徒然の終わり

「い、イヤダ!!死にたくない!死にたくないぁーい!ジニダグナァァァァァイ!!!!」


 絶叫。


 声が質量を持つように周囲を揺らし、辺りに呪いをまき散らす――どうやら喉の傷をゆっくりと治していたらしい。再び放たれた呪声は周囲に呪詛をまき散らす。


「うるさい女だな。」


「昔っからですよ、1200年物のヒステリーです。」


 ――が、当の二人には全く堪える様子もない。マギアは魔術で、テンプスは鎧の機能で影響を抑え込んでいる。


「そこまでの熟成ならいよいよ腐ってんな。」


「芯まで黴黴ですよ。」


「なら捨てるしかないな。」


 言いながら、前進しようとしたテンプスは横から差し出された腕で止まった。


「なにさ?」


「ついでですので、このまましたいんですよね。」


「ふぅん?どうしろと?」


「強い衝撃が必要です。」


「ああ。弟を巻き込んだのはそれか?」


「ええ、私か弱いので。」


「そうだろうとも――どうすればいい?」


「私が書いた魔法円に向かって、あの魔女をぶち込んでください、方法はなんでも結構。それから先はこっちで対処します。」


「了解。」


 言いながら、相手を見つめる。


 見たところ体がうねうねと蠢き――だからと言って何かが変わるわけでもなかったが――何かを企てている。


 体内の力の流れを見るに、おそらくは――


『防ぐ気か。』


 この動きのパターンは間違いない、おそらくは土属性の魔術によって地面から石や土の壁でも呼び出すつもりだろう。


『となると――本気でやるか。』


 ちょうどよく、こいつには恨みもある、少々派手にやっても殺さなくて済むような魔術もかかっている。


 やるべきこととやりたいことが一致した、あとは力を籠めるだけだ。


 鉄靴の中で足指がうごめく、薬指から親指、中指から小指、人差し指を地面に突き刺すように立てて力を込める――曰く、『鉄足のパターン』。


 腰を落として相手を見定める――魔力の動きがいよいよ本格化し、形を成し始めている、間もなく、魔女とテンプスを隔てるように石壁が屹立するだろう。


 ――पातालस्य नौकायानस्य नाम्ना, मृत्युप्रेतस्य नाम्ना।――


 傍らでそれに相反するように軽やかな声でテンプスには何を語っているか聞き取れない声が風の中に消えた。マギアの詠唱だ。それに合わせて彼女の魔力が羽を広げ、魔女の巨体に向かって殺到している。


 その声を背に駆け出す。風を切る音と滑らかに蠕動する体が魔女の巨体に向かう。


 ――एषः पापात् पलायितानां दण्डः, ते च बासाकुसा ध्वनिनावं प्रति वाह्यन्ते यस्मात् ते कदापि पलायितुं न शक्ष्यन्ति।――


 詠唱の二節が終わる、大気に流れる彼女の魔力のパターンが変調し、その影響が魔女に及ぶのが見えた。


 ほぼ同時に、前方の視線を塞ぐように壁が屹立し、魔女の巨体を隠した――が、それはすでに分かっている術だ。それを砕く手段も持ち合わせていた。


 右足の薬指から親指、人差し指から小指、中指を地面に突き刺すように立てて力を込める――曰く、『蹴撃のパターン』。


「グッグルニャ!グルニャァァァ!!」


 ――आत्मसंहिते यथालिखितं तथा स्वस्थानं प्रेषयतु। पापात् पुनः कदापि न पलायनम्――


 魔女の絶叫とマギアの一節が重なる。右足に込められた力が爆発の時を今か今かと待っていた。


 左足で地面を強く蹴る――飛び蹴りだ、全体重と跳躍力をもって放つこの蹴りなら、鎧の力と合わせて、あの石壁を砕ける。彼には自信があった。


 勢いよく飛び出した体は鎧による筋力の増強も相まって恐ろしいほどの速度と力でもって距離を詰めた。


 視線をそらさずにただまっすぐに相手に向かって行く。


 蹴りは狙いを過たずに石壁にぶつかり――まるで障子紙のように砕いた。


 右足にこもっていた力が石壁と激突した瞬間、パターンによって導かれた力が激発し、うねりを上げて足を包んだ。


 その一撃はもはや、流星を砕くかのような一撃だった。彼女が土壁と同時に張っていたらしい魔術の障壁を砕き、それでも止まらない一撃は驚くべき変化を引き起こした。


 


 いかなる奇跡か、マギアの魔術は彼女の体から、魔女の魂だけを剥がし、その魂を体から追い出したのだ。


 その後に起きた光景は現実離れしていて――どこか美しかったとテンプスは語る。


「――もはや名を捨てた『偏愛の魔女』よ、遠き闇の奥から夢見る父の名において、あなたをする――」


 先ほどまで聞こえていたはずの理解できない言語ではなく、耳慣れた現代語でマギアが最後の一節を唱えた時、彼女の後ろに現れた魔法円が彼女の霊体を拘束した。


 本来物理的に描かれることでしかその場に存在し続けることのできない魔術が円陣の形を持つほどの魔力を放つ後輩を『視界』に収めながら彼は着地する。


「――मृतानां आज्ञाः死者の戒め。」


 瞬間、魔術の円陣が縮む――中央の魂ごとだ。魔女の断末魔の絶叫もまた最高潮を迎えた。


 まるで内側に吸い込まれるように円陣が縮み、魂もまた同じように内側に吸い込まれていく。まるで渦潮に飲み込まれた木の葉のように。


 もはや物理的な影響を及ぼすことのできない絶叫は、それでも聞いている者の背筋を空寒くさせるだけの力をもって響いて――突如として消えた。


 ギュルギュルと中に吸い込まれた魔法円は形をなくし――最後に赤い結晶体を残して消えた。


 耳に痛いほどの静寂は、先ほどまで響いていた耳障りの悪い絶叫との落差で、より顕著に感じられた。


 静寂が世界を包み込む。それは一つの騒動の終わりのように、彼らの間に垂れ込めていた。


「――これで終わりか?」


そう尋ねると、後ろで後輩がそっと答えた。


「――はい。これで終わりです。」


 そう言って歩み出た彼女は、ゆっくりと赤い結晶体――密閉した魔女の魂を握り、そっとポケットに納めた。


 劇が終わり――幕が引かれて、後に残るのは万雷の拍手か、あるいは罵声か。


 どちらかは、この後の世間が証明してくれるだろう。


 今、テンプスに分かるのは、自分がどうにか弟と友人を守れたらしいことだけだった。

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