誤算導く夕刻。


「彼女を開放しろ!」


 あの襲撃から一週間がたったころ、研究室に向かう道すがらにそれは起きた。

 突然叫ぶように後ろからかけられた声に『まずいパターンに入ったな』と思いながら口を開いた。


「……彼女って誰さ。」


「貴様の研究室に出入りしているだろう、あの一年の才女、マギア女史だ!どんな弱みを握って手を出したんだ!」


『あー……そういうパターンの奴か……』


 内心初めてのパターンだなと彼は記憶を掘り起こす、人殺しの息子だからと言われたこともあるしサンケイの兄だからと言われたこともある。

 が、女性を連れ込んだと言われて喧嘩を吹っ掛けられたことはいまだかつてなかったはずだ。


 彼女が自分の研究個室に来るようになったのは秘術の論文を手渡した後のことだ。


 あの日の最後に渡した論文は予想以上に彼女の興味を引いたらしかった。


 次の日には研究個室に押しかけてきて「ここの話の根拠」だの「数値が間違っているのでは」と言った研究項目に対する質問をうずたかく積み上げてまるで共同研究者の様に彼の研究室でだべりだしたのだ。


 そんな彼女を追い出さないのは彼も彼女の意見に意義を見出しているからだろう、そんなわけで、学業だけならツートップになるだろう二人は昼休みを研究時間に費やしている。


「待て待て、僕はなんもしとらんよ、ちょっと研究を手伝ってもらってるだけだ。」


「嘘だ!お前なんかが何の研究を――」


「太古スカラー文明における秘術体系について。」


「はっ?」


「いや、だから、太古スカラー文明における秘術体系について。学校誌校誌に乗せただろ。」


「し、知らんわそんな事!」


「じゃあ何でお前なんかとか言ったんだよ……」


 呆れたようにつぶやくテンプスに「うっ……と、ともかく!」と、気を取り直したように叫ぶ男子は


「彼女から離れろ!お前のような人殺しの息子は彼女に周りにいるべきじゃない!」


 そのセリフに思うところがなかったわけではない、が、それ以上に当人を無視して彼女の感情を定めようとしているのがいささか以上に癪に障った――結局、こいつらは彼女のことを考えてこうしているわけではないのだ。


「いやだと言ったら?」


 彼にしては珍しく挑発的に告げた言葉に、どうやら沸点を超えたらしい男は叫ぶように


「――なら痛い目にあってもらう!」


 と剣を抜――





「――お待ちなさい。」


「え? ………っ!」


 突然、凛とした声が廊下に響いた。行き交う誰もが足を止めて振り返る。


 ――そこにいたのは十人が十人、美人だというだろう、慄く程の美貌の女だった。


 絹のような白い肌。特注のドレス風の制服。輝くほど艶のいいブロンドの長髪。眉目秀麗、学園美女ランキング不動の一位に輝く才女。

 父親が代々続く大企業の代表取締役でありつまりお金持ちの令嬢。それでいて性格もいい。生徒の内では学園の女神などと言われている女性。


 オモルフォス・デュオ


 ちょっと引くぐらいの完璧な女。それが彼女だ。


 この学園の人間から違和感を感じるほど慕われているこの三回生は今日も取り巻きで回りを固め、日の光を自分から放つようにそこに佇んでいた。


「あー……おはようございます。先輩」


「御機嫌ようテンプスさん、今日もお元気そうで何よりですわ。」


 学園の女神などと呼ばれる女性と死刑執行人の息子が親し気に話している光景に男たちは目をむいた。


 彼女と彼が親しげに話しているのは別段おかしなことでもない。ただ単に自分と彼女が顔見知りだっただけだ。


 切っ掛けは入学当初。恒例のヘイトクライムもどきで因縁をつけられていた自分を今回と同じように彼女が助けた。とはいっても別にその連中を叩いてつぶしたとかではない。ただ――


「みなさん。喧嘩はよくありません。メッ!ですよ?」


「はっ、はいぃ!」


 そう言って腰に手を当てて、人差し指をこちらに向けて前傾姿勢になっている彼女は確かに美しく、なるほど学園の女神というのもわからなくもなかった。


 テンプスを囲んでいた連中も熱に浮かされたようなだらしない表情になっている、周りの取り巻きもだ――こいつら確か親衛隊とか名乗る連中だが、護衛対象に見とれていていいのか?


 そんな突っ込みが胸中で空気に触れることもなく消えたころ、先ほど絡んできた下級生達が歩いて帰っていくのをテンプスはまじまじと見つめた。


 正直に言って、テンプスはこの女性が嫌いだった。理由はと言われるとよくわからなかったが。


 あのしぐさが微妙に気持ち悪いとか、言ってることがどうにも信用できないとか。

 澱の様に溜まった『何か』が自分に彼女を嫌わせているのだ。


 それは一言で言ってしまえば――そう、違和感と言っていいのかもしれない。彼女の中にある何かと実際に目の前に出力される物への違和感。


 そんなわけで、彼は彼女のことがどうしても苦手だった。


「あー……ありがとうございます、先輩。」


 とはいえ、助けて貰っているのは事実だ。礼を言わないなんて選択肢はない。


「いえ、同じ学園で学ぶ仲間ですもの、仲良くしませんとね。」


 そう言って笑った彼女にすら、どこか違和感があるのはいったい何故なのだろうか。


 彼女の笑顔を見つめながらテンプスは釈然としない思いを抱えて


「では失礼します。御機嫌よう」


 そう言って、オモルフォス・デュオは燦然と歩き去って行った。


 その後ろ姿を眺めながら彼はふと思い到った――


『……あの人、ちょっと太ったか?』


 一瞬、過去の彼女と比較してみようかと記憶を掘り起こそうとして、さすがにそれは不躾が過ぎるかと彼は首を振って研究個室に向かった。

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