深まる謎

『――撒かれた!』


 男の思考は驚愕に満ちていた。


 街中央の教会脇の路地。先ほどまで前面を走っていた追跡対象が消えた道の先で呆然と立ち尽くす。


 視線の先は行き止まりだ、向こうとこちらを隔てる巨大な壁はちょっとやそっとのことでは飛び越えられない。隣り合う建物の屋根だってそうだ。


 だと言うのに、そこには誰もいなかった――自分の追尾対象である『魔術なし』の出来損ないも、その背に負ぶわれていた女子生徒もだ。


 いままでいくつもの依頼を受けてそれを成功していた男にとって、それは新米の時以来経験してこなかった感情――敗北感だった。


 男は斥候だった。


 あのエリート校で名高いアプリヘンド特殊養成校の中でも特筆した斥候として、剣術部に籍を置き、今まで数多の人間の追跡調査を担ってきた。


 今回も「とある人物」に依頼され、あの出来損ないの身辺の徹底的な調査を行っている。


 始め、依頼を受けた時は簡単な仕事だと思ったものだが――


『まさか……この俺が?ほかにも人員がいるとはいえとはいえ……撒かれた?』


 結果がこれだ。


 何かしらの方法で自分のことに気づいたのだろうか?しかし一体どうやって?


『あの編入生か……!いや、しかし、今までどんな学生にも負けたことは……』


 驚きが脳を支配し、正常な思考を妨げる。彼の中の自信がガラガラと崩れていくのが分かる。


 これまで、それこそ、数多の人間を調査してきた、彼らよりもよっぽど用心深く、よっぽど金持ちの奴の家にだって侵入したことがある。


 だと言うのに、自分はあの、あの!魔術なしと小娘一人を見失ってしまった。


『――ありえない!どこかにからくりがあるはずだ……!』


 あの魔術なしにこの壁が昇れたとは思えない。ということはこの道そのものに、何かしらの細工があるのだ!


 そう考えた彼は結局、学校を休んでまで、その場の調査を行い――結局、何の成果も得られなかった。





「――あれ、剣術部の斥候だな。」


 眼下で自分たちを探して路地を必死に探す追跡者の姿を、教会の屋根から眺めたテンプスはそうつぶやいた。


 教会の屋根に上った方法は簡単だ、足の出っ張りに足を掛けた、体を引き上げただけ。完全の平面の壁でもなければこれで昇れた。魔術などいらないし、魔力の補佐無しでもテンプスには十分にできた――足元の彼には想像できないことだったらしいが。


「そんなのいるんですか?」


「軍に入って斥候になりたいって奇特な奴のために特別な訓練コースがあるんだよ、剣術部の連中はそう言うやつをスカウトするんだ。アイツはそのうちの一人――だった気がする、前学生課に忍び込んだときに資料を見た。」


「へー……結構いろいろやってるんですねぇ。その割に素人尾行ですけど。」


「そりゃ君やら僕の能力からすればそうだろ、これでも魔術に弱い以外は結構すごいんだぞ、僕――評価されたことはないけど。」


 言いながら、追跡者の先輩のいないの屋根から飛び降りたテンプスはいそいそと迂回路を取って家路についた――学校に遅れるわけにはいかない。


「しかし、剣術部ってなると脅迫者さんは来てないんですかねぇ。」


「あいつらより距離がある場所から見てるパターンも考えられるが……僕らの感知範囲外から?それこそもう見失ってそうだが。」


「そうですねぇ、魔術なら私が気がつきますし、それ以外なら――「僕が気づくよ」――ですよねぇ……ってことは追っかけてきてないんでしょうか?」


 おぶさった姿勢のまま、器用に顎を肩の上に乗せたマギアを一瞥してテンプスはこたえる。


「可能性としては脅迫状そのものがいたずらで、偶然ジャックの奴とブッキングしたか……」


「あー……ありえるんです?正直、私は分かんないですけど。」


「言っといてあれだが……たぶんない、僕の部屋の前に脅迫状を置いた奴は明らかに僕への敵意があった、いたずら程度でああは見えない。」


 自分で言った仮説を即座に否定する、テンプスが知る限り、彼の能力でああいった見え方をする人間は明確に自分への害意を持っている物だ、高々いたずら程度であれほど鮮明には見えない。


 そう言って眉をしかめる、何かピースが足りていない。


「じゃあ、今日来てない理由は?」


「朝だから起きられなかった……なんて冗談はともかく、僕と君、両方の感知をかいくぐるほど隠れ身がうまいのか……さもなきゃ、朝の基礎訓練まで追いかける必要がないと思っているのか――」


 そこまで喋って首をひねる、何だか違和感があった。


 あんな手紙まで送ってくるほどん恨みを持っている人間がこちらの行動がはかれなくなるような行動をとるだろうか?


「あの新米斥候君が偶然ブッキングしたから、見つかりたくない理由があって、あの連中を避けたとか?」


「――なるほど?」


 耳に入ってきた言葉を聞いてふと思い立つ――ありえる話だ。


 先ほどから焼き魚の骨の様に喉の奥で突き刺さって動かない違和感の輪郭が、これで見えた気がした。


 思考を巡らせる――そもそも、あの脅迫状はなんの意図があって彼のもとに送られたのだ?


 一回生――それも編入生だったマギアを除いて、この学園の生徒たるもの、この学校の一大行事である学内武闘会を知らないものなどいない。


 その選手の選出が『任意ではなく学園側の選出である』と、言うことも当然知っている。そして、その参加を『特別な理由なく取り消すことができない』と言うことも。


 無論、仮病で休むことなどできない――学校側が特定の審査なしに棄権させないのだ。


 学校自体に来ないと言う選択肢もないではないが、それをやるとほぼ確実に内申が落ち、事と次第によっては進級自体ができなくなる。


 用は、あの手紙には効果があるない以前にほぼ不可能なのだ。


 なのに、送り主は手紙を送った、その意味は?


『なんか僕の知らん事情があるな……』


 それも多分、剣術部内部でだ。


「……全部剣術部がらみなきがしてきたな。」


「何かそんな感じですね……たぶん、これ、部員が脅迫状の送り主じゃ?」


「なら何で逃げてんだ?部長に報告すればお褒めの言葉ぐらいはくれるだろう。」


 何かある、部内の人間に知られたくないことが。

 だからこそ、誰にも言わぬまま、あんな効果のない脅迫状を送ったのだ。


『もう一回、あの部活と腐れ剣豪の奴調べないとだめかもしれんな。』


 ようやく見えてきた家の外観を眺めながらテンプスはそんな事を考えていた。

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