迫る魔手

 夜と朝の間のごく短い時間、夜が切り払われるこのタイミングで、テンプスは自主トレーニングの最後のランニングを終わらせにかかった。


 剣術部に追われ始めてからも彼はこの日課を変えていなかった――まあ行う場所と動くコースは変えているが。


 なぜそこまで――と思われるかもしれないが、これは必要な事だった。


 あの男とやりあう以上、自分は最高の状態で挑む必要がある。


 万に一つも負けないように――と言うのは当然だが、計画の一環として、絶対的な勝利が必要だった。


 この一連の流れ――物騒な後輩の友人が泣きながら飛び出してきた時、弟の友人にあの連絡を受けた時、あの瞬間に彼の脳裏でいくつものパターンがひらめき、この計画を思いついた。


 あの部室棟からじょせとを救った瞬間すら考えていた計画は、実に単純で、ただあの男にはとんでもなく効きそうな一計だった。


 それには自身の技量であの男を負かす必要があるのだ、説明ができない力は使いたくない。


 一つ問題なのは自分が作る特殊な武器だが――あれは、さえ作動させなければただの剣だ。多少目を引くだろうがあの男が持ってくる『魔剣』程目を引くものにはならないはずだ。


 その上で、『魔剣』を使った後のジャックを負かす。


 それを行うことで初めて、あの男が『何をやっても倒せない巨人』ではないことを証明できる。


 もしそれができれば――剣術部の中から、あれを告発する人間が出てくる可能性はあるだろう。


 ドミネが逃げたことからも分かる通り、奴の魅了の力は落ち始めている。

 それは、自分が女生徒を裏の扉から逃がせたことからも明らかだ。


 あの時、彼が助け出した女生徒は、確かに魅了の魔力によって思考を縛られてはいた、が、パターンの一部を砕いてやればすぐに正常な思考を取り戻せた。


 あの魔女の館で操られていたらしいデルタ・デュオがいまだに正気を取り戻していないという昨今の報道を鑑みるにあの男の物は格段に効果が落ちるという話は事実らしい。


 魅了の力と恐怖政治の二枚看板で抑えている不満は、それでも抑えきれなくなっている可能性が高い。この前の昼食時の話を鑑みるにそう考えるのが妥当だ。


 ここでもう一つの屋台骨である恐怖をへし折れば――奴の罪を、奴の功績は支えきれなくなるだろう。


 あの男は魔術が使えない、故に、武器は剣一本でいい。それで負かすのが大事なのだ。


 それゆえに、彼は今日も訓練を続けていた。


 それに――


『思ったより早かったな……』


 視線をちらりと後ろに向ける。を確認したテンプスは、四日目に引っかかってくれたことに安堵していた。


 足に力を籠めて、速度を上げる――後ろの気配も同じように力を込めたのが空気を切る音のパターンの違いで分かった。


 まっすぐに住宅街を突っ切る、先日のように屋根に乗るようなことあしない。まっすぐに地面を走り抜ける。


 町の中枢である教会の脇を走り抜ける、早くから起きているシスターや神父がまばらに動き始めているのを横目に脇の小道を走り抜ける。


 後ろの気配は――いまだに走り続けている。


 明らかにあの剣豪閣下よりも運動性能が高い、こいつが主将の方がいいのでは?と思うほどだ。


 郊外にはいる道に入る――後ろの気配が速度を上げたのを感じる。


 ――そこで体を翻す。


 さらに足に力を籠め、一気にトップスピードまで速度を上げ、相手との距離を詰める。


「――!?」


 走った勢いのまま短く、鋭く跳ぶ。相手に片方の膝を出したまま日々出した体は、全体重を片膝に集めた跳び膝蹴りだった。


「っぐ!」


 とっさに腰に差していただろう剣で跳び膝蹴りを受け止めた人影が――突然、そのままの格好で固まる。


 筋肉が細かく痙攣し、身動き一つとれない――まるでに。


「な、にを……」


 ろれつが回らない舌で人影が問う。


「別に大したことはしてない、ちょっとした手品だよ。」


 言いながら、テンプスは「先ほどの飛び膝の際に、首裏に張り付けたコインと同じもの」を手でもてあそんだ。


「――絶対に動くと思ってたよ。」


 動けない人影に声をかける。自分よりも若い、下級生だ。


「あんたが僕について調べてるのは間違いない、じゃなきゃわざわざ脅迫状なんて送らない。だから、あれだけ大ごとにして、あんたの耳に入らないはずがない。絶対に何かアクションを起こすだろうと思った。」


「っぐっ……」


「正解だったな。」と笑うテンプスを見て苦々しげに呻く――テンプスがここまでできると思っていなかったのだろう。


「――で、あんた誰だ?」


「だえがはなすか……」


「……意外と元気だな。別にかまわんぞ。このまま放置しても。」


「……」


 無言、動けなくなるのは困るだろうとの判断だったがそれほど効いた様子はない。


「どっちにしても、あんたの事情も知らずに僕はこの件をあきらめるわけにはいかない。話さないなら同じように不毛な鬼ごっこを延々やる事になるぞ?」


 本気だった、別にこの程度の奴らを巻くのなら問題はない――この時間に来る奴は脅迫者の関係者だろうと思って網を張っていただけなのだ。


「どうする?」


「……わがった。」


 そう言って同意を示した人影を見たテンプスはその体を小脇に抱えた。


「まて、何を――」


「もうちょっと面倒のない場所だ、さすがにここで騒いで見られるのは避けたい。」


 等身大の人形のように抱えられた襲撃者はひどく憮然とした雰囲気でされるがままに連れ去られた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る