動き出した問題

「すまんね、昼飯逃して。」


「いえ、その……私の方こそごめんなさい。なんだか巻き込んでしまって。」


 お互いに謝りあうテンプスとマギアは自分たちがもうこの会話を五度以上していることに気が付いている。


 朝食を取り損ねる原因になったあの棺の前で、彼らはその棺を眺めていた。


『1200年前、華美なる王国に生まれた可憐な王女を呪おうとした悪しき魔女が封印されたと思われる石櫃。その呪いはすさまじく国を滅ぼすほどだったという――』


 と書かれた立て看板の周りには石筆で線が引かれ、その内側に複雑怪奇な記号が描かれている――守護の魔術だ。学院側が昼間の一件のようなことを避けるために設置したのだろう。


「……私にとって。」


 ぽつり、と彼女がこぼす。


「私にとってこれは――大事な物なんです。」


 言いながら重く黒く、けれど壊れのない棺を見つめる目は慈悲となつかしさと――悲しみに満ちていた。


「これが目的だった?」


「いやそんなことは……でも、もし、これがここにあるって知っていたら、これも目的に入っていたと思います。」


「そうか……盗むのはよせよ?」


 半ば冗談で言ったそのセリフに、彼女が返事を返すことはなかった。




「――もし、テンプスさん?」


 そんな風に声をかけられたのはその日の夕暮れのことだった。


 聞いたことのある声だなと考えながらテンプスはくるりと振り替えて、声の主を見やる。


 オモルフォス・デュオ


 ちょっと引くぐらいの完璧な女。学園の女神――いまいち好きになれない女。


 この学園の人間から違和感を感じるほど慕われているこの三回生は今日も取り巻きで回りを固め、日の光を自分から放つようにそこに佇んでいた。


「あー……どうも。先輩」


「御機嫌よう……テンプスさんもお変わりないようで。安心しましたわ。」


 そう言ってたおやかに微笑む彼女はなるほど男子生徒が魅了されるに値する美しさに見える。


「えーっと……何か?」


 そんな有名人に声を掛けられたことにテンプスは困惑を隠せない。


 当然だろう、片や学園の嫌われ者、片や学園の女神とも崇められる女。接点こそあれ、基本的に共通の話題も、話しかけられる理由もない。


 であるならこいつはいったい何をしに此処に来ているのだ?


 そんな疑問がテンプスの脳裏で渦巻いていた。


「いえ、昨日私の実家が学園に送ったものでもめごとがあったと伺ったものですから……」


「ああ……」


 それを聞いてテンプスは一応の納得をした。あの棺が寄贈されたのは彼女の実家からだった。


 その結果結構な騒ぎになっているのだ、彼女が自分に会いに来るのも理解はできる――そんなことのためにこんな著名人が自分のところに来るかは疑問だが。


「申し訳ありません、普段からそのようなことはしないようにと声を掛けてはいるのですが」


「ああ、まあ、あなたのやったことじゃないですし……」


 そう言ってほっと息を吐く彼女は花も恥じらうように可憐だ、周りにいた取り巻きらしき男子が生気を抜かれたような腑抜け顔で立ち尽くしている。


「――ところで――」


 先ほどまでの憂い顔から一瞬だけスッと目が細くなるのをテンプスの目は見逃さなかった。


「――貴方、どうしてあの棺を守ったのですか?」


 ――こっちが主題か――


 すっと目を細めるテンプスは彼女が纏う雰囲気が少しばかり変わったことを理解した。


 いつもの優しい――けれど、どこか寒々しい感覚からやさしさを取り払ったような感覚。


『こっちが本性か?』


 苦笑しながら返答を考える――マギアのことは口に出したくなかった。


「あの時に言った通りですよ、先輩、僕には僕なりに善や正義について考えてることがあって、それを彼らが侵害してた。」


 だからやったのだ――と、言いたげに彼は肩をすくめる。


「それだけですか?誰かに頼まれたというわけでは?」


「そんなわけないでしょう?1200年も前の遺物にあんな入れ込む変わり者そうはいませんよ。僕だってあれが棺でないならあそこまではしませんよ。」


「……」


 視線に力がこもる。自分の言葉に嘘がないのかをじっくりと見極めるように視線の圧が増した。


 その視線をテンプスは風に凪ぐ柳の葉の様に受け流して見せた。


 そのまま、数秒の時を経て二コリと笑ってテンプスを見つめた彼女は一言。


「――そうでしたか、それならば結構なのです、「これが死者への冒涜や尊厳の蹂躙なら自分たちはそれを止めるべき」でしたか、素晴らしいお考えですわ。」


「おほめにあずかり光栄ですよ。」


「では私はこれで、テンプスさん、ご無事で本当によかったですわ。」


 そう言いながら、彼女は踵を返して歩き去って行った。


『相変わらずどうにもいけすかない輩だな。』


 そう考えながら鼻を鳴らした少年は彼女の漏らした一つの言葉に注意を払い、そっと手で包むようにしてその疑問を見つめた。


『――誰かに頼まれた……頼まれること自体想定してたような口ぶりだった。』


 つまり、彼女はあれを餌にしたのだ――おそらく、マギアを誘い出すために。


『……ふむ』


 脳裏に浮かぶのは楽しげに自分の論文を読み漁る少しばかり趣味の変わった少女の姿だ。


 事情はいまいちわからないが、味方をするなら彼女の方がいいな。と研究個室に向かいながら彼は思った。

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