往生際の悪い女

 燃えるように紅い鎧は巻き上がった粉塵の中であってもなお、ひどく目についた。


 崩壊した床の縁、下に視線を送っていた彼は、はたと思い出した様に踵を返し、ゆっくりと歩き始めた。


「……」


 鉄靴特有の金属同士が鳴るような音を立てながら、ゆっくりとマギアの隣に現れたテンプスにどうにか体を起こしたらしいマギアが訝し気な視線を向けていた。


「どした。」


 言いながら、その辺で拾ったガラスの破片で縄を切断する。縄に力を込めて引きちぎってもよかったが、それをやれば確実に彼女の体に傷がつくだろう。


「なんなんです?その……その装束。」


「何と言われてもな……僕の研究の集大成、か?あるいは始まりの終わりってとこか。」


「……?」


 何言ってんだこいつ、と言いたげに首をひねる後輩に、兜の内側で苦笑しながら。


「まあ、後で説明するよ、それより、封印は解けそうか?」


 と尋ねる。あの連中を叩き潰すだけならともかく、サンケイを助けるのはテンプスにはまだ不可能だった。


「もうじきって感じです。封印の要所に魔力をぶつければ砕けるはず。」


「わかった。僕はあの連中がどうなったか見てくる。場合によっては……もうひと暴れするかもしれん。」


「……分かりました、その、もし叶うなら――」


「君の前に連れてくればいいんだろ?わかってる――殺すなよ?」


「はい。あの女が本来払うべき代償を払わせるだけです。」


「ならいい。」とだけ告げて、彼は穴に向かって動き出した。





 ガシャンと物が地面に落ちる音と共にテンプスは一階に着地した。


 あの二人が落ちた上にがれきまでもが落下し、散乱する室内はひどい粉塵で辺りを見回すことすら困難ほどだったが――彼の視界は欺けない。


 周囲の状況を確認するとともに、彼は鎧に秘められた力の一端を開放した。


 人差し指と中指を立てて目の前で振れば、彼の視界に半径十メートル弱のすべての物の動きが


 これも鎧に秘められた力の一端だった。体外に放射されるで感知場を生成するこの力は、特殊な方法でなければ遮ることはかなわない。


 刹那、彼のいた場所を斬撃が襲う。


 粉塵を切り裂いて現れた二筋の銀閃はすなわち、二人の騎士から放たれたものだ。


 上下二段で放たれた攻撃を超跳躍でもって躱したテンプスはぐるりと空中で体を翻し、地面に着地し、体を向き直す。


 翻りながらこちらに向かって遠心力をつけて横薙ぎの斬撃をサイドステップで体を寄せながら放った横蹴りで迎撃した。


 ガジン!と金属同士がぶつける音を響かせて、空中で衝突した二つの衝撃は大気に飛びかっていた粉塵を拭き散らし、清廉な空間をもたらした。


 一瞬の拮抗の後、押し負けたのはモーズの方だった。強く弾かれた剣が一瞬中空を泳ぐ。


 追撃に動いた彼に襲い掛かってきたのは、戦斧の一撃だった。


 見れば後ろに弾かれた彼を抱えるようにしてバルドが片手で斧を振っている――並外れた腕力だ。


 とはいえ、両腕で放って届かなかった攻撃が、片腕一本だけで効くはずもない。


 この一撃は特に防御すらされなかった。


 再び金属音とともに激突した斧の刃はやはり鎧を突き破るには至らない。火花が散り、体勢を崩すことすらなく受け止めた彼は迎撃のために斧の柄を再び握ろうと――


 ――悪寒!


 背中を這い上がる危険の気配にとっさに体が動いた。


 振り向きざまに放たれた裏拳が背中に的中しようとしていた稲妻の矢を打ち払った。


「――いまだ!やれ!」


 かすかな稲妻の残響が拳の裏側で溶けるのを感じながら、彼は叫ばれた言葉に耳を傾けた。


 叫んだのは魔女だった。彼女の中にある自分の記憶に合わせてテンプスが最も嫌う術を使っていたのだ。


 つまりは電撃、一瞬で意識が明滅し、体が硬直して、最大で三十秒ほど動けなくなる彼の天敵。


 なるほど悪くない案だ。


 炎では内部まで熱が伝わらないかもしれない、氷では鎧の剛力で破られかねない、音波は不明だが自分の後ろの味方にも被害が及ぶ――であるなら、最も苦手としていて、かつ、鎧越しでも通るだろう電撃を使う。


『腐っても鯛か。』


 とっさにしてはよく考えられた攻撃だった――が、それはあくまで、彼女がだ。


「うぉぉぉぉ!」


 叫び、二つの影がテンプスに殺到する。彼女の命令を果たさんとするその意志は大変結構なことだ――とはいえ、同じ技で自分は倒せない。


『正気だったらまずかったかもしれんが――』


 ――今の傀儡の思考では、自分を倒すほどの脅威たりえはしない。


 上下二段。


 左右からはさみのように襲い来る斬撃を腕と足で止める。


 右足が腰のあたりで振られた大剣を踏みつけ、左腕が首狙いの斧を止めた。


「――はっ?」


 驚いたような声が背後から聞こえる。


 自分が魔術で止まらなかったのはよほど驚きらしい。今までの自分を見ていれば納得のできる反応だった。


 右手で斧をつかむ。とっさに手を放そうとしたバルドだったが、すでに遅かった。


 つかんだ瞬間に斧を引き寄せ、腕の力に導かれるままテンプスに向かって、バルドの巨体が引き寄せられる。腕の力だけで見た目すら百kgを超えている巨体がなすすべもなく引きずられる姿は、いっそ不可思議な光景だった。


 引き寄せられたバルドの踏ん張りが効くより前に、彼の体はテンプスの腕の延長に侵入した。防御の姿勢よりも先に高速で打ち抜かれた左正拳がバルドの高強度の胸鎧を拳型にへこませ、再び影の中に押し込んだ。


 彼が視線を動かすより前にモーズの拳が迫る――剣を引き抜くのをあきらめたらしい。


 その光景をテンプスは『視界』で見ていた。


 不意打ち気味に打ち放たれた拳を首を傾けるだけでかわし、大剣を足場に体を持ち上げる。


 次の瞬間、テンプスの脛がモーズのこめかみにぶつかった。


 ごん!と硬質で重い物体がぶつかった音を響かせてモーズがその場でぐるりと半回転し、頭から地面に落ちた。


「……頑丈だな。」


 着地した彼はゆっくりと向き直る――往生際の悪い女だが、そろそろいい加減黙らせる必要があると考えていた。

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