それから
ジャック・ソルダムの外道ぶりが露呈したあの事件から、3日が経過した。
あれからお互いにあの事件のことは口外しなかった。別にそんな約束は取り付けていないのだが、どうやら向こうにも触りたくないかさぶたのような物になったらしい。
下手に動こうとしないのはテンプスとしても都合がいい。下手に情報を流されて弟や後輩に厄介事が来るのは避けたい。
とはいえ、何一つ問題が起きないわけではない、不幸な影響は出てしまった。
顕著なのが1回生のクラスだった。
剣術部を肯定する部員の男子と剣術部の伝統行事として婦女暴行未遂を当然受け付けない女子が激しく対立した。
実際に被害者がいるのだ。それも、あのドミネ――正確にはドミネ・トイというらしい――女史は一回生でもそれなりの交友関係を持つ人物だった。
誰に対しても優しく、気軽で、そんな彼女とだけ友好関係のある生徒というのもそれなりにいたのだ。
そう言った生徒は今の彼女のありさまを見て絶句した事だろう。
あの仄暗い瞳の奥にある恐怖は、多少でも他人に共感できる人間にはあまりにも……衝撃がある。
だが対立したといっても、目に見えるほどの亀裂が入っただけでそれ以上にはなっていない――それで充分?もっともだ――血で血を洗う様な構想にはなっていないし、ボイコットもぎりぎり起きていない。
真意を知らない教官も思うことがあるのだろうが、決して口にできないのが現状らしい。
互いに手を出せない理由は、もちろんマギアにある。
彼女は女子の筆頭になった。いや、させられたと表現した方が妥当か。
自然に代表になって、男子の卑猥な目から女子を守っているらしい。本人にその意志はないようだが、存在自体が抑止力になってるらしかった。
実際問題、被害者を救ったのが彼女――ドミネのことだ、部室にいたとされる少女たちはあの日以降学園に来ていていない――である以上、女子からすると彼女に頼る以外に選択肢がない。
そんな女子代表、マギアは実際には1200歳越えの精神をしていて、周囲の15歳になりたて、あるいは未満のうら若き――このセリフを彼女の前で言うともれなく魔術が飛んでくる――に囲まれて鬱陶しいだのとわざわざ、風の魔術で伝達してきた。
断ってしまえばいいのに。と言葉にすることはしなかった。
日を増すごとに増える愚痴は、ある種の経過報告であり、それに最後辺りはどこか嬉しそうだった。
頼られることが好きなのだ。何かをしてやることに喜びを覚える類の人間なのはこの一件の前から知っていた。
この状況と、友人を襲った悲劇について思うところはあるようだが女生徒の助けになれるのはうれしいのだろう。
……まあ1回生女子に「男子の目線がエロいからぶっ殺して」だなんて訴えられるのは正直、少々同情してはいるが。
彼女曰く、1回生はジャックの被害者だとも言っていた。事件解決後のアフターケアまで考える必要があるのは少々難事だとも。
事件後、男女それぞれ隔てなく、遺恨を残さないよう慎重に仲裁を進めるのがマギアの仕事、少なくとも彼女の中でこれを命題と定めたらしい。
――まあ、その代わり「あなたがもし負けてこの件が失敗したら、この手であの男をこの世から消します。いいですね?」と最後通知も貰ったが。
『まあ、アイツにそんなことをさせるつもりもないが――』
そう思いながら、流れる景色の中にかすかに映る痕跡を頼りに彼は角を曲がった。
今の時間ならちょうど――
「――失礼。」
突然、眼前に現れた壁を蹴って体を宙に翻してからひと言。
そのまま家屋の屋根をつかんで逆上がりの要領で――この世界にはいまだ鉄棒はないのでそう呼ばれるべき何かではあったが――体を屋根の上に持ち上げた。
この時間この家の住人が仕事終わりの一敗と称して安酒を飲みに行くのは彼が一回生の時に発見した事実だ。
発見以降、このパターンは変化を見せない。
そのままの勢いで踵を返し、夜の影の中を風の様に走り抜ける。
「――くそ!あの出涸らしどこに消えやがった!」
「これで三日目だぞ!?」
「わかってるよ!だから、今日は人数増やしたんだろ!?」
「そもそも、シャトノ先輩が振り切られたのに俺らでどうやって追い詰めるんだよ!」
「だからこうして数を……!」
「それが意味ねぇんだろ!?」
「――てめぇらなんだ、家の前で騒ぐんじゃねぇ!さっき扉蹴ったのもお前らか!警邏呼ぶぞ!」
そんな声に背中を押されるようにテンプスは夜の闇の中にその輪郭を溶かした。
現在、彼女とテンプスはほとんど接触していない。学園ではそれぞれの厄介事をかたずける必要があるし、そもそも、ここ数日テンプスは家に帰っていなかった。
あの三日前の一件以来、剣術部を統べる人品賤しき剣豪殿は明らかに自分を狙っている。
授業では剣術部の生徒がなし崩し的に自分を狙ってくるし。誤射に見せかけた攻撃魔術はすでに四十発以上打ち込まれている。
それを時にしのぎ、時に受けて攻撃をかいくぐった先に待ているのは校外での襲撃だ。
外ならばもっとひどい目に合わせられるとばかりに追い掛け回してくる連中を躱しながら、家にたどり着くこの三日間はなかなかにスリリングなアスレチックだったと言えるだろう。
最初は2人次は4人、今日は8人だ。
『この分だと明日は16人か?』
いよいよなりふり構わぬ動きだ。よほど自分と試合で当たりたくないのだろう。
ゆえにテンプスは自宅にしばらく帰っていない。自宅が襲われる確率は下げたかった。
別段、家の心配をしているわけではない。あれは『鎧』を除けば自分の身の回りにある物の中で最も頑丈だ、同居人の魔術と自分のパターンによって守られたあれはちょっとした要塞である。
館で戦ったあの魔族騎士をもってしてもあの家を正面から攻略するのは不可能だろう。
とはいえ、そう言った連中に家の場所をむざむざ知らせる必要もあるまい。
それに、ひとところにとどまるとなると、待ち伏せの危険性がある。かわせる自信はあるが――世の中には質の悪い偶然というものがある、完全はあり得ないし、完璧は虚偽だ。
『さて、今日はどこで夜を超すか……』
協会の鐘楼の脇で街を眺めながら、テンプスは独り言ちた。
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