初陣と圧倒

 空中でキラキラと輝くガラスのように砕けた結晶が地面に落ちるよりも先に水の中に溶ける氷のように大気に溶けた。


 その中心で泰然と立つ鎧姿の男は、自分の掌を見つめて興味深げに眺めていた。


 鎧と聞いてテンプスが想像していた動きにくさなどなく、平常時――いやそれ以上に滑らかに体が動く。


「ふぅん?これが歴史に名高い『覆われた者』か、存外かっこいいな。」


 どこか愉快そうにそう言った彼は、何かを確かめるように拳を握った。


 込められた力は普段の比ではなく、あまりにも強大で少し持て余している感じがした。


 その辺に落ちていたがれきを強く蹴ってみれば、がれきの方が粉砕された――まるでビスケットでも蹴ったかのように。


 驚くほど強靭な鎧だ。それでいてひどく軽く、つけていることを忘れるほどだ。


 体を覆う結晶体の内側から現れた『』を眺めて、テンプスは兜の裏でその力に驚いたように目を見張った。


 スカル

 眉庇バイザー

 面頬ベンテール

 頸甲ゴージット

 肩当ポールドロン

 胸当プレスト・プレート

 上腕当リヤープレス

 肘当コーター

 腕当バンプレス

 手甲ゴーントリット

 腿当クイス

 膝当ポレイン

 脛当グリーブ

 鉄靴サバトン


 全てが金属の輝きを持つ水晶のように透き通った煌めきを宿し、鮮血のような紅と夜よりも深い黒に染まって全身を守っている。


 完全装備にはいくらか部位が足りなかったが、それは姿ので問題はない。


 十年越しに手に入った遠い日の夢は、あの日想像していたよりもずっと美しく、彼の前に現れた。


『――さて。』


 考えに耽った思考を現世に戻せば、自身の目の前の敵――拳の一撃で距離が開いた二人の騎士はゆっくりと彼を囲むように左右に散り始めている。


『後ろに回られるわけにはいかんな。』


 瞬時に判断する。この場で最も避けるべきは、後ろの二人――いまだに動けぬ後輩と呆けたままで動かない弟を人質に取られることだ。


』が完成していない現在、人質など取られれば対処のしようがない。


 ゆえに、テンプスは距離を詰めた。別れられても負けないだけの力がこの鎧にあることは分かっていた。しかし、同時に二方向で行われる状況に対処できるかと言われると、まだ無理だ。


 強く握った拳を抱えて、大きく一足を踏み出す。爆発したような音を立てて体が前に大きく動いた。


 普段の三足分ほどを一足で踏み切ったテンプスは、その力のほどに再び驚きながら、鳥頭の騎士――モーズに接敵する。


 普通なら驚くような速度、反応が間に合うはずがないその動きだが、歴戦の勇士は何とか反応して見せた。


 視界からテンプスが消えたと判断したと同時に、モーズは後ろに跳躍した。


 彼の扱う大剣は両手で扱う武器で、その重さから遠心力がなければ十全な威力を発揮できない。つまり、間合いがある程度開いていないと戦えないのだ。


 それを彼は戦の中で理解していたし、そのための訓練もしていた、故に、彼は距離を取った。


 次にテンプスの姿が見えた時、モーズは自分がまだ離れ切れていないことに驚き、しかし、あらかじめ準備していた動きでもってこれを迎撃した。


 後ろに跳びながらの大上段からの振り下ろし。


 すでに飛び出した段階で始まっていた動きは、彼の頭部をザクロのように変えてしまうはずだった――彼が鎧を着ていなければそうなっていただろう。


 打ち込まれる両手剣、この鎧なら問題のない一撃だが、勢いを止められたくない。


 そう考えたテンプスの行動は単純で――しかし、大抵の人間ができない妙技だった。


 


