時計の針はどこにたどり着くのか。
『……ああ……えぇっと……』
一瞬、完全に消えていた意識をどうにかつなぎとめて体を起こそうと動かす――麻痺したように動きが悪い、明らかに脳に異常が出ている。
「――先輩!もういいから逃げて!」
ただの一撃でガタガタと震える体が起き上がることを拒否しようとしているのを必死に奮い立たせているとき、傍らからこんな声を掛けられていることに気がついた。
悲壮な声だった――たぶん泣いている。
「よくはないだろう……君も、弟も殺される。」
「あいつらは私が何とかします!だからサンケイを連れて逃げて!」
「……自爆か。」
ちらりと、彼女を見て、体の中に流れている力のパターンを読み解き、彼女の企みを看破した。
テンプスの目にはマギアの肉体の中で蟠って高まっていく力が見えた、そこから考え着く結果はこれだけだった。
企みを見破られたのが驚きだったのだろう、絶句する彼女をいったん放置し、ようやく蘇った感覚器に辺りの様子を探らせる――まだ追撃が来ていない理由が知りたかった。
「チッ、これだから無能なペットは……何あの出来損ないに逃げられかけてんの?捨てられたいのか?」
そんな声が聞こえてきた時、彼は少しばかりの時間が生まれたのを感じた。どうやらあの魔女は自分が死んだか完全に行動不能になったと見て、自分のペットに当たり散らしているらしい。
この間に立ち上がらなければならない。未だに痙攣を続ける肉体に必死に指示を出し腕に力を籠める。
どうにか四つん這いになったテンプスに、マギアの悲鳴のような声がかぶさってきた。
「もういいです!このままじゃ本当に死にますよ!?」
「大丈夫……とはちっと言えんが、まあ、どうにかする方法はある。」
「――なんでそこまでするんですか!」
泣いているのだろうその声はテンプスにとってひどく不満で――自分の至らなさを証明しているようで申し訳なかった。
「私は自分の復讐に貴方達を巻き込んでる!ただの加害者ですよ!?無視して逃げてくれていいんです!責任なんてない!だから――」
ぶるぶると震える膝が、どうにも言うことを聞かない、家主である自分も傍らの少女の話を聞いていないのだから同類だと気づいたのはすっかり立ち上がった後だ。
「――だから、逃げてよ。もう私がいるせいで誰かに死なれるのは嫌……!」
そこまで言われて、テンプスはようやく何で泣いているのか理解できた。
彼女は自分を祖母と重ねたのだ。自分を霊体にして逃がした育ての親に。そして自分がいると人が死んでしまうという思い込みにとらわれてもいるのだろう――理解できる話ではあったが。
すすり泣く音が聞こえる。何とか泣き止んでもらいたいと思った、何せ彼女は――
「――生まれて初めて、頼ってくれたのが弟だったんだ。」
ひっそりと語る、あまり大きな声が出ない。それでも語る必要があると思った、この話は祖父にしかしたことがなかった。
「へっ?」
「うれしかったよ、おやじは寡黙な人だし、仕事を子供に手伝わせない程度の良識があった。母さんはできるだけ均等に愛してくれようとしてたとは思うけど――まあ、兄貴達が優秀だからな、どうしても差は出るんだろう」
それは古い記憶だ、まだ『何者でもない』者だったころの苦々しい記憶だ。
「近所の子供とは遊べなかった、周りの大人は罵倒するか無視するか。まともに扱ってくれたのは爺さんだけ。そんなときに弟だけが頼ってくれた。生まれてきた意味を見つけた気がした。」
簡素に語られる記憶はそれでも確かな実感を伴っている。ひどい傷を覆い隠したかさぶたのように言葉の下で何かがうごめいていた。
「だから、弟の……そいつのためなら未来の一つぐらい差し出そうと思った。死刑執行人の後継ぎにだってためらわずになれた。」
「じゃ、じゃあ、なおさら助けないと――」
「――君も一緒だ。」
「ぇ」
驚いたように動きが止まる。
「初めてだったんだよ、共同研究。誰もやってくれないからいっつも一人でやってた。君にそのつもりはなかったかもしれないけど、初めての友達との共同作業だった――楽しかった。」
膝立ちになる、踏みしめた足の感覚からして、どうにか歩けるだろう。
