女にふと思い立って問いかける。
「なあ。」
「はい?」
「その老婆って、猫並みに夜目が効いて、物投げたら百発百中だったりしたか?」
「はぁ?いえ、そんな話は聞いていませんが……」
「そうか。」
眉をしかめる――不審点が残ってしまった。
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