 簡単なように聞こえるが、全力で振り切られる物体に完璧なタイミングでそれを決めるのは、よほど腕が立たなければできる事ではない。


 籠手や防具をつけていても打撲必至の一撃、テンプスもこの鎧でなければ傷ついただろう。そんな一撃はテンプスの体を傷つけることなく床にひかれた絨毯や建材を切断して止まった。


 モーズは地に足をつけると同時に驚愕とともに剣を床から引き抜こうと力を込めた。


 この技は本来、片手剣を徒手にて制するための技だ。それを両手剣で――それも自分に対してかける相手など、彼は知らなかった。


 魅了の呪文で霞がかっていた頭に、警鐘と――興奮が襲った。


 引き抜いた剣をもう一度振り上げようと体を動かしたとき、すでにテンプスの動きは最終段階に入っていた。


 前進しながら剣を払ったテンプスは、体を回転させながらさらに前に進んだ。


 その回転の動きのまま、彼は拳を打ち出した。


 腰を落としての一撃、腕を持ち上げていたモーズの腹部に激突したその一撃はゴンッゴンッと固く重いものが激突した音を響かせ、体を後退させる。


 内臓がひっくり返るような一撃、口からせり上がってきた腹の中身を盛大にぶちまけた。見れば戦時中から自分の身を守ってきた鎧が拳の形に変形している。


 とっさにひざまずいたモーズに追撃の一撃を放とうとテンプスが拳を振り上げようとした時――


「―――おぉぉぉ!」


 怒号。


 彼の後ろから攻撃の機会をうかがっていたバルドが、友人を守るために襲い掛かってきたのだ。


 斜め一閃、巨大な戦斧で空気が断ち切られる。


 裂帛の気合を込めた一撃。城門どころか城そのものを崩すような一撃は彼の人生でも有数の一撃だった。


 殺した!バルドの胸に歪んだ喜びが満ちる、呪いで生み出されたそれは彼の脳をぐずぐずと腐らせる――それでも、彼の一撃に曇りはなかった。


 ――だから、その一撃が止められたときのバルドの驚愕は推し量れないようなものだった。


 城崩しの一撃をテンプスは掲げた一本の腕で受け止めた。


 ミスリルの合金でできた刃は、斧の刃に比べ細い小枝のように見える腕に止められていた。


 ぎちぎちと震える刃はこの世のものとは思えない程硬質な物体に阻まれて火花を散らしている。


 その光景を見た時のバルドは一瞬、魔術を乗り越えるほどの驚愕に包まれて動きを止めた。


 その隙を逃がすテンプスではなかった。


 斧の刃をつかんで相手の体を引き寄せる。そのまま、斧の柄をつかんで両腕に力を籠め――


「――んんっ!!」


 ――投げた。


 バルドは自分の鎧ごと体が宙を浮くという体験を初めてしていた。常人が十人がかりで持ち上げなければならないこの鎧と自分の体の重量を合わせれば、動かすだけでも馬十頭以上必要なのだ。


 だと言うのに、この体が宙に浮いている。


 彼は生まれて初めて人間に恐怖を感じた。


 勢いよくバルドの体を持ち上げたテンプスは相手を地面に叩きつける。


 落下先にいるのは――先ほどの一撃から未だ復帰しきれていないモーズの姿だった。


「――おぉぉおお!」


 叫んでさらに勢いをつける、その動きに気がついたモーズはとっさに動こうとしたが、未だに痛む体は彼の意志に従えなかった。


 轟音を響かせてバルドの体が地面に漂着する――瞬間、床が抜けた。


 ガラガラと音を立てて崩れる床は、彼がたたきつけたバルドを起点に放射状に広がり――


「――ぁ?ぎゃ!」


 ――入口の辺りで呆然と事態の成り行きを見守っていた魔女を巻き込んで崩れた。


 床の崩壊に巻き込まれて消えていく二人の勇士と魔女を眺めながら、テンプスはそっとつぶやく――


「ちょっとやりすぎたな……」

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