ある少年の願い

 テンプスが家についたのと同時刻―――ひとりの少年が、魔術の道具を取り出し、指定されたアドレスに連絡を入れた。


 遠話の魔術。


 風の領分に属するこの魔術は見た目の地味さに反して高度な魔術であり、少なくとも、学生レベルで扱える魔術ではない。


 それが道具の形をしているとなればもっと困難だ。物に魔術を封じ込めることは難しく、扱いにも細心の注意がいる。


 生産できる数も少なく――非常にお高い。


 そんな道具を一学生が持っているのも、ひとえに今回の依頼人の実家の財源があればこそだ。


 ――だからこそ、任務の失敗を告げるのは気が重い――


 そう思っていたとしても、報告は必須だ。


 数秒のインターバルの後、うねるような「風の声」が響く。数回それを聞いたあと、やっと出た連絡先の相手は気怠そうな声で応答した。


『おう、お前か。首尾はどうだい?』


「――主将、それが……。」


『――おい、またか?ったく……なんだってあの屑にここまでいい様にされてるんだよ、使えないな……』


 呆れたような声音の男に我知らずため息が漏れる――こちらだってやりたくてやっているわけではないのだ。


「――どうやら、尾行に気がつかれたようで……ある路地に入り込んだと思ったら消えていたそうです、現在その近辺を捜索中です。」


『ふぅん?ってことは魔術もなしに撒かれたってわけ?』


「はい、斥候はおそらく例の編入生の仕業ではないかと。」


『ふぅん、美人で魔術も使えるわけだ……』


 そう言って思案するように黙ったを遠話の魔術越しに少年は待った――こういった時、邪魔されるのを彼は非常に嫌うからだ。


『分かった、ご苦労さん、お前は戻ってきていいよ。』


「は?斥候は……」


『調べてるんだろ?やらせとけよ、お前はこっちで、あの屑への新しいアプローチがあるだろ。』


「……」


 そう言われて、彼の心に暗いものが宿る――何度も言うが、やりたくてやっているわけではないのだ。


「……なあジャック、ここまでやったんだし、そろそろいいだろ?条件を呑んでくれよ」


 ――まずい、と思った時には口が動いていた。


『ふーん。主将の俺に意見するの。同級生でも末端なお前が』


「い、意見じゃないだろ!末端っていうか……確かにレギュラー入りできない万年補欠だってくらいわかってる。でも、こんな俺でもジャックを支えてきたんだ。だから、な?」


『ああ、サポートは受けてるぜ。それは認めているよ。でもさぁ、それだけじゃ周りは納得しないだろ?だって、サポートなら補欠みんなの仕事じゃん?ただそれだけの、みんなができる程度の仕事をしたくらいで、はい、わかりました。ってご褒美あげても、みんな納得しないんだよ?な?そこんとこ、3年間も一緒にいたお前ならわかってるだろ?』


 そう言って、剣術部主将、ジャック・ソルダムは笑った。


 少年はジャックと同学年で、3年間を共に学び舎で過ごした仲間であり、部活では部員と主将の関係であり、談話も猥談もして笑い合った友達だ。


 友人として、彼のことは好きだ。


 ノリがよく、面倒見もよく、一緒にいて楽しい。


 だが、この部活の関係というのが少年にとっては厄介なもので、その中においては上司と部下の間柄、絶対に逆らえない権力格差が存在した。


 特に部下である少年が、上司であるジャックに願いを聞いてもらいたい時、なにか結果を上げてからでなければ要求は通らない。


 それ以外ならジャックの依頼を聞いてこなす他ない。腕も実績ない彼にできるのは後者のケースだけだった。


 ジャックから仰せつかったのは、部活に入れたい2回生の監視と調査。そのためなら多量の乱暴は許されているが結局は自己責任だ。


 無茶な要求を押し付けるこそ、無茶な要求を聞き入れてくれる。そういう――まるで、悪魔か何かのような男だ。


『なぁ、そういえばお前の要求ってアレだろ?俺についてよくない噂が出回ってるから、心配した両親がお前の妹を退部させてくれって。そういうのだっけ?』


「あ、ああ………1回生として入部したマネージャーのひとりが、俺の妹だ。お、俺はジャックの噂になんて振り回されないけど、両親がな。だから妹だけは返してくれないか?」


 嘘だ。


 少年はジャック・ソルダムの友人として、彼が何をしているのか見ている。


 両親がジャックの悪い噂から妹を退部させたいと言われたのは事実だ、ただ何よりも兄である彼本人が我慢ならなかった。


 ――妹がこの部活に入っているなんて知らなかったのだ。知っていれば何が何でも止めたのに。


『ふーん。ま、そうだわな。ご両親もそれじゃ心配だわな。そんじゃ、今日のミッションこなしたらそのマネージャーに話着けてやるよ。でもよ、それじゃあ本人の意思の尊重って奴が通らないから、その上でお前が話を付けること。妹ちゃんが嫌がるようなことはしてやるなよ?』


「ああ、わかった。感謝する!約束だからな?今日の監視が終わったら、妹と話す時間を作る。約束だからな!」


 少年はジャックの許可を得て、声を弾ませて魔術を切った。勢い込んで学園への帰路に就く――ジャックの願いをかなえるのだ。


 いつもと違うやる気に満ち溢れ、彼は日の当たる明るい道に躍り出た。


 ――彼に自分がやっていることがどうしようもないほど落ちぶれた行為だと言う自覚はない。


 それが彼の道行をどう左右するのかは――誰にもわからなかった。

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