思わしくない朝
登校の決意とは裏腹に、その一日の開幕は決して愉快とは言えないものだった。
「――なんだこれ?」
大図書院の脇、いつもの研究個室の扉は明らかにいつもの様相とは違った。一見すれば問題はない、目の前にあるの何時もの扉だ――只、鍵が刺さらないという一点を除けば。
「……接着剤ですかね。」
「接着剤だなぁ……」
屈んでドアノブの鍵穴をのぞいていた二人が眉をひそめて同じことを言った。
ドアの鍵穴が透明で硬質な接着剤でコーティングされていた。
何かしらの器具で流し込んだのだろう、見た限り阿木穴の中にまでびっしり詰まっているらしい。
これはめんどうな状況だった。
鍵が刺さらないので、扉を開けられないというののもそうだが――この状態では、防犯のためのパターンの影響でテンプス達すら研究個室に入れないのだ。
この部屋にある防犯用のパターンはいくつかあるが、この扉にまつわる部分としては正規の方法以外でこの扉を開けられなくするものだ。
こじ開けようとすればパターンによって体がマヒする。これに例外はない――この部屋の所有者であってもだ。
「また面倒な嫌がらせですねぇ。」
「剣術部の残党かな。まったく飽きもせずによくやる……」
「開けましょうか?」
「いいよ、自分でやる。」
言いながら、腰からフェーズシフターを取り出す。
「ドア斬るんですか?」
「まさか。」
苦笑しながら刃を出すわけではない、今回必要なの『杖』としてのこいつだった。
フェーズシフターの柄頭に手をやって――引っ張った。
フェーズシフターの柄頭は力の流れに従い、下に向かってその体を伸ばした、そのまま伸びた柄頭をテンプスの手は柄と垂直になるように導く。
柄が短く縮み、ガチン、と音を立てて、フェーズシフターの鍔が前にせりだした、柄頭の移動に合わせて、柄の一部も剥離、せり出した鍔の後ろにつくように突起を作り出す。
その部分に収まった柄頭が、鍔の位置を固定する――これが、フェーズシフターを可変兵器と呼ばせる所以たる機構だった。
フェーズシフターにはいくつかの形態がある。
普段、テンプスが主力兵装として扱っている『剣』
そして、ジャックとの戦闘開始時に『剣』を抜くまで使っていた形態――『杖』だ。
最もシンプルな構造にして、ごく単純な放電機構による対象の麻痺のみを武装とするこの形は、シンプルな構造であるがゆえにフェーズシフターの形態のなかで最も多くのパターンを読み込める。
これに、昨夜使おうとしていた形態を含めた三種でもって、フェーズシフターは『多目的決戦用可変兵器:SW-008-S』としての最低限の機能を有していることになる。
腰から引き抜いたブースターを差し込みながら、フェーズシフターを固化した鍵穴に合わせる。
引き金を引けば、動くはずのない鍵がガチャガチャと音を立てて。
『解放のパターン』――『開いた』状態であるこのパターンは対象を拘束や閉じられた状態から『開く』ことができる。
数秒後、テンプスがドアノブを回せば、扉は鍵のことなど忘れた様に開いた。
「お粗末な手品ですが。」
「お見事お見事。」
マギアの気のない拍手を受けながら、室内に入る。
そこにあったのはいつもの研究個室の姿だった。
物は整然と並び、いつものように清掃の行き届いた、見慣れた室内だ。
ただ――テンプスの目はごまかせない。
「まだなんも触るなよ。」
「了解です――入られてます?」
「たぶんな。普段と配置のパターンがずれてる。」
言いながら、研究個室を眺める――やはり、普段の物の配置と微妙に変わっている。
それは昨日この研究個室を出た時とは微妙に向きの変わっている砂糖の壜であったり、ほんのかすかにこちらにせり出している資料の山であったり、わずかに傾いている本棚が伝える異変だった。
「研究資料は?」
「そっちには手が出せん、資料は全部家か机、扉は鍵で開けられるが、机は僕以外誰も触れなくしてある――大体わかった。」
口にして、入口から動き出す――最初に手に取ったのは微妙に向きの変わっている砂糖の壜だ、表面的には何も変わっていない、が、彼の目はそれが何かおかしいと囁いている。
まじまじと、その壜を見つめる。
表面には何もついていない、ただ――
『だまになってない……粒が四角……』
これは塩だ。
本来此処にはない。が――
『ないけど何だ?何の意味がある?』
意味が分からない。てっきり、何かしら毒で盛られているのかと思ったのだが――そうではないらしい。
「……なあ、これ、中身何かわかるか?」
「ん、調べます?」
「頼む。」
そう言って壜をマギアに渡す、何かがおかしい。
次に手を出すのはほんのかすかにこちらにせり出している資料の山だ――見れば、明らかに彼の借りた覚えのない資料が混じっている、題は……
「……なんだこれ、「性的な魔力増進と東方国家における性交渉の魔術的意義」?」
「興味あります?」
「あろうがなかろうがやったら僕、魔力の圧力で心臓破裂して死ぬけど。」
魔力にある程度の抵抗性や親和性を持つ連中にはわからないだろうが、基本的に、テンプスの体に魔力は劇物だ。
魔術を受ければ体は過剰な反応を示し、肉体は乾いた大地よりも貪欲に魔力を得ようとする――肉体の限界を超えて。
そうなった時、待っているのは臓器の崩壊だ。
断言してもいいが、自分がこの手の魔術的儀式に関わることはない――というか儀式自体が毒と同じなのだ。
「ですよねぇ……」
「……もしかしてこれ此処に置いた奴、僕が『魔力不適応者』って知らんのかね。」
「いや、それはないんじゃ?あーでもよく知らなくて、治ったと思ってる馬鹿はいるかもですね。あ、中身塩でしたよ。」
「だけ?」
「ええ、だけ。」
「……何がしたいんだ?」
「さぁ?」
わからない。
てっきり昨日の襲撃者だとばかり思っていた侵入者のイメージが崩れる――意味が分からない。
先日は殺しに来ているのに、今日やっていることはすべて嫌がらせ程度とは一体どういうことだ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます