兄の誤算、魔女の誤算

「これ、ここの実験回数足りてなくないですか。」


「三回だと足らん?ほかの実験室と合わせてんだけど。」


「んー……これ先行研究が三回なんで五回分ぐらいほしいですかねー」


「後二回……実験室の申請下りんな……」


「?別にそんなに辛い申請じゃなくないですか?」


「君にはな……」


「あー……」


 昼の研究個室。


 二人の男女がだらっとした様子で話し合っていた。


 男の方――テンプス・グベルマーレは受けた論文の指摘に顔を顰めてこめかみをぐりぐりと指で押し込んいる。

 まるで頭痛に耐えるように呻く彼は自分の論文が没になりそうな恐怖でうめいていた。


「……私の方で申請します?」


「んー……なんか後輩にたかってるみたいでいやなんだけど。」


「気にしませんけど私。」


「僕がするんだよ。」


「面倒ですねぇ……」


 そう言って半目でこちらを見る少女――マギア・カレンダに苦笑で返したテンプスは一言。


「まあ、もしどうにもならなくなったら頼むよ。別に教員全員が申請却下されるわけでもないんだ。」


 そう言って返す。実際去年までは論文の査読をしてくれる教員もいたのだ――まあ、論文を手伝ってくれたことはないが。


「そうなんです?」


「まあ、数は少ないがね。」


「ふぅん?下心あったりして。」


「……まあ、まったくなかったわけではない。」


 思い返されるの人体実験のごとき連続稼働記録の実験への参加であったり、あるいはもっと直接的に自身の体質の研究のために検体として差し出す羽目になった肉体の一部のことだ。


「……冗談だったんですけど。」


「僕の人生は他人から見ると冗談みたいなことがざらにあるんだよ。」


 そう言って笑う彼の顔に宿る影は暗い。つらい経験を思い返している人間特有の顔だった。


「やめたらどうなんです?誰も止めないと思いますけど。」


「そうもいかん、一応ここの卒業が死刑執行人の資格の条件なんだよ。」


「ああ、サンケイ……さんが言ってましたよ、なんか大変らしいですね家業継ぐの。」


「結構ね、案外インテリなんだよ僕らの家。」


 そう言って笑う。大体の人が知らないが、死刑執行人は実際のところ、かなり厳格な仕事であり。その職種に求められる知識見識は相当なものである。


 少なくとも一般的な法執行官と同程度の法的知識と刑罰への習熟、そして人体に対する豊富な知識がなくてはならない。


 そこに加えて、死刑執行の命令書の正当性を確認するための言語学や首切りのために使われる剣術にまで習熟する必要性があるこの職業は人が思うよりもずっとインテリなのだ。


「……つらくないんですか、そんな職業継ぐの。」


 つい、口をついて出たこと言葉に最も驚いたのはほかならぬマギア自身であった。


 こんなことを言うつもりは毛頭なかった。彼はあくまで契約者の兄、それ以上の存在ではないのだ。


 ただ――聞いてみたくなってしまった。


 此処まで嫌われてなおそれを目指す理由を。


 あるいはそれは、これから決して誰にも褒められない事に手を染めようとしている人間なりの葛藤の表れだったのかもしれない。


「――おやじが昔言ってたんだよ。」


「……なんて?」


「『罪に罰がないならだれも悔い改めたりはしない。誰かが罰を下す必要がある』『――誰かがやる必要のあることだ』それで腑に落ちた。」


 そう言って虚空を見つめるテンプスの目は遠く、どこかここでない世界を見つめているようにさまよっている。


「誰かがやる必要があったんだよ、誇れる仕事ってわけでもないが、やらなきゃならん、兄二人は逃げた。弟には――やらせたくないだろう?」


 そう言って自分の手を見つめる彼はしかしどこか誇らしそうに


「幸い僕はそれなりに精神的に頑丈だったから、それならまあ――やってやろうと思ったんだよ。」


 そう言って彼は微笑んだ。誇らしさの滲む顔にマギアには見えた。


「……そう。なんですか。すごいですね、もっと給料がいいとかその程度の理由かと。」


「まさか、それだけでここまでできんよ――そもそも、給料あんまでんし。」


「えっ、そうなんですか?」


「そうなんだよ、じゃなきゃ片田舎でろうそく暮らしとらんて。」


「……やめたらどうです?」


「みんな、そうしたいと思ってるよ。よくあるパターンだ、汚れ仕事は下に振る、その結果がいまだ。」


 そう言いながら乾いた笑顔で笑う彼に、話題を変えようとしたらしい彼女は机の上に広げられた時計に目をやってこれを話題にすることに決めたらしい。


「そういえば、あのいじってる時計完成しそうなんです?」


 そう言って、彼に答えを求めた。


「……大雑把にはね。ごく一部問題があるが。」


「?」


「こいつ自体は絵やそれに類するものを空間にあー……映し出す?装置なんだよ。」


「ほほう、つまり何もない空中に魔法陣がかけると。」


「できる出来る、まあ、あの文明は魔法陣じゃないけど、ただ、何もないところに映像を映し出すのはえらくエネルギーが必要でな――出力を維持できない。」


「あーランタンの油切れ?」


「みたいなもんだ、三秒しか図形を空間に映せない。記述を綴って対象に到達させるまで基本的に時間が足りん。」


「ほうほう……」


 聞きながら幾らか悩んで見せた少女はうんうんとうなった後に思いついたように「じゃあ――」と告げた。


「――瞬間的に起動する術ならどうです?石の壁を作る術とかは基本的に作った後は物理法則に従って作用するじゃないですか。」


「んー其れは考えたんだけどもだ。」


「はい。」


「空中に書いて起動する術がない。」


「あー……いや、なら地面にでも書けばいいのでは?後は――油を入れるとこを増やすとか。」


「それやると機能が減るんだよな……」


「ある程度諦めるしかないんじゃ?機能を一種類に絞って複数の道具に分けるとか。」


「……んー制限。要は一つの術につき一つの装置を持てと。」


「ですです、まあ時計屋さんみたいになりますが。」


「ふむ……もしくは……一つが複数の機能を持つ術を使うか……」


「ああ、さもなければ一つの術を使って他の術の起動条件を満たしてもいいと思いますよ。私、炎とか水の術でよくやります。」


「ああ、炎で陣を作ったとかなんとか。」


 噂になっていたのは彼も知っていた。


 今度はテンプスが唸る番だった。腕を組んで天井に顔を向けて目をつむる。


「――いける……か?」


 幾つかの変更は必要になる。が、行ける自信があった。使える術には心当たりがあったし、


「おっ、行けます?」


「たぶん。」


 そう言って一番上の引き出しからいくつかの紙を引っ張り出して鋭い視線で組み合わせ始めた彼を後ろから見ているマギアは人知れず微笑んでいたが――それは本人すら知らない事だった。


 五分ほど紙の束と格闘していたテンプスだったが、ふと、助けてもらっておいて何も消さないのは問題では?という常識的な思考を発現させ、たっぷり五秒悩んで彼女に一言――


「――飯いかね?おごるよ。」


 ――こう言った。


「――行きましょう!おごりとあらば!」


 そう言いながら激しく元気になっている少女を見ながらテンプスは笑う――


 ――ここでこうしていないと後のアレもなかったと思うとこれも天啓の類だったのかもしれないとのちに彼は苦々しく思い返すことになる。


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