とんでもない事

 ガチン!と金属同士のぶつかるに音を響かせて、白刃と銀灰色に光る爪が激突した。


『――シルバーサルヴェか……ずいぶん高いもん使うな……!』


 三合、爪と激突した斬撃はテンプスの脳裏に、目の前の狼の爪が明らかに普通ではない事、そして、その原因について思い当たらせた。


 シルバーサルヴェ銀の軟膏と呼ばれるその魔術的な物質は大地をつかさどる魔術の産物であり、揺らめく輝きを持つ軟膏である。


 その不可思議な輝きを持つ軟膏は塗った者の肌、もしくは体の一部を一瞬にして硬化させ、銀と同じ性質を持つ鉱物に変えてしまう。


 一グラムで驚くほど高い――平均的な農家の一月分の生活費に相当する――薬を、どうやら目の前の先輩は自分のために惜しげもなく使ってきたらしい。


『過大評価だな。』


 苦笑しながら半歩下がった。


 父の薫陶と彼自身の能力によって裏打ちされた回避は十分すぎる効果を発揮した。


 一瞬遅れて彼の体があった位置を通り過ぎた銀灰色の爪をテンプスは見ることもなくかわす。


 振り上げた剣を振り下ろす、自分で言うのもあれだg。


 振り下ろされた剣は狼の頭部をとらえ――ない。音もなく動く腕と、妙に輝く銀灰色の爪が剣と頭部の間に滑り込んでいた。


『なるほど、うまいこと考えたな……』


 闇の中に溶けて消える敵の輪郭を見つめながら、彼は剣を脇に構えた。


 彼の体を覆う夜を思わせる体毛はなるほど、この状況ではひどく視認しにくい。


 四歩も離れれば、テンプスに見えるのは爛々と輝く目と銀灰色の爪だけだ。


 腕の軌道が追えないので攻撃はしのぎにくく、おまけに、体の位置もわからないので攻撃も当てにくい。


 廊下の中ほどで始まった戦闘はすでに校門の前の広場――いつも弟達の出待ちがいるあそこだ――での、争いに変化していた。


 これは双方の利害が一致したが故だ――ロボからすればあの廊下は彼の機動性をフルに使うにはいささか狭かったし、テンプスにしても、逃げるその他の選択肢を得るために外に出たかった。


 そうして出て来た正門だったが――


『誘い出されたか?よく頭を使う――こっちが、本気か。』


 この闇の中では彼を倒すことは難しいし、おまけに相手の速度の方が上なので逃げ切ることもできない。


 おまけに――明らかにジャックの下に居た時よりも強い。


 考えてみれば当然のことだ、彼は獣人で、獣ではない。


 連携の練習をしていたって、慣れない体で無理から戦わされればあんなものだろう。


 となると――これが、傭兵種族の本領発揮というわけだ。


 顔面を狙った一撃を膝を折って躱したテンプスは、跳ねるように膝を伸ばし、斜め下からの切り上げで応戦した。


 思ったより伸びていたらしい腕にかすめたが、それでもかすめただけだ――こちらの攻撃が当たらない、素早さと間合いを測らせない戦場の設定で追い詰めてくる。


『時計……いや、さすがに強すぎるな、あんま強いブースターも使えん……』


 考えて、彼は胸にしまい込んだ時計を選択肢から外す。


 以前も語ったことだが、時計は基本的に常人相手に使えるような代物ではない。


 あまりにも強すぎる、その能力をフルに発揮したとしたら、あのマギア相手でも倒せる自信のあるような装備だ――たとえ傭兵種族だろうと、学生相手に使っていいような装備ではない。


 のだ。


 フェーズシフターなど使えば確実に死ぬ。


『もうちょい慣れてれば違うんだろうが――』


 訓練はしている物の……やはり、一定以下の威力で攻撃ができない。


 そうなってくると、相手の命が危険だ。


 攻撃用のブースターにしても同じことだ、大会の際は術のかかった舞台だからためらいなく使ったが、今の状況でうかつにぶった切ってしまえば本当に死にかねない――そして、テンプスに彼を殺すつもりはない。


