テンプスなりの善と悪

「なんか人多くないです?」


「おん、なんかあったかね。」


 研究個室を抜けて昼食を取りぬ図書館の抜けたあたりで事は起こった。入口辺りが騒がしくなっている事に気付き、近寄ったことがある種問題をややこしくしてしまったのかもしれない。




「……石櫃?」


 図書館を出て、広い廊下に出るとやはり多くの人だかりができていた。


 見物の目的は、職員が運搬している石製の―――棺桶かんおけだ。


 明らかに現行で使われているそれとは明確に違うあまりにも重厚で――ある意味封印の様にすら見えるそれは中の物が万に一つにも出ないようにと鎖でぐるぐる巻きだった。


『またずいぶんとでかい……かなり昔の棺、苔むしてるのに、鎖に一切腐食がない……まじないで封印されてる。』


「なんだあれ……」


「ぁ……」


 ――テンプスはそこでようやく、隣の彼女が明らかに挙動不審になっている事実に気が付いた。


「――どうした?」


「ぇ、あ、い、いや、何でもないですよ?」


 そう言って、こちらに見せた笑顔はまるでつぎはぎだらけの雑巾か何かの様にボロボロだ、明らかにあの棺に何かあると表情が語っている。


「……見たいなら、近寄って見るか?」


 そう言った彼に、マギアが行ったのは引き止めだった。


「い、いいですよ、あんな……棺、見たっておなか膨れないでしょう?さ、お昼行きましょうお昼!」


 そう言って袖を引く彼女の力はテンプスが感じたことがないぐらい切実な気配をまとって彼の腕を動かしている。


「……わかった、早いとこ行こう。」


 彼女がそう決めたのなら――とテンプスも動き始める、あれが彼女にとってどういったものであれ、ここに居続けたくないのなら早く離れるべきだろう。

 でないとここの生徒のことだ――


「ねぇ、これってもしかして………文献にあった………」


「ああ、間違いない。『怨嗟の魔女』だ」


 周りで上級生たちが騒ぎ始める――恐れていたことが始まった。いつもの下らぬ『憂さ晴らし』だ。


 自分の時と同じだ、いかなる時代でもいきなり人間の民度は上がらない、テンプスは人生の縮図の様に底にある事実にいつもと変わらない感慨を抱だいて。目の前の後輩を見つめた。


「湖の底に封印されたってことは、相当悪い魔女だったのね。」


「討伐するのも並大抵じゃなかったはずだ。俺らの先祖うまくやったよな。」


「すげぇな。今でも語り継がれる歴史が目の前にあるなんて。」


「中を見てみたいもんだな。極悪人がどんな面して寝てんのか。」


「やめときなよ。呪われるよ?アハハ」


 ――マギアの足が止まっていた。


 視線は自分のつま先に向き、何かに耐えるように手の力は増している、軽く震えてもいるようだ。


 うつむいた少女がどんな顔をしているのか、彼にはわからない。


 ――只、笑顔ではないだろう。そこにだけは確信を持てた。


「よし、石でも投げようぜ」


「えー一応、歴史的な文化財だろ?まずくねぇ?」


「大丈夫だって、なんていったってこいつは悪人で――」



 ――俺らは正義の英雄様なんだからさ!



 そういった時、目の前の後輩の肩が軽く揺れたことに彼は気が付いた。


 手の震えはその強さを増している――もう見なくてもどんな顔をしているのかわかった。


 彼らは自分にわかる範囲で自分が知っている事柄に基づいて判断を下し、彼らなりの判断基準に沿ってあの会話をしているのだろう、それはまあ、いい。


 場所をわきまえろよ。とか、いろいろ言いたいことはあるが、人間なんてあんなものだ。


 だから、彼らを責めるわけにはいかない。


「どうせだったら火を付けて蒸し焼きにするか?」


「中身骸骨だろ。いや、もう骨も腐ってるか」


「生きてたら昔以上に惨い処刑されるんだろうな」


 ―――只、個人的に少し不愉快な気分にはなっていた。

 

「――大丈夫ですよ。」


 反射的に進んだ足を、柔らかい声が引き留めた。


「――ん?」


 振り返った先、食堂に向かう方向から何かを振り切ったように白銀の少女がこちらを見ていた。


「――大丈夫です、気にしませんから。」


 そう言ってこちらに向かって何時もの様に笑う。それがひどく彼には痛々しくて――


「だからほらお昼――「マギア」にー……」


 言葉を遮る。彼女の顔に少しの緊張が走る。


「マギア、聞け。」


「……なんです?」


 何時もの数倍陰りのあるように見える笑顔の彼女にテンプスは思いのたけを伝える、納得がしてほしいわけではない、ただ、伝えておくべきことだと思うから。


「――確かに僕は弟程たいした奴じゃない、それは認める。」


 「この世のごみめ」「恥を知れババァ」などと口汚い言葉でののしる上級生と苦痛を隠す少女の間、何をするかはテンプスの手にゆだねられていた。


「……はい。」


「魔術にはめっぽう弱いし、強くなれる当てもない、学校全体から嫌われてるくらいだ。」


「……」


「正道に背く外道が」


「悪魔が!あの世に帰れ!」


 もはやどちらが悪人かわからない罵声を聞き、上級生に視線を送る。

 どうもエスカレートしすぎて顔が赤い、熱狂に浮かされたか笑みを浮かべて本当に石を投げそうなものまでいる――ひどい面だ、地獄にいるアブラムシのほうがよほどましに見えるだろう。


「――でも、後輩が大事に思ってるものを愚弄されて泣きそうなとき、何もしないほど落ちぶれたつもりはない。」


「ゴミ魔女!」


「生き恥曝して、死に恥も曝したなぁ!」


 後ろで響くやじをどこか遠くで聞きながら少年は自分の決断を珍しくほめたたえていた。


「……でも!」


「――いいか、これは僕自身の善悪の問題なんだよ、これを許すのは僕が、僕自身の信義に反するってことだ。」


 それだけは許されないんだ。そういった自分がマギア・カレンダの目にどのように映っていたのか、テンプス・グベルマーレにはわからない。


 途方もない愚か者か、あるいは教義に準じる殉教者か。


 そのどちらだったとしても、彼女がそれに少しばかりの希望を見出したのは間違いないのだろう。


 袖から離れた手を見つめて、彼は再び振り返る。いつもよりも大声を放った。


「あー……お楽しみのところ、申し訳ないんですが……そろそろやめられては?」


 ため息交じりの苦笑一つ、しかしまあ、悪い気分ではなかった。

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