秘密兵器
現れた少女は、いつもの、彼の研究室に訪れるときのような気やすさでもって部屋に侵入してきた。
その声に振り返ったテンプスが反応する。
「おや、来たのか?」
「はい、封印が溶けたので。」
言いながら見せてきた掌には何かしら溶解した物質――封印の要だろう――が乗っていた。
「……何したらそんなことになるんだよ。」
「ん?や、こう――えいって。」
言いながら彼女が動かした魔力の量は、学院で最も魔術を扱える人間が扱える総量を軽く10倍は上回っている。
麒麟児の呼び名をほしいままにしている弟たちすら及ばないその力が、彼女の力量を如実に表している。
「またすごいことしたな……サンケイは?」
「上で寝せてます、一応治療しましたから大丈夫ですよ。」
「そうか……それならよかった。」
言いながら後ろ向きに『視界』に収めた女が何やら地面に隠し持ったチョークで書きつけるのを眺めていた。
「――言っておくが、その魔法円の魔術で僕に一撃与えたところで痛手にはならないぞ、魔女。」
「!」
魔女がびくり、と肩を震わせたのが分かった。自分の動きが気取られているのが予想外だったのだろう。
魔女がびくりと肩を震わせたのが分かった。自分の動きが気取られているのが予想外だったのだろう。
「な、何を言って――」
「火の魔法円だろう?僕の知らん円だな、1200年前の術か?どっちにしてもその練った魔力の量じゃ、こっちに撃っても意味ないぞ。」
「――」
テンプスが自分の様子を把握していることが分かったのだろう、恐れるような表情に変わっていく魔女の顔を『視界』で確認して、彼は言葉を続ける。
「連れていくと言ったろ?」
「先輩遅いので来ちゃいました、女性を待たせるのは男性としてどうなんです?」
「あー……それは失礼――で、何持ってんの君?」
「んー……とっておきの秘密兵器――ですかね。この屋敷のてっぺんの隠し部屋で見つけました。」
言いながら彼女の視線はテンプスの後ろで驚いている魔女に向けられている。
「――あなたは何かわかりますよね?」
「ああ?てめぇの物のことなんて私が知るわけ――まて、お前今ここの隠し部屋っつったか?」
「ええ、言いました。」
その言葉の意味を理解した魔女の顔色が見る間に青ざめていく様は、まるで食紅を溶かした水が見る間に色を変えていく様によく似ていた。
「ま、まさか――」
「ええ、あなたの秘密、ですよ。」
言いながら彼女は笑った、いつも研究個室で見せるカラカラと快活な物とは異なる、壮絶で――暗い喜びに満ちた笑顔だった。
「秘密?死体でも入ってるのか?」
「し……?ああ、さっき言ってたメイドの?違いますよ、さすがにこんなに薄くはならないでしょう?」
言って、ポンポンと傍らの覆いを叩いて見せる。
その物体は見れば確かに薄い、厚みで言えば20から30cm程度、大きさとしては縦横両方ともマギアの全長ほどもあり、彼女はそれを魔術で操っているのか地面から浮かせて持ち歩いていた。
「じゃあ、なんだ?最上階には何も目立つものはなかったと思うが。」
「――聞いたことありません?肖像に年齢を押し付けていた魔術師の話。」
「――『灰色の肖像』か!これが?」
それは非常に強力な魔術の器物だ。
かつて――100年以上前だ――いずこかの貴族が年を取ることを恐れ、この器物を作らせたらしい。とてつもなくできの良いそれは『時』を閉じ込め、その貴族の『時』を封じ込めた。
そう思って目を凝らせば、なるほど覆いの内側に彼も見たことのないパターンが渦巻いているのが見て取れた。
「はい、年齢の閉じ込めは高度ですけど――肉体の変調程度なら閉じ込めるのも連動させるのもそれほど難しくないですから。」
「――ふむ?」
一瞬考える、肉体の変調とは何を示すのか。調子が悪くなること、転じて――
「――肉体の変化?」
「お、さすが、学園一位の秀才、ご明察です。」
「――待て、つまり何か?この女まさか――」
「はい――その肉塊、この肖像画に自分の体の不調全部押し付けてたんですよ。」
それは驚きの事実であると同時に納得のできる話だった。彼がメイドの無残な死を目撃した時、彼女が食い荒らしていた肉の海は尋常の量ではなかった。
それ全てを食べて一体どのようにこの容貌を――見た目だけならば絶世の美女と呼んでもいい体と顔を維持しているのか、テンプスにもわからなかった。
しかし、それがこの魔術によって支えられているとすれば――
「――その下の絵、見たくなくなってきたな……」
「そうですか?結構愉快な見た目でしたよ。」
そう言ってひっそりと嗤う、その姿はまるで魔女の顔だ。
『悪い顔をしているなぁ』と思うのと、それまでうつむいて茫然としていた後ろの女が彼の『視界』で何かを行ったのは同時だった。
「ア゛ア゛ア゛アァアァアァァァアアアアア!!ウワアアアアアアアンッ!!」
――泣いた。
自分を不当にいじめる周囲が怖くて、自身の思い通りにならない世界が憎くて、何よりも目の前のクソガキたちがあまりにも許せなくてただただ泣いた。
「――先輩!」
マギアが叫ぶ、この泣き声が危険だと知っていたからだ。
聞く者すべてを物理的に怪死させる呪詛歌。いかなる生き物であっても絶命させる魔性の声――魔女の特徴たる呪声であった。
あの鎧が驚異的な性能を持っているのはもはや疑いようがない。しかし、だからと言って鎧の隙間という隙間から侵入してくる音に抵抗できるわけではないはずだ。
そう考えたマギアは警告を発し、魔術で庇おうとして――気づく。上の階には動けないサンケイがいる。
このまま彼女が何もしなければ、彼の脳はスライムのようにでろでろにされて死んでしまう。
『――やばっ……』
とっさにサンケイに向けて守護の呪文を放った時には、すでにテンプスはたっぷりと呪声を浴びていた。
とっさに自分に張ってしまった障壁を苦々しく見つめて、テンプスに呪文を掛けようとして――
「――いや、うるせぇ。」
「こっ!」
――突然動き出した鎧の手刀で呪殺歌が止まった。
振り向きもせずに横薙ぎに振り切られた手刀の一撃は、相手の喉をつぶしたらしい。一撃を受けた部分を押えながらじったばったと悶えている。
その姿はまるで、死にかけた虫のようにテンプスには見えた。
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