「本当に――あんなに楽しいなんて知らなかった。感謝してるよ、だから君も死なせない、自爆は止せ。僕は逃げない、無駄に死にたくないだろ?」
「――でも、このままじゃ!」
泣きながら叫ぶ声に笑って返した。
「大丈夫だって……信じろ。」
胸ポケットから秘密兵器を取り出す。手の痙攣はいまだに止まらないが、どうにか必要な動きはできそうだった。
最近ようやく完成したその機械は、歯車のカチカチという音を響かせて時を刻んでいる。
「これでも、サンケイの兄貴だ。これぐらいどうにかするさ。」
言いながら歩き出す――指は時計をいじり始めている。
竜頭を時計回りに一周させて、震える指で強く押し込む。
「――あぁ?なんだ、殺人鬼のクソガキ、まだ生きてたのかぁ?」
「あいにく、しぶといのが取り柄でね。」
言いながら、時計の内部機能が変わっていくのを感じていた。
ガチッと音を立てて文字盤が開く。もう一枚の蓋のように上に向かって外れた文字盤の下から現れたのは、ひどく小さい機械の寄せ集めだった。
一見すればがらくたにしか見えないが――これが彼にとって最も必要な装置だった。
無数の溝の中心に輝く水晶が常人には聞こえないひどく小さな唸り声と誰にも悟ることのかなわない力をまき散らしている。
これが彼……彼らのこれまで――七歳から始めた、祖父と少年の反抗のための十年間の集大成だった。
「はっ、黙って死んでいればいいものを――そういうの往生際が悪いって言うんだ、知らねぇか?」
「ああ、最後まで気骨のあるやつって意味だろ?いい言葉だよ。」
「っち、癪に障るガキめ――やりな!」
瞬間、二つの影が躍る。先ほどと同じ動き、先手を取ったモーズの目が喜色で歪む。
確実な死を与えられることを喜んでいる、それは本来の彼であれば絶対に感じない暗く狂った喜びだった。魔術によって与えられたそれは、今の彼にとって絶対的な物だ。
敵は見るからに傷つき、立っているのすらやっとに見える。もう、この一撃は避けられない――そう考えての大上段。これさえ終われば主にまた褒美がもらえるだろう。そう考えての一撃。
――しかし、声とともに動いていたのは何も二人だけではない。相対する少年もまた、声とほぼ同時に動き出し、敵が目の前に現れたときにはすでに行動を終えていた。
服の内側、素肌の胸の中心に押し付けるように時計を持つ少年は何事かぶつぶつと唱えていた。
「――コンスタクティオン コンストルティ コンストラクション、我が求め訴えに答えよ――」
天頂に剣が達したのと彼がパターンを終わりに導くための最後の文言を解き放ったのは、ほぼ同時だった。
『――
勢いよく振り下ろされる大剣が、空気のように彼の体を切り裂こうとして――止まった。
いや、正確には止められた。幻影のようなものを纏う右手によって、まるで棒切れでもつかむように止められていた。
「――はぁ!?」
魔女が声を上げた。心の底から驚いている声だ。しかし、それも当然だろう。
先ほどまで制服しか纏っていなかったテンプスの体に何かの文様が刻まれている。複雑で幾何学的――そのような学問はこの世界にはいまだに存在していなかったが――で、ひどく規則的で何かしらのパターンに沿って刻まれているその文様をなぞるように、透明な結晶体である何かが現れて、彼を包んでいたのだから。
それがオーラの光であり、その結晶であることを知っているのはこの場においてはテンプスただ一人だ。
古代の遺産によって引き出された少年の力とそれを導くパターンが混じり合って結晶を駆け巡り、満ち満ちていく。
「――なるほど――」
結晶体の内側からテンプスはつぶやく。
そうしている間にも結晶の変化は続く。ミシミシと表面にひびが入っていく、まるで蝶の羽化のように。
「――この剣、思ったより軽いんだな。」
言いながら、迎撃の拳が鳥頭の騎士を打ち据えた。
勢いよく弾かれて後ろにいた仲間に受け止められた騎士が見たのは、ひび割れた結晶が砕ける様と――その中心で傲然と立つ、鎧姿の男の姿だった。
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