 仕事で襲いに来ているだけだ、殺すほどのことではない、悪くて憲兵に出すだけだ、それに――


『たぶん、殺すと僕が危ないんだよなぁ……』


 オモルフォス・デュオ、ジャック・ソルダム――学園の二枚看板だった生徒たちを消してしまった彼は学園からすると決して許したい相手ではない。


 機会があれば排除しにかかるだろう。


 彼は少数部族の出だ。


 その黒々とした毛並みは彼が『狼人族』の中でも戦闘系列に属する種族であることを示している、傭兵として名高い彼らの種族を殺したとあっては学園側は自分を糾弾するだろう。


 そうなれば待っているのは退学か――悪ければ逮捕だ。


 こちらが襲われたといったところで信じはするまい――いや、事実を無視して自分を排除するか?


『もしかしてそれも計算ずくか?』


 脇をえぐるように突き出された銀の抜き手をその場で回転して躱す、そのままの勢いで剣の腹を頭部にたたきつける。


 これは当たった。


 思わずたたらを踏み、頭を左右に二度ほど振って意識をはkk里いさせようとしている狼人に視線を送りながら考える――


『さて、どうするかな……』


 使えそうなのは――五枚。


 いちばんよさそうなのは――


『拘束か……可能な限り、怪我はさせたくないし。』


 考えながら、腰に手をやる――今朝ぶら下げた時と同じようにそこにブースターを装填した四角形の箱が鎮座していた。


 大会の時やったようにに指を這わせる――特定の動作で、特定のタイミングを守らなければこの箱は開かない、これで結構難解な技術の産物なのだ。


 飛び出してきたの内一枚をつまんで剣に差し込む。


 装填を確認して飛び出してきた引き金をはじいて、剣に『拘束のパターン』を発現させる。


 腰を落として、再び剣を脇に構えた。


 相手は――相変わらず見えない、ただ、爪と目の位置から考えてどうやら体を前傾姿勢にしているらしい。


 まるで獣のごとき姿勢――あの姿勢から導かれるパターンで、最も危険性が高いのは……


『突進か。』


 上手い手だ――相手の動きの見えないこちらは攻撃を合わせられないし、あの質量がぶつかってくれば確実に健常性を損なう。


 そして、彼の仕事は健常性を損なうことだそれさえ果たせば逃げてしまっても何ら問題はない。


 依頼を達成しつつ、それでいて逃げ切ることも考えた一撃。


『なるほど『グラスランナー』は伊達じゃないか……』


 彼は知っている、グラスランナーが『傭兵種族の長に付けられる名前である』ことを。


 とはいえ――自分だってグベルマーレの男だ、当代随一と謳われた剣術の使い手の息子にして、最もスカラーの謎に近づいた男の孫にして、いけ好かない大天才の弟で、学園きっての麒麟児の兄だ。そうやすやすとやられるわけにもいかない。


 空気に緊迫感が宿り、実際に空間にかかる圧力がかすかに増した。


 ―――時が来た。


 一瞬強い風が吹いた。


 一瞬目を細めたテンプスの隙を逃すまいと、爪が一層深く地面に沈む――突進の合図だ。


 目に宿った光が勝利を確信して――


スランバーslumber


 聞き覚えのある声が響いた。


 異変が起きたのは次の瞬間だった――狼人の体が前のめりに倒れたのだ。


 飛び出す瞬間に意識を失ったのだろうと、テンプスには想像がついた――この呪文には覚えがある。


『使われる所にあったのは初めてか……』


「――ん?あれ、先輩何遊んでるんです?」


 闇の中に沈んだ正門から誰かの声が響いた――あっけらかんとした声だった。


「いや、遊んじゃいないんだが――何してるのかわからんのに呪文打ったのか?」


「はぁ、まあ、変なのがいたので……まずかったんです?」


 そう言ってきょとんとしながら狼人の体を踏み越えて来た少女――マギアが尋ねた。


「いいけどね……」と苦笑しながら、内心で思う――時々、とんでもないことするなこの娘……と。

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