影に日向に
真夜中、夜の帳も落ち、声すら寝静まった夜更けの闇を一つの影が走っていた。
アプリヘンド特殊養成校の正門の扉を機敏な動きで上ったその影は滑るように走りだした。
それは驚くような速度でもって暗い廊下を駆け抜けて、目的地に向かって疾走する。
道中の廊下を隔てる扉に仕掛けられたカギを工具であっさりと開き、防犯用の魔術的罠をかくぐって見せたその影は目的地であるアプリヘンド特殊養成校『学生課』の扉をゆっくりと開く。
本来その侵入を阻むはずのカギも侵入を知らせるはずの警報すら鳴らさずに部屋に侵入した彼は迷いのない足取りでとある棚に向かう――目的の物は一つ、ある生徒の入学許可とそれにまつわる情報群だった。
ネブラ・ルネが今日はいつもと違うかもしれないと思ったのは何時もの様に学園への道を歩きいていた時に、いつものパターンではない予想外の人間に会った時だ。
「――あれ、テンプス?」
「おはよう、毎日この時間に出てんの?」
そう言って片手をあげたのは何をあろう、自分たちのリーダーの兄であるテンプス・グベルマーレであった。
珍しい客だな、と思いながら彼にかけられた言葉に返答して歩き出す――用が何であれ、ここで話すようなことではないのだろうと考えたからだ。
「まあ、大体、朝練とかするし。」
「ああ……君は部屋借りられるもんな。」
「……?普通誰でも貸してくれるでしょ」
「普通はね。」
「……そう言うこと?つまんないことするね。」
「いいよ、今更だ、別に訓練はどこでもできる――僕んちの周り、なんもないし。」
そう言ってあきらめたように笑う彼はそれでもどこか達観したような色のある声音で言った。
この兄弟はこういったところで似ているんだな。と、ネブラは思う、彼の弟もどこかしらで楽観的と言うか――達観している風がある。
年に似つかわしくはないが――こういうところが気に入っているのも事実だった。
「――で、何が聞きたくて待ってたの。俺に聞きたいことあるんでしょ。」
そう言って、ネブラは本題に入る、話すのも嫌いではないが回り道は嫌いだった。
「相変わらず回り道をせんやつだな。」
「嫌いなんだよね、直線の方が分かりやすくていい。」
「まあ、確かに。大したことじゃあないんだよ、ただ――」
午前の授業の終わりにある人物に呼び出されたアネモス・アナモネは、大図書館の一角に歩いていく。
「――お疲れ様です、先輩。」
「ああ、お疲れ。」
そう言って机の上の本から視線を上げたのは彼女のチームのリーダーであるサンケイの兄だ。
「悪いね呼び出して、君の教室に行くとほれ――騒ぎになるから。」
「いえ、全然」
実際、彼がいつだか彼女たちの教室に弟の伝言を届けに行った際一悶着あったのだ――まあ、主に暴れたのは自分の愚姉なのだが。
そこまで考えて、はたと思い出す。
「すいません姉がレポートのことでお世話になったみたいで……」
「ああ、いや別に。助けになったならよかった。」
そう言って笑ったテンプスだったが、「あー……」とうめいた後、一言
「あれ通った?」
と聞いて来た。
「?ええ、褒められたそうですよ。おかしなこと聞くんですね?何かありました?」
不信に思った彼女がそう聞くと彼はバツが悪そうに告げる。
「いやその……実はあれ去年僕が出した奴の焼き直しでな……そん時通んなかったんだよ。」
「すまん、時間なくて」という彼に別にかまわないと告げる、実際、姉の不手際のせいなのだ、面倒を見てもらえただけありがたい。
しかし、おかしな話だ――
「……私が見ても出来は良かったと思いますけど……」
「まあやったのが僕なのが気に入らんのだろ。死刑執行人はいなくてもいいって声高に言う人だったからな。」
肩をすくめる。
いつものことだ。いつものことで――
「……相変わらずここの教員は……」
ひどく不愉快なことだ。
確かに彼に目立った実績はないが彼の頭の良さは、負けている自分が一番よくわかっている――なにせ、統一学力試験のトップは彼なのだから。
「まあ、いいんだよ、慣れてるしな。」
「……そうですか。ああ、それで何か御用ですか?」
気を取り直して声をかけた彼女にテンプスは表情に少し険をにじませて声を上げた。
内容を聞いた少女は不審そうに
「何故そんなことを?」と聞くと「いや、なんか最近弟と仲がいいって聞いたから、あいつ自分の交友関係あんま話さんから」と答える。
