自分が嫌いな誰かの話
「――改めてお礼を言います。あなたのおかげで、私の1200年間が報われました」
夕日が沈みかけた頃。話を終えてから、何も言わず、自分の備え付けた茶器でお茶を楽しんで――いるふりをしながら何か言う機会を待っていたマギアが口を開いた。
「……別に僕は何にもしてないよ、ただ弟を助けただけだ。」
「そうですか?でも、私はあなたのおかげだと思ってますよ。本当に感謝しています。あの魔女は今頃冥府の番人のところへ搬送され、闇の神の元でその罪すら解ける闇に還ったころでしょう。とても満足しています。」
そう言って笑う。晴れやかな物だった。
だからわかった、たぶんこれはただの礼ではなく別れの挨拶なのだと。
「――君が遠ざけてもこの町にいる以上あいつは気づくぞ、もともと、君を見つけたのはあいつだ。」
言いながら後輩の方を見れば、気づかれていると思っていたのだろう、複雑そうに顔を伏せていた。
「君が何をしようとしてるのかは大体わかった、よくあるパターンだ――姿を消すつもりなんだろう?」
「何を根拠に?」
聞いたマギアは鼻で笑うように軽い調子で言った――その頬に冷や汗が伝っているのがばれないのか不安に思いながら。
「――石棺が消えてる。」
それは朝方確認した事実だ。おそらく昨日のうちに持ち出したのだろう。精巧な隠蔽の魔術はいまだにその石の棺がそこにあるように見せかけているが――それも今日一日のことだろう。
ポケットの内側に意識を向ける。独特のパターンが見えた。彼女の表皮を普段から覆っている魔力ではない、何か別のものがそこにあることを彼に示している。彼も見たことのないそれは、1200年前の魔術なのだろう。
普段より膨らんで見えるその場所には彼の推論が正しければ、彼女にとって非常に重要な物が入っているはずだった。
「……分かります?」
「家族のためにここまでやったんだ、母と妹を置いてどっかにはいくまい?」
そう、ポケットに入っているのはおそらく彼女の妹と母――それを封印した石棺だ。
「仕方ないでしょう?ここにいたら魔女に所在が知られます、その前に逃げないと――」
「――と言いながらここに残ってあの屋敷を調べるんだろう?」
――今度の一言にはさすがのマギアも驚いたように目を見開いた。ここまで計画が読まれているとは予想していなかったのだ。
「あの日、君があの館で魔女にかけた言葉が気にかかってた。『大方、『名声』か『知性』当たりに頼んだんでしょうけど』――これを聞いた時、あの魔女が他の七人と接触を持ってるのが分かった。」
思い返すのは最後の一撃を放つ直前だ。あの時彼女は確かに他の魔女の名と思しきものを口にした。
「そして、君はあの魔女を含めた八人を追ってる。だとしたら、この話を無視するとは思えない。君が何かしら特殊な方法で魔女を探してるんでないのなら君に与えられた手掛かりとしてあの魔女の言葉は有力だ。だとしたら、君はここでそれを調べるだろう。なのに、君は自分にまつわる棺を回収して身辺を整理するかのような動きを見せてる。」
テンプスは沈黙する後輩を見つめる。その顔はひどく沈痛で――あきらめているように見えた。
「――僕らを巻き込みたくなかったんだろう?前回大失敗だったから、次は無事じゃすまないと思った。だからサンケイや僕を遠ざけたかった。だからここから離れると言った。」
「……それが分かってるなら止めないでくださいよ。」
唇を尖らせて少女が言う。実際の年齢に見合わぬ子供じみた行為だが、外見相応ではあった。
「君がこの町で調べ物をして、この前みたいな事態が起きれば確実にサンケイの奴は君が近くにいると気がつくぞ。そして君がここにいるってわかれば、あいつは君の助けになろうとするし、関わりを持ち続けるだろう。君の意志に関係なくな。」
「……そこは止めといてくださいよ、お兄さん。」
「無理だ、言って止まると思うなら君だって逃げてないだろ。」
「……」
沈黙。それはほとんど肯定だった。彼女自身それは十分理解しているのだろう。
「――私は貴方達に出会うべきではなかった。」
「……」
たっぷり数分、沈黙の帳の内側で苦悶した彼女は絞り出すようにそう言った。悲しみに満ちた声だとテンプスは思った。
「だってそうでしょう?私のせいで貴方達はあんな……害獣と接点を持ってしまった。」
自嘲が顔に満ちる。自分の愚かさに閉口したように口調にあきれが乗り始めた。
「私と出会ったからサンケイは脳にダメージを負った、治しましたけど――だからって許されるわけじゃない。」
声の震えが彼女の激情を伝える、それが怒りか哀しみかは――テンプスにはわからない。
「私がこんなところに来たから、皆さんの生活がこんなにもぐちゃぐちゃになってしまった、私がここにいれば、魔女たちは私を襲いにまた町や人に被害をもたらすかもしれない――」
そこまで言って、一瞬詰まったように言葉を止めて――それでも、言葉を舌から送り出した。
「――私が頼ったから、あなたは死にかけてしまった。」
そう言った彼女の瞳はひどく不安げで――後悔と懺悔で揺れていた。
「私は貴方が何かをする前に、あなたに何かをする前に、あの女に始末をつけるべきだった。なのに――」
「――なのに怖くて実行できなかった。」
「一人でやる事が怖くて、敵わないかもしれないことが怖くて、自分じゃ本当は復讐なんて達成なんてできないと思うことが――怖くて。」
それは今まで、一人で何かを成し遂げていなかった少女の本音だった。
死んでしまう前までは祖母がいた。死んで復活してからは後を追うだけの日々だった。
彼女は根本的に一人で物事を成し遂げる経験がないのだ。
訓練はした、霊体でも体を得てからも、あの魔女に負けないだけの力があると頭では分かっていた――只、自信がなかった。
成し遂げられる自信が。
それは、結局死に損なってしまった過去のせいでもあったのかもしれない。
「まごついているうちに、あなたが出てきて――頼ってしまった、自信がないのを慎重さだと言い訳して、大丈夫だと言い聞かせて。有能そうなふりをして。」
声の中に嗚咽のような物が混じる。
「そうこうしていたら、居心地がいいから離れられなくなってしまって、共同研究なんて言って話の合うあなたのそばに張り付いて、あなたのことを助けているつもりになって。」
何時だか、研究室の代理申請をすると言った時のことを思い出す、あれも彼女の言う「助けているつもり」の一環なのだろう――実際、あれはかなり助かったのだが。
「棺のことで庇ってくれた時、寄りかかってしまったことに気がついたのに、何も出来なくて。あの棺のせいであなたが目をつけられたかもしれないのに、離れなきゃいけないってわかってたくせに!」
気がつけば彼女は椅子の上で膝を抱えていた、頭を足の間にうずめて――たぶん泣いていた。
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