二度目の受難
「無理ですよ、僕にはとても」
テンプスがもう一度断れば人品賤しき剣豪はにこやかに「あ、そう?」と簡単に引き下がった。
これはいつものことだった。誘われる都度その度に違ったパターンで断っているのだが決まって最後は「あ、そう?」で済ませてくる。
「まぁ、いいや。ここで入部されてもお互いに試合がしにくくなるのも確かだな。じゃあ、会が終わったら改めて誘う――いや……今年は趣向を変えようか。なぁテンプスくん。俺とひとつ、賭けをしないかい?」
「賭け?」
「ああ。予選で俺たちは戦うことになるよね。そこで、その勝敗の如何で、互いの要求を呑ませるのさ。簡単だろう?」
聞いただけならば、親しい友人がやるような内容のその提案は、しかしこの男においては意図が違うだろう。ジャック・ソルダムの瞳に邪気の濁りが写る。
人を貶める存在によく見えるそれは、まるであの魔女の目の奥に宿っていた物とそっくりだった。
テンプスとこの男の試合結果なんてこの学園の人間ならだれでもわかる、わかりきっている。開始数秒で終わるのだ――以前と同じ手を使うのなら。
たとえ不利でもその条件を強要する。それがこの男に関連した悪い噂のひとつでもあった。
上位の立場からの否定できない、拒否できない命令の強要。
「……御冗談を。そんな結果のわかり切ったことに乗るような人間なんていませんよ、そもそも、対等な賭けですらない。模擬戦の成績、ご存じでしょう。最下層ですよ?先輩の方が圧倒的に有利だ。」
「そんなの、この学園を卒業すれば関係ないよね。それを身に刻むための試合だって教官から1回生の頃に教わっただろう?大丈夫。要は勝てばいいんだよ。勝てば」
試合の教訓を逆手に取るこざかしい話術は、しかしどこかなるほどと思わせるものがあった。
これが完全にこの男の我欲からきていなければもう少し感心もできるのだが……
「いいかい?俺の要求は――君を一生服従させること。なにがあっても離れることも、文句を言うことも、断ることも許されない。なにか言われても返答はすべて肯定すること。ね?実にシンプルだろう?どんな理由があろうと不戦敗でも適応されるからね。いいね?」
「いや、まったくよくないですけど。」
煩わしそうに顔を顰めたテンプスはひどくめんどくさそうに返す――常識的に考えて、そんな意味の分からない条件をのむことなどありえない。
しかしその声は彼には届かない――物理的にではなく、心理的に。
「じゃあね。試合形式は本番と同じようにしようか。その方が面白いし。さぁ、来月が楽しみだなあ」
「ひとの話を――」
最初からテンプスの要望を呑むつもりがないのだろう、一方的に意見を押し付けて去って行く背中を、何時もの様に呆れて見つめる――逃げ足も芸術的に鮮やかだ。
これが彼が自分の弟たちほど人気になれない理由の一つであり、悪い噂のひとつだった。
どこまでも自分の要求を追求し、それをかなえられるまでどのようなことも厭わない。
部内でも適応していない部員を数名自死寸前まで追いやったらしいという噂すらささやかれている。
男子には厳しく、女子と自分には甘く。騎士道精神に反する不作法だろうに彼はそれが当然の権利のように振る舞う。
彼の悪評はこれだけにとどまらないが――結局はこの行動がすべての証明なのかもしれない。
「先輩。」
「ん、ああ、悪い、もう近くにはおらんだろう、昼飯に戻ろう。」
「はい、後――」
「――あの男も転生者だ。と?」
昼食を終えた直後、彼女が口にしたのは驚くべきことだったが同時に納得できることでもあった。
「はい。」
「君の追ってる連中となんかかかわりが?」
「わかりません、ただ、あの男は魔女の転生者と男女の関係にあったようだと言う話ですから――」
「――疑うに足る理由はあると。」
「はい……あ、いや、別に手伝ってほしいとかではないんですよ?ただ伝えずに動いて手間を取らせてもと思って――」
「かまわんよ、手伝おう――ありゃけっこう難物だからな。」
言いながら、食後のお茶を流し込む――思い返すのは昨年の記憶だ。
「……なんかありました?」
「なんかと言うほどのこともないんだが――あの人と去年……揉めてな。」
「ほう、何でまた。」
「さっきも言われたが――スカウトされたんだよ、で、僕がそれを断った。」
言われたマギアが先ほどの情景を思い返す――そう言えば、「俺はまだ諦めてないからな」などと振り返った記憶の中でさわやかな笑顔が喋っている。
「それ以来、あの人とその後輩連中に嫌がらせされたことがあってな。」
「……ガキですか?」
「ガキだよ、たかが一学生の接点なんてそんなもんだよ、君ほどドラマチックにはいかんさ。」
言いながら肩をすくめるテンプスは何でもないように言う――その裏に少々の隠し事があることに、まだ付き合いの浅いマギアは気がつかない。
「今回の件もあいつの仕業だったり?」
「ありえん、あの人は自分が僕に負けるなんてみじんも思ってないさ。」
「そんな強いんです?」
「去年負けたよ。」
「んー?それほど強そうにも見えませんでしたけどねぇ?」
「……いろいろあるのさ。それにあの人がやったにしては逃げた形跡がない。あの人の足で廊下を抜けるのに全速力で8秒ちょっと。扉を開けて手紙が置かれてからあの人に会うまで30秒行ってないぐらいだ。その間に運動した形跡がまったくなくなるとも思えん。」
「ふむ、確かに。」
「――別口で問題が二つか……僕もずいぶん人気になったな。」
呆れたように言いながら、彼は最後の一息を飲み干す――二度目の受難はどうやら向こうから来たらしかった。
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