ある女の暴走。

 オモルフォス・デュオはここ数日感じていなかった充足感を久々に感じていた。


 それを与えているのは他でもない、今足置きとして使われている男――


「――じゃあ、わかっていただけましたね、サンケイさん。」


「――はい!オモルフォスお嬢様!おっしゃる通りに!」


 ――サンケイ・グベルマーレ、あの憎き男の弟で、あの学校きっての麒麟児。


 それが今、自分の足元にひざまずき、鼻から血をだらだらと垂れ流しながら自分の足を必死に支えている。その様を思考を読める人間が見れば彼の脳が彼女への愛で満たされていることを察しただろう。


 その様はまるで奴隷か、あるいは道具のようだ。


 ここで一つ断っておこう――特段、彼が対策を怠っていたわけではない。


 むしろ、彼にできるすべてをこの女の前に現れるために行ったと言ってもいい。


 この先の計画を入念に練り、この女が傷つくタイミングを図り、この女に出会うために前もって準備を整えた。


 姿を消す呪文を学び、この家の大まかな構造を思い返して――呪文への対策を行った。


 基本的な話、魔術に対する耐性はその個人が有する体質と魔力の量によって決まる。要は水に入れた氷のようなものだ。


 コップ一杯ならば氷はある程度の大きさがあれば底にたどり着けるが、プール程の深さとなると通常のコップに使う程度の大きさの氷ではそこにつく前に溶け切ってしまう。


 彼の兄のように特殊な体質でない限りは、魔力の量はコップの中の水だ、相手の影響である氷を溶かし、影響を低減してくれる。


 彼が転生時に受けた特典にはこの魔力の量の亢進が含まれていた、その影響で彼は今日まで、この女の魅了に引っかからなかったのだ。


 しかし、こと今回に関してはその限りではない。何せ、本人との長時間の直接接触をする上、兄を貶める提案をしに行くのだから、明らかに警戒されるし、攻撃される危険性も考慮していた。


 ただ、彼は根本的な部分で思い違いをしていたのだ。


 彼は彼女の魔術を防ぐためにある魔術を使っていた。


 これはアニメ本編において、主人公が彼女の魔術を防ぐのに使っていた魔術だ。故に、彼女の呪いはすべてこれで打ち消せると信じていたのだ。


 ――が、実のところそうではない。


 これが彼女の魔術の影響を無力化できるのは、あくまで全体に放射している分だけだ。


 ついでに言えば、彼は少々目立ちすぎていた。


 わずか入学から半年で、ほとんど公式の物として最強のチームの名を欲しいがままにしている彼を、彼女が見逃すわけがない。そして、彼女は強欲な魔女だ。欲しいと思った物なら、必ず手に入れようとする。


 ゆえに彼女は以前より、この少年専用の魅了の魔術を研究していた。


 それが今サンケイがオモルフォスの足元で足置きとしてこの世の春を謳歌してしまっている原因だった。


『これであの屑の首がここにあれば……』


「――完璧だなぁ……」


 魔女は笑う――その笑顔は、またとない凄惨な復讐劇に、彼の弱点による全面協力を取り付けた事からくる喜びによるものだった。






「へっ?サンケイ……さん、帰ってきてないんですか?」


 いつも通りの日課を終えて、帰路についた彼女にサンケイの叔母――すなわちテンプスの叔母でもある――から伝えられたのは共犯者の不在だった。


 彼女が知る限り、サンケイは自分よりも早く帰路についていたはずだった。


『……今日の先輩の活躍で、あの女の『結合』は緩んでいるはず。このまま一気にあの女をしたいんですけど……』


 そのための打ち合わせを行うべき相手がいない。彼に渡した道具が必要な術だ。彼の協力がいる。


「あ、それじゃあちょっと探してきますね。そろそろお夕飯でしょうし。」


 そう言って、家主に暇乞いをして部屋を出る。


「どこ行ったんですかねぇ……面倒な……」


 呆れたように嘆息する、彼の兄も言っていたがどうにもあの男は勝手な行動をすることがある、そこ以外はいい共犯者なのだが………


 そうため息をつき、学園からここまでの順路を逆打ちしてめぐる――いない。


『……私の家とか……いや、家でもなんでもないんですけどあそこ。』


 自分の根城にしている廃屋に向かう――いない。


『……先輩の家……とか?』


 彼の兄である男の家に向かう――いない。


『……』


 何かがおかしい、どこにも彼の気配がない。


 普段であればどう隠して歩いてもあふれるような威厳とでも言うべきものをまき散らしている彼を探すのがここまで大変であったことなど今まで一度だってなかった。


 いやな予感がする、何か取り返しのつかない事態になりかけているような。


『……まさかあの女?いや、この速さで彼に攻撃とは思えない、じゃあ一体――?』


「――マギア!かわせ!」


「へっ?」


 ――その声が響いたのはもう一度、帰路から学園までの道をたどる道すがらのことだった。


 突然響いた聞き覚えのある声は、彼女を庇うように反対車線から駆け込んできてマギアを突き飛ばし――自分の代わりに馬車にひかれた。


『――えっ』


 目の前で起きたことが一瞬、あまりに突飛で、現実感をなくす。


 それでも首を動かして見た方向の視線の先にあったのは馬車とその隣にごみのように打ち捨てられた――


「――先輩!?」


 ――知り合いの姿だった。まるで糸の切れた人形のように手足を投げ出している。


「――お前、殺すなと言われているだろうが……」


「す、すいません!こいついきなり飛び出してくるもんだから、止まれなくて――」


「っち……まあ、いい、あの女はかなり厄介だそうだ、最悪殺してもいいとのお達しだ、やるぞ。」


 舌打ちする男の声も、マギアの耳には届かない、明らかに常人なら死んでいるだろうという怪我をしただろうテンプスに釘付けだった。


「先輩!大丈夫d――」


 叫んで駆け寄――れない。


 馬車から降りてきた男たち数人が彼女の前に立ちはだかったからだ。まるで壁のように少女の前に立つ男が、感情をうかがわせない声で少女が言った。


「――退け、木偶の坊、お前に用はない。」


「悪いがお嬢さん、こちらにはあるんだ――ついて来てもらおう。」


 どこまでも平行線な会話の返答は、彼女が指先から放った閃光で行われた。


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