ある女性の秘密
「――お待たせしました!」
屋上と校舎を隔てる重厚な鉄扉が重い音とともに開いたらしい音に、懐中時計を眺めていた男の視線が持ち上がった。
吹き抜けるような青空の下、この学園で最も空に近い場所で待ち構えていた男――テンプスは振り向きながら、懐中時計を後ろ手に回して相手を歓迎した。
「――ああ、すまんね、お呼び立てして。」
「いえ!先輩からお呼び立ていただけてうれしいです!今日は研究個室ではないのですね。」
そう言って微笑むのは数日前に衝撃的なカミングアウトで学園を騒がせた留学生、アマノテルヨだ。
「こちらは普段、エリクシーズの皆さんが使っておいでだとお聞きしましたが……」
「ああ、いや、何、今日は譲ってもらったんだ、君に用があったんでね。」
「まあ!何でしょう、ドキドキしてしまいますね。」
そう言ってたおやかに微笑む彼女はなるほどひどく美しい。
かわいらしい形の口はまるでこちらの一言にはねるように反応するし、こちらを見るまなざしには熱があるように見える。それがどういう意味の物であるかはわからないが――なるほど、好意があるのだと考える人間がいるのは間違いないだろう。
この笑顔で迫られれば、そりゃ勘違いもするだろう。
「そんなに楽しみかね」
「ええ!あなたとお話しするのは楽しいですから!」
「――そう言って、あの五人もその気にさせたのか?」
どこか探るようにテンプスは彼女を見つめる。
その視線に彼女が何を感じ取ったのかはわからない、得体のしれない恐怖か、意味の分からないことを言う狂人への呆れか――もしくは、もうだませない事への落胆だろうか?
「……はい?何をおっしゃって――」
少なくとも、目の前に居る彼女から、表面上そう言った感情は見て取れない、彼女の中に流れるパターンもだ、まるで、的外れなことを言われて驚いた少女にしか見えない。
「あんたの話を聞いた時に思ったんだよな――なんか変だなって。」
そんな彼女にお構いなしに、テンプスは言葉を続ける。とりあえず彼女相手にあまりしゃべらせたくない、どんな嘘が出てくるかわかったものではなかった。
「あんたの話だと、あんたの契約者は求婚された相手を逆上させて殺された。それ自体は分かるんだが――そんなことできるのか?」
それが彼の疑問の最も大きい点だ、一番初めでもないし、最後のでもないが、間違いなく巨大な疑問だ。
「だって、ただ一目見た人間を恋煩いで熱病にかけるほどの美貌の持ち主をだ――求婚するほど好きな相手が殺せるか?一目見ただけで行動不能になるぐらいなのに?」
それはある種の呪いのようであり、同時に、魔術的な域の美しさというものが持つ負の側面だった。
「殺したいと思ったのは事実かもしれない、ただ、殺せはしなかったはずだ――最近、似たような奴がいたんでね、ここは間違ってないだろう。」
思い返すのはオモルフォス・デュオの一件だ。
あの件が終わった時、弟は殺したぐらいあの女を憎んでいた、ただ、彼女のそばに居る限り、その感情が表面に出ることはない、『だって心は相手に奪われているから。』
人を熱病にかけてしまうほど――いや、熱病に「なったと思わせる」程、心を病気にできるほどの美貌の存在を、その美貌に敗れた人が殺しに行けるとはとても思えない。
その人物の心は、すでにその人物の物ではないのだ、美貌のとりこになっている、もはや、彼にそれを失うという選択肢は与えられない。
そんなことをしたら、心が一緒に砕けてなくなってしまう。それを防ぐためにも、彼の自我はその存在に危害を加えようとはしないだろう。
「魔術的な魅了ってのそう言うことだ、人を熱病にかけるほどの美貌はその要点を満たしてる、それほどの力があるのに、求婚者に殺されたってのは考えにくい――たぶん、あの話は別の落ちがつくはずだ、まあ、僕はその落ちを知らんけどね。」
そう言って、テンプスは相手を見る、驚いたように顔をゆがませる彼女だが――その目は鋭く、どこか値踏みするように彼を見ていた。
「そこまで考えた時、ふと気がついた。たぶんこれは嘘なんだろうって。」
その視線を無視するように、彼は後ろ手に回した時計をいじくりながら言葉を続ける。
「――あの十人の中に、あんたが追ってる『厄介者』はいないんだろう?もっと言ったらあんたが追ってるのはあの話に出てくる犯人じゃない。」
「――何を言っているのかわかりません――」
「あんたはたぶん、本当に『代行者』だ。もし嘘なら契約者で代行者のマギアが気づかないとは思えん、まじないにまつわる事で彼女よりも出来のいい奴を僕は知らん。」
これは偽らざる事実だ、これを聞かせたらあの物騒な後輩はない胸を張って自分を誇示するだろうから面と向かって言うことはまれだが。
「その上で、あんたは僕らに嘘をついた――犠牲者と加害者についてだ、あんたの後ろに居る契約者は「あの時あんたが話した事件の被害者じゃない。」たぶん、別の事件で殺されたか人生を台無しにされた被害者だ。」
「……なら、誰だというんです?」
「それを聞きたいから君を此処に呼んだんだよ、僕のファンさん。その子は誰で、あんたは何を追いかけてるんだ?」
心底不思議そうに、学園のミソッカス、弟の出涸らしと呼ばれた男は尋ねた――その顔は、追い詰められている相手から見れば、なるほど『死刑台の悪魔』の顔だったのかもしれない。
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