逃げる蟻

「――はぁ?こいつ、なに言ってんだ?どけよ。」


「断る――これ以上はよした方がいいと思いますよ、諸先輩方、処分をくらいかねないでしょう。」


 石を脇に投げ捨てながらの一言。


「常識的に考えてくださいよ、学校側が預かった歴史的価値のある遺物に、石なんて投げたら教員に何言われるかわからない、そうでなくても借り物に傷をつけたらいけないことぐらい誰でも知ってる常識でしょう?「人の嫌がることをしてはいけない」親に習ったはずですがね。」


「はっ、何を言うかと思えば……」


「嫌がることをするなって………誰が嫌がってるんだよ?むしろここで処分するのが世のため、みんな喜ぶだろ。」


「あ、あいつアレだろ?『魔力不適応者』」


「それだけじゃねぇよ。父親が死刑人だ、汚らわしい。」


「なんで国滅ぼすような極悪人の味方してるんだろ。父親が人殺しでシンパシーでも感じた?」


 口々の罵声、最もテンプスにとり、そんなものはそよ風のようなものだ――少なくとも弟や後ろで心配そうな視線をこちらに向けているのがありありと分かる彼女が泣いている状況よりよほどましというものだ。


 そんな少年の心中を知ってか知らずか、上級生は舌が勢いに乗ったのか、饒舌に語る。


「それともなんだ?お前も魔女の呪いでたぶらかされたかぁ?」


「アハハ、は呪いの残り香でもダメか!」


「おおぉ、こわ、ほんと生まれたことが害悪みたいなやつだな」


「ああ、産まれるべきじゃなかったなぁ。アハハハハハッ」


 そう言って、笑う上級生、先ほどから思っているがどうしてこの手の人間の顔はこうも醜いのか?


 ――しかし、つくづく――


「――やめろっつてんだ、みっともない。」


 心底そう思っている声音でテンプスはそういった、実際、心底そう思っていた。


「グダグダと騒々しいやつらだな……死体にたかる蠅か?死人は反抗しないから何してもいいとでも思ってるのか?情けない奴らめ。」


 心底軽蔑した調子のテンプスがそういった、実際心底軽蔑していた――だってそうだろう?


 こちらを覗く、顔を赤くしたアブラムシを眺めて思う


 ――一体こんな人間のどこに尊敬なんてできる?――


「てめぇ――」


「なんだよ、事実だろ?他人に対する思いやりもなく、死者への敬意もない。やることと言えば死人に石を投げるだけ。根本的な常識が欠如してる。」


 心底汚らしい物でも見るように顔を顰めるテンプスに上級生が食って掛かる。


「――なんだその態度は!何様だてめぇ!」


「あんたらよりも常識のある人間だと思うね。」


「――ふざけんじゃねぇ!調子乗りやがって」


「それ以前に!」


 激昂したように叫ぼうとする男の機先を制して告げる。


「――生前に何をしていたにせよ、、すでに罰が下された人間に対してこういった行いをするのは、『死者への冒涜』や『尊厳の蹂躙』じゃないのか?」


 ――これが少年の、そして彼の父の持論だった。


 ――死はすべてに平等に訪れるべきものであり、すべては終わりを迎えた後、冥府の底に待つ偉大なる闇の神の前で許されるのだと。


 もともとは父の奉ずる神の教えであったらしいそれを、父は「どのような罪人にも最後に許される場所がある」と解釈し、自分がその場所に続く現世の最後の使徒だと信じていた。


「もし!もし、これが死者への冒涜や尊厳の蹂躙なら――」


 心の中にある憤懣はもうすでにトラとも竜ともつかぬ姿で猛り狂っている。


 もう口が止まらなかった。


「――俺らはそれを正す側にいるんじゃないのか?率先してやってどうする?」


 ――結局、これが一番少年の癪に障ったのかもしれない。


 彼とて本気でこの学校に期待などしていない、彼の今までの生活でそう信じることができるのは聖人君主ぐらいだ、テンプスはその枠には当てはまらない。


 ただ、この学院の人間は善に属する人間のために何かをする人間の居所であってほしいとは思う。


 根本が後悔でも正義感でも義務感でもいいが、そういった人間が集まる場所であるべきだ、断じで――そう、断じてこんな人倫にもとる連中のための場所であってほしいとは思わない。


 そうであるのなら――こんな所に何の意味がある?


「……っち、イラつくやつだ、おい、誰か教官に報告しろよ。なんで人殺しがこの学校にいるんだ?おかしくね?」


 上級生の一人がそんなことを言った。


「お前らより、善や正義の意味について詳しいからだろ?」


 あざ笑うようにそういった彼にいよいよ怒髪天を突いたらしい一人の生徒が人混みの中から現れた。


「――もういい、もう終わりだ、黙らせてやる。」


 そう言いながら前に出てきたのは『狼人族ろうじんぞく』と呼ばれる狼の頭をした生徒だ。


 基本的に好戦的な種族である彼らにとってこの手の侮辱は最も忌み嫌うところだった。


 狼だと言うのに肉球もないひょろりと長い指を鳴らしながら前に進み出た狼に視線を送った彼の脳裏に浮かぶのは彼がこれまでの人生で集積した膨大な行動のパターンとそれからくる相手の行動予想だ。


 まるで未来がそこにあるかのように相手の行動を見定めた彼はあるパターン以外ならこれを制圧できる確信を得た――まあこの学校に入ってから常にそうなのだが。


 バキバキとテンプスもまた指を鳴らす。


 肌が泡立つ緊張感の中でゆっくりと気迫を発して気圧されぬように構えるテンプスは腕に力を籠めて、初撃を決められるように動き始めて――




「待ちたまえ!」




 ――聞き覚えのある声に止められた。


「あっ、サンケイ君よ!」


「キャー!眼福!もうお風呂入らない!」「いや、それはおかしくない?」


「兄さん無事?」


 黄色い感性を無視してこちらに近づいて来た弟にこいつは毎度いいところで来るよなぁと苦笑しながら礼を告げる。


「一応ね、毎度毎度悪いな。」


「いいさ、悪い事ならともかくいいことして馬鹿を見るほうが何だろう?」


 言いざま、振り返って狼人族の勇士を見やった彼は――


「――話は聞かせてもらいました、校則、刑法どちらに当てはめてもあなた方がやっていることは間違っている。」


「――ぬかせ、ハゲタカのガキが。」


「そういうあなたはハイエナの息子でしょう?」


 皮肉に皮肉で返した弟に「――貴様……!」と怒りをにじませた上級生だったがその勢いは明らかに弱い。恐れているのだろう、目の前の彼の半分も背丈のない少年を。


「ほかの皆さんもです。実際に石を投げた方にはおって処分が下るでしょう。わかったら解散してください!」


 そう言って勢いよく手を叩いた彼に、恐れをなしたように聴衆が逃げだした。まるで巣穴の崩壊から逃げる蟻のみたいだな……とテンプスは思っていた。

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