違和感がなかったわけではないが結局――
「ふぅん?別にいいですよ――」
昼食の準備を進めながら、テッラ・コンティネンスはそれを手伝う男を見つめた。
テンプス・グベルマーレ。
死刑執行人の息子にして、将来死刑執行人になることが決まっている男。
これは死刑執行人を取り巻く世界的な事情の問題だが簡単に言えば――死刑執行人は世襲制なのだ。
彼の上の兄二人はそれを嫌ったのか、あるいは単にそれより向いている物を見つけたのか、家を出てしまった。
弟に任せるわけにはいかない。
だから自分がなるしかない。
そう言って彼はこの学校に来たとサンケイが語っていたのを彼を見るたびにテッラは思い出していた。
彼が弟に比べて嫌われているのは力のなさや体質のこともあるが何より、彼が『死刑執行人』に内定しているからだ。
そんな彼が自分の隣でトマトを切っているのは少しおかしい気がして少し笑ってしまった。
「どうした?」と聞いてきた彼に、ごまかすように言う。
「――料理出来たんですね。」
「一応ね。一人で暮らしてちょっと立つし。」
「ああ、サンケイと別れて暮らしているんでしたっけ。」
「僕と一緒だといろいろ気遣うだろ?年頃の男が二人も家にいると叔母も大変だろうしな。」
そういった彼の言葉には言外に「自分と同じところに住んでいると嫌がらせを受ける可能性がある」と告げているようにも聞こえた。
実際問題、彼の家に嫌がらせの様にゴミが投げ入れられたことがあるのを知っている彼はそれを否定できない。
「……あいつは気にしないと思いますよ。」
「僕がするんだよ。」
そう言って静かに笑う彼は少し寂しそうで――少し誇らしそうだった。
「……ところで、俺に用があるって聞きましたけど。」
そう、彼はこの手伝いの条件としてある事柄について聞きたいと彼に話していたのだ。
「ああ、実は――」
放課後、くしくも妹と同じ大図書館の一角でフラル・アナモネはある男に話しかけていた。
「――と言うわけなのだ
「うん、まあ、それは妹さんが正しいと思うよ。」
「何故だ!」
「いや、だって僕、君の兄貴じゃないし。」
「だが、サンケイの兄ではないか!」
「うん……えっ、だから?」
「つまり義兄上だろう?」
「君さてはもう結婚した気でいるな?」
「もちろん!」
「うーん……いっそすがすがしい即答、妹御の苦労がしのばれるな。」
「?」
何を言ってるんだこいつ、と言いたげにこちらを見つめる少女に男――テンプス・グベルマーレは苦笑しながら。
「せめて同意取ってから宣言してくれ。」
「む、了解した、呼ばせてくれ。」
「だめです」
「何故だ―いいじゃないか―」
「弟に許可取りなさいよ、結婚したら呼んでいいから」
「ホントか!?わかった、結婚してくる!」
「おう、待てや。」
そう言って立ち上がった少女はいつもと変わらず元気なようだ、自分にこの元気さはまねできんなーとテンプスは笑う。
何時もながらどうにもペースの崩れる娘だ。
「――む、そういえば話があるのだったな、それでどんな話だ義兄上、私の話を聞いてもらったのだ、相応に聞かせてもらうぞ。」
そう言いながらこちらに鋭く視線を向ける彼女の温度差に感覚器が風邪でも引きそうだった。
「あ、あー……いや実は――」
放課後、すべてを血で染めるように赤赤と燃える校舎の隅、彼の研究個室でテンプス・グベルマーレは自分の一日を思い返していた。
こんなに研究から離れて何かをするのも最近なかなか機会がない。
そう考えると新鮮な経験だったかもしれんな……と彼は椅子にもたれかかりながらそう反芻した。
机の外の景色は次第に紫のベールに代わり、そろそろ夜が来る時間になってきた。
「今日一日で必要な情報はあらかた集まった……はず。」
これなら明日の『対決』もどうにかなるだろう。事態が切迫しているのかはわからないが明らかに危険だ。
それに弟をがどう絡んでいるのか……
『事と次第によっては……』
机の上の時計を見つめる――あれを使わねばならないだろう。完成してはいないが――まあ、いつだって準備ができた状態で問題に対処できるとは限らないのが世の常だ。
いつも使っている椅子の上、だらりと体を投げ出しながら、テンプスはそっと目を閉じた。
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