永い別れ

 そのころ、王子は取り乱しに取り乱していた。


 以前語った通り、彼は非常に呪いに強く影響されやすい人間だった。


 ゆえに、彼は呪い「すべて」の影響を強く受けるのだ。抵抗能力がないのだから当然と言えば当然のことだった。


 『ニンフの美貌』に浮かされた彼は、まるで暗所で灯に群がる蛾のようにふらふらと彼女を求めた。抑制などきかない――呪いとはそういうものだ。


 彼はこの行為を非常に後悔していたし、許されることではないという罪悪感でひと時は呪いに打ち勝った。


 が、それはそれほど長く続くものではない、後悔は日増しに小さくなり、代わりに呪いの力が彼を支配し始めた。


 ここで悲劇だったのは彼には婚約者がいたこと、そして――その婚約者がいささか嫉妬深かったことだ。


 婚約者は様子のおかしな王子を問い詰め、彼の罪悪感の源を突き止めた。


 許せなかった。彼女の心境を一言で表すのならこうだろう。


 さらに悪かったのは王女の呪いの代償の一部が「負の感情の増大」だったことだろう。


彼女の中にあった嫉妬と呪いによって増幅された憎しみが凶行に導いた。


 彼女は追っ手をかけた、金に糸目をつけなかったという。


 そのころになれば姫はマギアと同じ程度の一般常識を会得していたらしい。


 そのころには双子も今のマギアぐらいの年齢になっていた。九人目の聖女の教えを受けて、姉は最年少で国の後任の魔術師になれるほどの魔術の腕前になっていたという。


 王女らしさはなかったかもしれないが、それでも幸せだったらしい。


 しかし、それが長くは続かなかった。


 天井知らずの報酬は周囲の人間を凶行に走らせるには十分だった。


 逃亡生活が始まり、聖女たちは傷ついた――


 そして、最後の時が来た。




「――姉の方は先生と二人、母と妹を棺に入れて封印しました。とびっきり頑丈で、誰も開けられないようなものを。」


「……」


 テンプスは棺を想像する――されているのだろう。


「聖女たちは棺を沈めて、囮になりました、逃げて逃げて――で、最後は追いついて来た王子の――婚約者の手下に斬られて死にました。」


 そう言って話は終わった。


 一息つくように視線を落とす彼女に対して、テンプスは新たなお茶を注ぎながら再び垂れ込めた沈黙の帳の陰に潜んだ。


 長い長い話だった――お茶はもう四杯目だった。まあ往々にして、は長くなるものだ。


「――これが、私の話。1200、あの時代には割とよくある、我が家の話です。」


「――ん、そうか。」


 彼女の口から放たれた言葉は常人には驚愕すべきことだったが、テンプスにとってはそれほどでもなかった。


「驚かないんですね。」


「途中で気が付いたからな。話の前半部分が『怨嗟の魔女』の逸話に似てたし、まあ……あの棺の件から考えても、何かあるんだろうなとは。」


「だからって、目の前の女がそうだと思ったりします?」


「僕はする。それ以外の奴のことは分からんよ。」


 笑って言う、自分が決して普通でないのはこれまでの人生で十分理解していた。


「それにしても、なんというかずいぶん曲解されたな。」


「見たいですね。まあよくある話ですけど。」


「まあ、いつだって生き残った側は勝手な事書くしな。」


「ですねー」


 けらけらと笑う――この空虚な笑顔も、追われていた時に身についたのだろうか?


「――君が姉か?」


「妹はあの棺にいますから。」


 そう考えると、自分は的外れな説教をした様にも、人の尊厳を守ったようにも感じるな――とテンプスは複雑な感情を抱いた。まあ、庇われた側が喜んでいるからいいのだが。


「斬り殺された割には元気そうだな。」


「……おばあちゃんが何かしたみたいです。気が付いたら、幽霊になって浮いてました。」


 これはテンプスとしても少しばかり意外だった。てっきりあの棺のように封印されていた物だと思っていたのだ。


「憑依でもしたのか?」


「みたいなもんですかね、自分の魔術で作った体に自分で憑依した――ってとこでしょうか。」


 それは恐るべき魔術であった。彼は数多の歴史について調べてきたが、そのような魔術は聞いたこともない。


「もともとの体は?」


「消えてました。血の跡もなかったので、何かしらの魔術で消えたんだと思います――もしかすると、霊体に溶けたのかも。」


 このセリフを聞いたとき、テンプスはあの棺の来歴に合点がいった――彼女たちを殺した連中は主家を裏切ったのだ。


 彼女たちは殺せただ、だが、持ち帰る首がなかった。、が、彼らは殺したと報告するしかなかった。


 そこで、彼らは二人が封印されたことにしたのだ。現物である棺は重くて持ち運べなかったとでも言ったのだろう。


『だから封印した奴のことが誰もわからんのか……』


 これほどの存在を殺した術師の名前なら歴史に残っていてもおかしくはない。なのになぜか誰も知らないのにはこういった事情があったのだ。


 ひとしきり話し終えた彼女は一瞬口をつぐんで、テンプスに向かって顔を上げた。


「――ありがとうございます。」


「……何が?」


 分かり切ったことを聞いた。


「わざわざ私を呼んでくれて、あの人に恨みがあるってわかってやってくれたんでしょう?」

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